17. 光あれば影もまたあり
殿下が出て行った後、私は光の加護を込めた花束を作り、控え室のソファーで休ませてもらっていた。
背もたれにクッションをたくさん挟み、隣でリアムが、自身に肩をもたせかけるようにして、私を支えてくれている。
殿下は、しばらく経ってから、ボルカノン騎士団長とシェイド公爵を連れて、地図を手に控え室に戻ってきた。
今回魔法で咲かせた花は、ハスの花だ。用意した花を一輪ずつ水に浮かべれば、十数基の配水塔を浄化することができる。
瘴気の量と分布を感知することのできるシェイド公爵にも、一基につき一輪で問題なく浄化できるとお墨付きをもらうことができた。
「よし。では、早速ルートを立案しルミナス公爵家の者たちに風魔法で伝達、騎士たちをそれ以外の郊外の配水塔に向かわせよう。騎士団長、この花の正体については、詮索も口外も禁じる」
「はっ! 口の堅い者たちを厳選し急行させます」
ボルカノン侯爵家特有の燃えるような赤毛を、たてがみのように靡かせながら、騎士団長は颯爽と控え室を後にした。
「それにしても、殿下がたがこのような隠し球をお持ちだったとは、存じませんでしたなあ」
「……シェイド公爵。わかっていると思うけれど――」
「はっはっは。もちろん、口外いたしませんとも。誰にも、ねえ?」
シェイド公爵は髪と同じ濃紫の顎髭を撫でつけながら、ねっとりとした笑みを浮かべる。
その瞳の深い黒は、まるでぽっかりと口を開いた闇の深淵のよう。私はふるりと身震いをした。
「ところで、公爵。瘴気溜まりの発生予兆が見られなかった件については、調査に進展はあったのかい?」
「いいえ、残念ながら。力を尽くして調べてはおるのですがねえ、理由はわからぬと思いますなあ。どこだったか、七、八年ほど前に、小さな子爵領で発生した瘴気溜まりと同じように――」
「――公爵!」
シェイド公爵の言葉を、アレクサンダー殿下が鋭く遮った。
いつも飄々としている殿下の珍しい剣幕に、私はびくりと肩を跳ねさせる。
「……あ……あ……あああ」
「シャーロットお嬢様!」
悲痛な声がした方に目を向けると、シャーロット様が青緑色の瞳をこぼれんばかりに見開いて、両手で頭を抱え、うずくまっているのが見えた。
リアムは一瞬ソファーから立ち上がりかけたが、ケヴィンさんがすぐさまシャーロット様を支え、オケアーノ侯爵夫人が背中をさすり始めたのを見て、私の隣に座り直した。
しかし、普段の優しい彼からは考えられないほどの、鋭く凍てつく殺気のようなものが放たれている。
「……おっと、禁句でしたかな? 失礼、失礼」
「シェイド公爵。ご退出願えますかな。殿下、公爵とまだ話があるのでしたら、我々の見えないところでやってくだされ」
「……ああ。私の配慮が足りず、すまなかった。オケアーノ侯爵、リアム、それにシャーロット嬢も」
殿下が、苦々しい顔をして謝罪する。
オケアーノ侯爵にすごまれたシェイド公爵は、にたりと含みのある笑みを浮かべて、席を立った。
「――そうそう。先ほどの花ですがね。あの数では、ちいと不足ですなあ。儂の試算では、あと五基ほど浄化が間に合わなくなりますぞ」
「……なに?」
「その様子では、お嬢さんはこれ以上魔法を使うのは無理でしょう。まあ、儂としては、平民街の配水塔など捨て置けば良いと思いますがねえ。はっはっは」
シェイド公爵は不快な笑いを残して、控え室を出て行った。
殿下は一緒に出て行くことなく、その場に立ちすくんで、私とリアムの座るソファーに視線を向ける。
「——アレク。それは無理だ」
「……まだ何も言っていないよ」
先ほどの怒りが残るリアムの視線と、色々な感情を抱えすぎたのか、かえって無表情になっている殿下の視線がぶつかる。
こんな時なのに、いまだクッションから身を起こすこともできずにいる自分が、もどかしい。
「……公爵はああ言ったが、平民だろうと貧民だろうと、グランエレメンツ王国の民であることには変わりない。見捨てることなど、到底できないよ」
「ああ。だが、何かしら方策はないのか? ルミナス公爵家の出身者は、もう全員掻き集めたのか?」
「うん、もうすでに、一人残らず協力してくれてる。母上や叔母上も含めてね」
私の母はともかく、王妃殿下まで市井に出て協力しているとなれば、アレクサンダー殿下の言うとおり、これ以上動かせる人員はいないということだろう。
オケアーノ侯爵が、ノア様の方をちらりと見て、殿下に意見した。
「凍結時間を延ばせば対処できますか? ノアにも協力してもらえば、一刻程度ならどうにかなりますが」
「……そうだな……」
殿下は、テーブルに広げられた地図を眺めながら、思案し唸る。
「……一刻あれば、三基……いや、四基までは何とかなると思う。だが、どのルート、どの人員を動かしても、どうにもならない配水塔が一基だけある」
今度こそ、殿下もリアムも、オケアーノ侯爵も、全員が黙ってしまった。
「あの……殿下」
そこで、おずおずと声を上げたのは、意外な人物――シャーロット様だった。
先ほどの混乱はもう落ち着いたようで、ケヴィンさんに支えられながらも、しっかりとした表情でこちらを見ている。
「ん? どうしたんだい?」
「その、よろしければ、わたしの部屋に飾ってある花を使ってください。一番新しいものなら、まだ光魔法が切れていませんから」
「そうか! その手が――」
「お待ちください、殿下」
殿下はシャーロット様の提案に目を輝かせたが、それを止めたのは私だった。
「シャーロット様の病は、まだ完治していません。今も彼女には、光魔法による継続的な治療が必要です」
「……ということは……」
「ただでさえ、夜会で外出して光の恩恵を得られずにいるのですから……お部屋の花を持ち去ってしまえば、次に私が複合魔法を使えるようになるまで、半日以上、治療を中断することになります。最悪、症状が悪化する可能性もございますわ」
大抵の場合、症状が改善するのには多くの時間を要するが、悪化するのは一瞬であることが多い。
せっかくここまで良くなったのだ。また逆戻りしてしまうのは、シャーロット様にとっても、リアムたち家族や屋敷の使用人やケヴィンさんにとっても、辛く苦しいことだろう。
そして、それは治療を行ってきた私にとっても。
「うーん……」
殿下は、眉の間を指先で揉みながら、思案げに吐息をこぼす。
「なら、シャーロット嬢の花を使うのはやめた方がいいね。どうしたものかな……」
「――構いません。悪くなっても、治らなくなっても、わたし、平気です」
殿下や私たちの懸念をよそに。
シャーロット様は、凛とした声ではっきりとそう告げたのだった。




