18. それぞれの矜恃
「……シャーロット……?」
呆然とその名を呟いたのは、リアムだった。
「リアム……いえ、お義兄様。わたしね、ずっと考えていたことがあるの。——皆さんも、聞いてください」
シャーロット様は、先ほど受けたショックもあってか、青白い顔をしていた。
けれど、その表情は穏やかで、瞳には強い光が宿っている。——何かを決意した人の目つきだ。
シャーロット様は、静かに、ゆっくりと話し始めた。
「……ご存知のとおり、わたしの時間は、七年前に止まったまま。そして本来なら、レイン子爵家と一緒に、そこで終わる運命だったはずなんです。でも——」
シャーロット様は、私たちの顔を順々に見回し、ふわりと微笑んだ。
「お義兄様やお義父様、お義母様、ノアくん、ケヴィン……それに、オーロラお義姉様が、底なし沼にとらわれていたわたしを、引っ張り上げてくれました。侯爵家の離れに雨が降らなくなってから、わたしは毎日、手帳を書くようにしました」
シャーロット様は、ケヴィンさんに預けていたパーティー用の手持ち鞄から、小さな手帳を取り出した。
「わたし、これを書くようになってから、ずーっと、楽しかったし、嬉しかったみたいです。それに……申し訳なくて、消えてしまいたいって思うこともあったみたい」
手帳をパラパラとめくりながら、シャーロット様は言った。手帳には、彼女の気持ちが、克明に記されているようだ。
「でも、その気持ちも、記憶も、眠って目覚めたら消えてしまうんです。手帳を見れば、文字として理解できるけれど、思い出すことはできなくて……、だから……」
シャーロット様は、手帳に押し花の栞を挟む。
それは、私が最初に渡した『光の花』——奇しくも、忍耐強さを象徴する、オレンジ色のガーベラの花だった。
「わたしには、分不相応な幸せなんです。リアムお義兄様も、オーロラお義姉様も、ケヴィンも、皆、優しくて本当に素敵な方だわ。その優しさをわたしなんかに向けるのは勿体ないし、その優しさに気づくたびに、申し訳なくて……消えたくなるの」
シャーロット様は、くしゃっと顔を歪めながらも、栞を挟んだ手帳を大切にしまい直して、ケヴィンさんに渡した。
——優しさが、必ずしも人を救うとは限らない。
リアムの優しさが、ケヴィンさんへの想いが、私が身勝手に始めてしまった治療行為が、逆にシャーロット様を追い詰めてしまったのだろう。
そう思い至り、私は視線を床に落とした。
「もちろん、感謝はしてるの。本当よ? 死ぬまで永久に絶望の淵に囚われるはずだったわたしに、もう一度人間らしい暮らしをさせてくれて、幸せを教えてくれたんだもの。特に、オーロラお義姉様」
シャーロット様の言葉に、私は顔を上げる。
「あなたには、本当に感謝しているんです。お義姉様がわたしに光を与えてくれなければ、わたしは自分がどんな状態なのか知ることも、選ぶことも、伝えることもできなかったから。だから、どうかご自分を責めないで。お義兄様たちも、みんな、悪くなんかないの。……悪いのは、わたし。わたしの心が弱すぎたせいなの」
私は首を横に振りながら俯いて、溢れそうになる感情を抑える。
「……違う……違うんだ」
リアムは、隣でひたすら、震える声でそう呟いていた。
「——わたしのこの選択は、治療のことを理解してないとか、投げやりになってるとかじゃないんです。今までで一番いい状態の、今のわたしが考えた、最善の案なの。お願い、わたしの部屋の花を使ってください。それで――わたしの症状が悪化したら、もう、治療はしないで。修道院でも、療養施設でも、わたしを受け入れてくれるところがあれば、そこへ入れてほしいの。これ以上……、迷惑、かけたくないから」
シャーロット様は、気丈にも笑顔を作っている。
彼女は気づいているのだろうか。隣で支えているケヴィンさんが、どんな顔をしているか。
リアムが、オケアーノ侯爵夫妻が、ノア様が、どんな思いで彼女の話を聞いているか。
「シャーロット……、俺は迷惑だなんて、一度も思ったことはないぞ」
「……そうですわ、シャーロット様」
「シャーロットお嬢様、私もですよ。……このまま、あなたのことをお側で支えさせてください。どうか、お願いですから」
リアム、私、ケヴィンさんが立て続けにシャーロット様に声を掛けるが、彼女は首を横に振るばかり。
「わたしが、わたしの矜恃が、それを許さないの。これでも、ふふっ、侯爵令嬢なのですよ?」
——そう言って笑うシャーロット様のかんばせは、この上なく美しかった。
「わたしはもう、充分、幸せをもらいました。次は、リアムお義兄様やオーロラお義姉様が、幸せになる番です。ケヴィン、あなたも、わたしのことは忘れて——」
「——私は、あなたの病状が悪化しようと、私のことを何度忘れてしまおうと、何処へでもついていきますからね。毎日毎日、好きだの一目惚れしただのと言われ続けた男の身にもなってくださいよ」
「……っ、ケヴィン……、ごめ——」
「謝るのは禁止です。シャーロットお嬢様に矜恃があるように、私にも矜恃があるんですから」
ケヴィンさんの言葉に、シャーロット様の瞳からぽろぽろと涙が溢れていく。
ケヴィンさんは、迷った末にシャーロット様の鞄を私に預けると、大切なお嬢様を空いた両腕でしっかりと抱きしめた。
私は、ポーチの端から覗く押し花の栞に、これ以上彼女の症状が悪化しないようにと、彼女も幸せになってほしいと、心から深く祈りを捧げる。
魔力は底をついているから、何の効果ももたらさないのはわかっていたが、どうしても祈らずにはいられなかった。
そうして、長い夜は、静かに時を刻んでいった——。




