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「よ……宵ちゃん……?」
長い白銀の髪が、万理の目に映る。髪が光っていたのか。
万理の後ろから千歳も部屋の中を覗き込んで、慌てて宵に駆け寄っていった。光の収まった生徒会室の中は、いつもと同じく薄暗い。
万理も電気をつけて部屋の中に入った。たしか昨日までは肩につくくらいの長さだった宵の髪が、今はスカートの丈と同じくらいの長さになっている。
宵は泣いていた。
その顔はひどく大人びて、本当に昨日までの宵と同一人物なのかと目を疑うほどに。
「宵さん、大丈夫ですか?」
千歳の呼び掛けに、宵は頷く。千歳がそのまま、宵の伸びた髪をひと房持ち上げた。
「これは……」
「わからないんです。なぜだか急に、伸び始めちゃって」
しゃくりあげながら宵が言う。呪いの日本人形か? と万理は驚く。
「何これぇ……すごいな? 髪ってこんな伸びるんだ」
「の、伸びませんよ普通」
「宵さん。いつから、こんなふうに?」
はらはらと泣く宵は、儚げで美しかった。愛らしい子だとは思っていても、そんな感想を宵に抱くときがくるとは。
「昨夜……夢を、見たんです。それで、起きたらこうなってて」
「夢? 力のある夢ということでしょうか?」
宵はこくりと頷いた。
「内容は覚えてないんです。でも、ずっと涙が止まらなくて」
「白鷺の力のことは、私たちはあまり詳しくありません。これも、記憶の継承が近付いているからかもしれませんね……」
「大丈夫? 小夜たちが、宵ちゃんは体調が悪いって言ってたけど、これのこと?」
万理の差し出したハンカチを受け取って宵が涙を拭う。
「はい……。髪が伸びるなんて気味が悪いから、そういうことにして朝からずっとここにいました」
拭っても拭っても、その瞳にじわりと涙が浮かんで溢れる。ハンカチを持つ宵の小さな手が震えていた。
「俺たちは気味悪いなんて、思わないよ」
床に座り込む宵に目線を合わせるように、万理はしゃがんだ。
「でも……」
「俺たちは、鷹の一門だよ。そういう不思議な力も、そういうものだと思ってる。他の奴らとは違うから、安心して」
不意に、慰めの言葉がついて出た。
重なったのだ。夢を見たのだと泣きじゃくる、幼い頃の暁に。
宵は何度も瞬きをして、頷く。あのときの暁には万理と千歳がいたけれど、宵には、誰もいない。
静夜には小夜が、小夜には静夜がいる。鳥の中で、宵は最も孤独だと、万理は思った。
「今日はお帰りになったほうがよさそうですね」
千歳が冷静に言う。宵は千歳に言われるまま、迎えを呼んだ。
会話をしたことで少し落ち着いたのか、迎えが来る頃には宵の震えも止まっていた。一緒に南門まで行き、車に乗った宵を見送って二人はやっとひと息ついたのだった。
「……千歳」
「なに」
「あれが……白鷺なの」
「あれが宵さんにだけ現れた現象なのか、白鷺固有の現象なのかは私にだってわからないわ。でも、言ったでしょう。鳥はそれぞれに背負ってるものがあるのよ。暁さまだけでなくね」
「……あんなに、苦しそうに」
万理の手に力が籠るのを見て、千歳は何を今さら、と嘆息する。
「暁さまが愛するひとの記憶から消えるのも、宵さんが過去の記憶を継承するのも、どちらも私たちには想像できないくらい苦しいことなのよ。きっと」
「俺たちには、何もできないの」
千歳が万理に背を向けて、校舎の中へ入っていく。万理はその背中を追いかけた。
「あるならとっくにそうしてる。暁さまのことも、あやめさんのことだって」
万理の問いを、千歳はたぶんもう何度も考えていたに違いない。
万理はあまりものを深く考えないから、問題に直面して初めてそういうことを考える。でも、千歳はきっと、ずっと前からそういうことを考えている。
「……だよねぇ」
「何もできないのよ、私たちには。小夜さんにはっきり言われたでしょう。私たちは部外者なんだって。私たちはただ、暁さまのそばにあり続けるだけ。宵さんにもあやめさんにも、私たちにしてあげられることは何もないの」
落ち着いて聞こえるけれど、いつもより少し速い口調で一気に千歳が言った。
「……そうだね」
頷いて、万理は両手をスラックスのポケットに突っ込んだ。タンクトップ一枚の姿では、肩が冷えてきていた。
*
「近衛さん」
廊下で呼び止められ、麗香は振り向いた。聞き覚えのない声だった。
声の方を見ると、そこにいたのは華やかな雰囲気の、線は細いが背の高い男子。転校してきたばかりで瞬く間に校内で人気者になった、噂の人物である。
「……鴉森の」
「静夜です」
面識はない。何用だろうと、麗香は首を傾げた。
「どうかなさって?」
「明日の後夜祭……」
「はい」
「お相手はいらっしゃいますか?」
「え?」
急なお誘いが麗香の頭の中をぐるぐると駆け巡る。
なぜ私に。たしかに、後夜祭のパートナーは決まっていない。でも、ほとんど話したことのないひとと連れ立ってパーティーに行くのは気まずい。
目の前の男は人懐こい瞳と、清潔で優しい顔立ちで麗香を見ている。間近で見たのは初めてだったが、女子に人気があるのも頷けた。
「ええと、その」
「……鷹宮くんは、あやめ会長と参加されるでしょう?」
唐突に、暁の名前が出て心臓が口から出そうになった。麗香は動揺を悟らせないようにゆっくり言選ぶ。
「え? ええ、それはもちろん。誰もが知るところです」
「あなたはよいのですか?」
「はい?」
「ずっと、鷹宮くんをお慕いしていたのでしょう? あやめさんが現れてからもずっと。そのお気持ち、僕には痛いほどわかります」
何が言いたいのか。麗香は一歩後ずさった。どうやらただのお誘いではないらしい。
「どういう意味ですか……?」
「率直に申し上げれば。僕はあやめさんとパートナーになりたいのです」
「……それで? ご自分でお誘いになればいいじゃないですか」
「それが、すげなく断られてしまいまして。あなたが協力してくれれば、あなたは鷹宮くんと、僕はあやめさんとパートナーとして、パーティーに参加できるでしょう」
「そ、そんなの、無理に決まってます」
「そうでしょうか? あなたは初等部から鷹宮くんを一筋に見ておいでだとか。そんないたいけな気持ちを、鷹宮くんが無碍にできるでしょうか?」
静夜の言葉がじわじわと侵食してくるように、耳に染みる。
今、彼は何を話している?
正確に捉えられなくて、麗香は静夜の目を見る。その黒い瞳の奥に、小さな小さな花火のような光。麗香は魅入られる。
だめ、ちゃんと、聞かなければ。
「夜会の前に呼び出して、気持ちを伝えてみてください。たった一度、あなたの隣に立ちたいのだと。そうすればきっと、あなたの願いは叶うでしょう」
「そ、そんなことありませんわ。鷹宮さまは誰より気高い方です。私の願いなど、叶うはずありません」
「彼も男です。あなたのその一途な気持ちに、少しも揺れないなんてことはあり得ません」
「……でも」
静夜がもう一歩、麗香に近付く。静夜の整えられた黒髪が、麗香のすぐ上でさらりと揺れる。
静夜の耳で、シルバーのピアスがきらりと光った。
「あなたはとても、魅力的です。自信を持って」
静夜が不敵に微笑んだとき、麗香は思わず、頷いていた。




