15. 凍てつく夜
貴族たちの会場入りと王族の入場が終わり、挨拶の順番が回ってきて、私はオケアーノ侯爵一家とともに王族の御前に向かう。
「仔細は王太子アレクサンダーより聞いておる。オケアーノ侯爵、ご令嬢の件、僥倖であったな」
形式的な新年の挨拶を済ませると、国王陛下はにこやかな表情でそう言った。
「ええ。全てこのオーロラ嬢と、素晴らしい御縁を結んで下さった王太子殿下のご慧眼の御蔭でございます」
オケアーノ侯爵は、そう答えて頭を下げる。アレクサンダー殿下は何も言わずに、私の方をちらりと見て、曖昧に微笑んだのだった。
「して、ご令嬢はもう完治したのか?」
「いえ、残念ながら、まだ完治とは参りません。元々治る見込みがあるとも思っておりませんでしたから、今後はオーロラ嬢の負担も鑑みながら、ゆっくり治療してゆければと考えております」
「そうか。……して、フローレンス伯爵令嬢よ。やはり、複合魔法はそなたにとって負担が大きいか」
陛下は、探るような眼差しを私の方へ向けた。
「父上!」
アレクサンダー殿下が、咎めるように声を上げたが、陛下の視線はまっすぐに私の方を向いたままだ。
「――恐れながら陛下。オーロラは光の力を使うと、毎回、しばらく動けなくなるほど体調を崩してしまうのです。彼女は優しく善意に満ちた女性ですから、目の前に困りごとが見えてしまうと、確実に自らの身を削ってしまうでしょう」
私はどう答えるべきかと素早く考えを巡らせたが、その一瞬の間に、リアムが代わりに陛下に返答をした。
その声には、言葉には、明確な拒否が宿っている。
仰ぎ見たリアムの横顔には、決然とした意思が揺るぎなく燃えていた。
リアムと陛下の顔を交互に見たアレクサンダー殿下が、ふぅ、と小さくため息をついた。
「父上もご存知でしょう? リアムは、家族を誰よりも大切にする性質の男だと」
アレクサンダー殿下の言葉に、リアムはわずかに目を見開き、陛下は私から視線を外して殿下の方を見た。
「……そうか。家族、か」
陛下はふっと相好を崩した。もう何かを探るような気配も、いつのまにか強まっていた威圧感も、すっかり消え去っている。
「フローレンス伯爵令嬢、いや、オーロラ。そなたに心強い家族が増えたこと、伯父として嬉しく思う。オケアーノ侯爵令息よ、姪を頼んだぞ」
「はい。必ず幸せにします」
リアムがはっきりと告げると、陛下の表情はさらに和らいだ。
私が視線を感じてアレクサンダー殿下の方に目を向けると、かつて私が恋をしていた人は、安心したように――けれど何処となく寂しそうに、微笑んだのだった。
*
問題が発生したのは、それからしばらく経った頃のことだった。
王族の御前を辞した私たちが、フローレンス伯爵家や各方面への必要な挨拶を済ませて、早めに夜会会場を後にしようとしていた時である。
「――リアム! オケアーノ侯爵!」
会場を出てすぐ、人のほとんどいない廊下で、私たちを呼び止めたのは、アレクサンダー殿下だった。
どうやらかなり急いで来たようで、髪もわずかに乱れているし、息も上がっている。
それに、いつも笑顔を取り繕っていることの多い殿下にしては珍しく、かなり険しい表情だ。
「――何かあったのか?」
「ああ。オケアーノ侯爵、リアム、王都中の水の流れを一時的に止めてくれ! 急いで!」
「何を突然――」
「いいから、急いで頼む! 説明はすぐにするから」
必死な様子で、殿下は自ら王宮の窓を開け始める。
リアムたちは戸惑いながらも殿下の言葉に従い、魔法を練り上げていった。
「水よ、清き命の源よ。我は水神オケアーノの血を引く者なり。凍てつけ、全てを閉ざす氷となれ」
――四大侯爵家の当主と嫡男が操る、詠唱を伴う強力な水魔法。
私の花魔法や光魔法とは比べものにならないぐらい、強い力だ。
青白く輝く魔法の光が、リアムとオケアーノ侯爵の身体を包み、無数の光の矢となって一斉に窓の外へと飛び去っていった。
元々寒い季節だが、さらに身を切るような冷たい空気が、窓の外から流れこんでくる。
「これで、現在、王都を流れている水はすべて凍りつきました。ですが、我々の魔力を考えても、民の生活を考えても、一時的にしか保ちません。――ご説明いただけますかな?」
「ああ……すぐに対応してくれて感謝するよ。もちろん、説明する。控え室へ」
ほっと息をついた殿下を見て、何があったのかと首を傾げつつ、私たちは控え室に移動することにした。
「王都の水源となる地下水脈に瘴気溜まりが発生したと、つい先ほど、シェイド公爵から報告を受けた。予兆もなく、突然発生したそうだよ」
私とリアム、オケアーノ侯爵夫妻、ノア様、シャーロット様、ケヴィンさん、そしてアレクサンダー殿下。
全員が室内に入って扉を閉めたところで、アレクサンダー殿下は問われるのを待つことなく、そう告げた。
瘴気溜まりが発生すると、そこから危険で強力な魔獣が生まれてしまう。
闇の精霊の加護――その全容はいまだにわかっていないが、闇のシェイド公爵家は代々、瘴気の流れを感知する能力を持っているらしい。
シェイド公爵家が瘴気溜まりの発生予兆を早い段階で感知し、ルミナス公爵家がそれを浄化する。
さらに、王国を揺るがすような、大きな瘴気溜まりや強力な魔獣が発生しそうな場合は、王家の予知も加わって、人員を追加で配置する。
それによって、この王国の平和は長い間守られてきた。
しかし。
「――予兆もなく?」
リアムが、眉をひそめて訊き返す。
視界の端で、シャーロット様がびくりと身を震わせ、ケヴィンの腕に縋り付いたのが見えた。
それにしても——シェイド公爵家が瘴気溜まりの発生予兆を見逃すことなど、これまでほとんど例がなかった。
だからこそ、強力な魔獣が本格的に発生する前に現地へ向かうことができたし、ルミナス公爵家も騎士団も、余裕を持って対処できていたのだ。
「感知できなかった原因は、いまだ不明。騎士団とルミナス公爵家の者たちが、既に地下水脈に急行しているよ。大精霊の『預言』はなかったから、魔獣討伐と瘴気溜まり自体の浄化は、向かわせた人員で問題なく対処できるだろう。ただ……」
「――なるほど。地下水脈から王都に流れてしまった水に、瘴気が溶け込んでしまった……ということですな」
お義父様が納得顔で発した言葉に、殿下は力なく頷いた。
「侯爵たちも知っての通り、あの地下水脈は王都の水源だ。浄水施設に汲み上げ、中央配水塔に集められた水は、王都中の配水塔や配水池に流れてゆく。中央配水塔は王宮の敷地内にあるから、すぐにルミナス公爵家の者が向かったのだけど……どうやら少し遅かったみたいでね」
「つまり、中央配水塔の水をまとめて浄化しようとしたものの、既に他の配水塔に、瘴気を含んだ水が流れてしまっていたということか」
リアムに返答するかのように、殿下は肩を落としため息をついた。
「微量ではあるけれど、残念ながらね。そして、王都内の配水塔、配水池からさらに各家庭に水が流れてしまえば、瘴気の広がりを抑えるのはもはや難しい」
「だから急いで水を止めさせたのですね。して、各配水塔の浄化の目処は?」
「……それが一番の問題なんだ。何せ、王都内の配水塔の数は――」
「――ルミナス公爵家の出身者を掻き集めても、到底手が足りない。そうだな」
返事がないのが、答えだった。
控え室の空気が、一瞬にして、重苦しさを増したのだった。
【補足】
中央配水塔以外の配水塔は、井戸よりも少し広範囲に使える程度の、狭小な地域の水を賄う小規模なものと想定していただければ幸いです。




