13. 雨上がりの虹
王宮の門をくぐった私たちは、夜会の会場に向かう前に、オケアーノ侯爵たちと合流した。
室内で合流した侯爵家一家は、私たちと使用人を除いて五人。
その中でも、侯爵夫妻とリアムの弟さんとは、初対面だった。年末まで、彼らが領地に滞在していたからだ。
王太子命令でリアムと私が婚約したことは手紙で知らせてあり、侯爵夫妻も、私に会うのを楽しみにしてくれていたようだ。
「いやあ、それにしても、素敵なお嬢さんで私たちも安心したよ。愚息はこのまま結婚しない、いや、できないだろうと思っていたからね」
「ち、父上……」
「その通りよ、リアム。あなたったら、縁談があっても毎回、一言目に『君を愛することはない、俺はシャーロットを優先する』でしょう? 先方から届いたものからこちらで用意した縁談まで全部よ? お分かりかしら? その一言で皆さん激怒しちゃって、後始末の方が大変だったのよ?」
「うっ、母上。その、それに関しては、本当に申し訳なく」
私の右側のソファーに座っているリアムは、正面に座った侯爵夫妻に笑顔でなじられて、たじたじになっている。
普段の彼からは想像もできない姿に、私はくすりと笑いをこぼした。
「オーロラさん。うちの愚息は、あなたにも同じことを言ったのでしょう? それで怒らなかったどころか、シャーロットのことまで受け入れてくれたご令嬢は初めてよ。もちろん、リアムがこんなに夢中になったご令嬢もね。その上、シャーロットの病気まで――本当に、本当にありがとう」
「ああ。オケアーノ侯爵家として、オーロラ嬢に最大の感謝と敬意を表するよ。ありがとう」
「ええ。これからも愚息をよろしくね」
「えっ!?」
侯爵夫妻は、なんと、私に対して頭を下げた。
ただの伯爵令嬢に対して、四大侯爵家の当主夫妻が頭を下げるなど、あってはならない事態である。
ここは客用に解放されている控え室の一室だから、部外者が入ってくることもないし見られてもいないとは思うが、私は驚いてしまった。
「恐れ多いです! どうか頭をお上げください。私なんて、そんな――」
「こーら。オーロラ」
「……っ」
私が一人で焦っていると、リアムに軽くたしなめられてしまった。
リアムは優しく笑って、私の右肩にそっと大きな左手を置く。
それだけで、ふっと肩の力が抜けて、微笑むことができた。
「……はい。お義父様、お義母様、私のことを受け入れてくださり、ありがとうございます。今後とも、よろしくお願いいたします」
私がそう言って礼をすると、侯爵夫妻は一瞬固まって、お互いの顔をばっと見合わせた。
「まああ! あなた、聞きまして?」
「ふふふ、お義父様か。嬉しいなあ」
「ここだけの話、ずっと娘がほしかったのよ。七年前にも義娘ができたけれど……事情が事情だったし、あの調子だったでしょう?」
侯爵夫人――お義母様はそう言って、少し離れたところに置かれているソファーセットの方へ、ちらりと目を向ける。
そちらに座っているのは、シャーロット様と、リアムの弟のノア様、以前馬車の中で少し話をしたリアムの従者ケヴィンさん。三人は、私たちと挨拶を交わした後、別のソファーセットに座って談笑していた。
「何とか説明して『お義母様』って呼ばせても、少ししたらまた『侯爵夫人様』呼びに戻っちゃうんだものねえ。それが今は――」
私たちの視線に気がついたのか、シャーロット様はこちらに顔を向けて、美しく明るく微笑んだ。
「どうされたのですか、お義父様、お義母様? リア……、お義兄様とオーロラさんまで揃ってこちらをご覧になって」
「――ふふ。二人も娘ができて幸せだわって話していたのよ。ね、あなた?」
「ああ。本当に……、本当にね」
シャーロット様の言葉を聞いて、お義父様はくしゃっと目尻に皺を寄せて笑い、お義母様は口元を扇で隠してリアムそっくりに眉尻を下げた。
「シャーロットがここまで回復するなんて、奇跡だよ。オーロラ、俺からも改めてお礼を言わせてもらうよ。ありがとう」
「えっと、私、その……お役に立てて良かったです」
リアムは、私の頬を長い指先で愛おしげになぞりながら、優しく目を細めている。
私はいまだにこの距離感に慣れなくて、ぽっと頬を染めた。
「わあ! お義兄様とオーロラさん、とっても仲が良いのね! 手帳に書いてあった通りだわ」
――シャーロット様の症状は、あれからかなり回復していた。
眠りを挟むと記憶が消失してしまうのは相変わらずだが、起きている間は、多少の混濁はみられるものの、ほとんど記憶を保持できるようになったのである。
そのため、これまでは諦めていたやり方――小さな手帳に自身の病気のことや、直近で起きた特に注意すべき出来事をまとめておき、記憶が混乱し始めたらそれを取り出して読むように促す、という方法がとれるようになった。
起床した際は相変わらず大変だが、その後のフォローがほぼ不要になった分、リアムや専属侍女の負担もかなり減ったらしい。
その結果、こうしてシャーロット様を夜会に連れて来られるようにまでなった。
さすがにまだ単独行動させるわけにはいかないため、今日はエスコート役としてケヴィンさんがついていてくれることになっている。
「ふふ、とっても羨ましいわ! ねえケヴィン、夜会の会場では、わたしたちも仲良しなところを見せないとね」
「シャーロットお嬢様、ご無理なさらなくてもよろしいのですよ。お嬢様が若様と適切な距離感を保っていることさえ示せれば――」
「無理じゃないもん! わたしはケヴィンが好きだもん! 毎日ケヴィンに一目惚れしてるんだもん! ほら!」
そう言ってシャーロット様は頬をぷくりと膨らませ、手帳のページをめくって見せた。
彼女は手帳の後ろ半分を日記帳のようにして、毎日印象に残ったできごとを書き記しているらしい。
ここからでは何が書かれているのかは見えないが、ケヴィンさんが耳を赤くして額に手を当てているところを見ると、どうやら彼についてのことが赤裸々に書かれているようだ。
「だから、ちゃんとエスコートしてね?」
「――お嬢様には敵いませんね。仰せのままに」
ケヴィンさんは、シャーロット様の差し出した手を満更でもなさそうにすくい取り、その甲に口づけを落とした。
「雨上がりだな」
隣でリアムが感慨深げに呟く。
あれから、リアムは侯爵邸に雨を降らせるのをやめた。
離れの家具も一新し、窓から見える景色も整え直したという。
シャーロット様は、目に見える景色がレイン子爵家とは異なっていても、不思議と取り乱すことなく受け入れているそうだ。
レイン子爵たちのことはまだはっきりと伝えてはいないそうだが、オケアーノ侯爵夫妻を素直に義父母と呼んでいるところをみると、記憶と心の奥底では、薄々勘付いているのかもしれない。
「リアム、知ってる? 雨上がりの空には、美しい虹がかかるのよ」
私がそう言ってリアムの手に自らの指を乗せると、リアムは微笑んだ。
そうして、もうひと組のカップルと同じように、私の手を取り指先に唇を寄せた。
シャーロット様もリアムも、七年前の悪夢からようやく解放されようとしている。
それに、私も。
これからアレクサンダー殿下や噂好きの貴族たちの前に出なくてはならないというのに、とても晴れ晴れとした気持ちだ。
きっと、それは、隣にリアムがいるから。
共犯関係を彼と約束した時に、背中に走った痺れるような感覚は、もしかしたら、強い歓喜だったのかもしれない。今は——そう思う。
「さて、そろそろ入場の時刻だ。皆、行こうか」
リアムとよく似た穏やかな笑みを浮かべるお義父様に促され、私たちは夜会会場へと向かったのだった。




