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《章典祭三日目 文化祭初日》
「あやめさまぁ!」
「会長カッコいい!」
廊下を歩くだけで熱狂的に呼びかけられるのにあやめは笑顔で手を振り返した。
普段よりみんなの声がかかりやすいのはあやめのその姿のせいだった。
2年A組は執事喫茶。クラス全員が立襟シャツにネクタイを合わせた燕尾服の装いだ。
あやめは髪を高い位置でポニーテールにし、できるだけ男装に寄せている。
「会長っ写真撮ってください!」
「あっ私も!」
少し歩いては立ち止まって写真の希望に応えていると、そこに行列ができ始める。
喫茶の宣伝に歩いているのか、ファンサービスをしにきているのかもはや判別がつかなくなっていた。
「あやめ、そろそろ当番の時間だ」
迎えにきた暁が行列を一瞥した。何を考えているかわからない暁の視線に、生徒たちの間に緊張が走る。
「……続きは2-Aに来てくれ」
列に並んでいた生徒たちにそれだけ言うと、暁は問答無用であやめを教室に連行した。
休憩に入っても人の視線が騒がしく、あやめは暁に引っ張られるように、静まり返る図書室に逃げ込んだ。
「呼びかけ全部に応える奴があるか」
「だって、せっかく声をかけてくれたのに」
「それじゃこっちの身が持たない。見せ物じゃないんだ」
暁は執事喫茶反対派だった。自分が、そしてあやめがどういう立場かを理解しているから。結局は多数決で押し切られる形になったけれど。
本棚が立ち並ぶ室内の奥側、レースカーテン越しに柔らかな日差しが降り注ぐ窓際を二人は隠れるように歩く。喧騒の中の僅かな静寂に、あやめは一瞬、ここがどこかを忘れそうになった。
――が。ふと前を歩く暁が足を止めた。
窓下の棚に置いてあるのは学園新聞のバックナンバーである。暁が手を伸ばした先を見て、あやめは喉の奥で呻き声を上げた。
「……後夜祭の衣裳合わせのあとで言っていた、学園新聞というのは、これのことだったんだな」
「あー……うん。まあ……」
暁は一面に載ったあやめと暁と静夜のスリーショットをじっと見てから、隅々まで記事を読み始めた。
静夜は転校初日に教室で初めてあやめを見たそのときに一目惚れしたとか、生徒会室での二人きりの親密な逢瀬とか、章典祭の準備中に心が近付いたとか、あることないことがそこには書かれていた。
静夜の言動が逐一細かく記載されているその半分は記者の妄想によるフィクションなのだが、どうにも恋愛小説じみていて本人であるはずのあやめの方が恥ずかしい。
けれど所々事実も混じっているから、取材力は侮れない。
暁は読み終えた記事を折りたたんで元の位置に戻すと、盛大にため息をついた。
「一応言っておくけど、何もないよ? まあ暁とも何もないけど」
暁が唇をきゅっと引き結んだ。その表情がどこか拗ねているようで、言い過ぎたかな、と様子をうかがう。
でも、仕方ないじゃないか。だって本当のことだ。
「……もしかして妬いてる?」
「……ああ」
てっきり否定が返ってくると思っていたのに、さらりと肯定されて少し心臓が跳ねた。
「静夜だけじゃない。体育祭でも、俺がいないところで囲まれてた」
「あれは、たまたま」
「ダンスの申し込みだったんだろう? 誰と踊るんだ」
暁の靴の爪先が、あやめのローファーの爪先に当たる。暁が距離を詰めるから、狭い書棚の間であやめも僅かに体を引いた。
「踊らないよ、誰とも」
「あいつより俺の方が……あやめを知ってる」
そう言って暁はきっちり締められたネクタイの結び目を緩ませた。立襟の間から覗く喉仏がゆっくりと上下して、あやめは釘付けになった。
体育祭で日に焼けた暁の長い首。あやめの背中には本棚。紙と、埃のにおいの充満した、重い空気が沈殿していく。
あやめも知らずにこくりと喉を鳴らした。
暁がそっと、あやめの顔のすぐ横から本を一冊取り出してそっとあやめに渡す。以前、あやめが好きだと言ったことのある本。
自然に受け取って、あやめは暁を見上げた。
「な……なに?」
暁は動かない。あやめの軽く開いた足の間に暁の爪先があって、あやめも動けない。暁の上体がゆっくりと近付いてくる。
暁の胸は、厚くて、熱い。本を抱きしめて、あやめは俯く。鋭い視線が刺さるよう。まさに猛禽類に睨まれた鼠の如く、あやめは身を縮めた。
腕の中に囲まれて、触れないけれど逃げられない。少し、怖い。あやめより大きな体は簡単にあやめを包み込んでしまえるのだ。あやめの力ではどうすることもできないことが、わかるから。
暁はそのまましばらくあやめを見下ろしていたけれど、つと、あやめの頬に触れて上を向かせる。
「だめだ」
「……え?」
「こういうときは、ちゃんと拒絶をしないといけない。突き放していいんだ。あやめはたまに、ひとを信じ過ぎる」
暁が右手をあやめの頬から肩に滑らせて、腕を辿り、指先を掴んで持ち上げる。そのまま暁の胸にあやめの手を当てさせた。
「こうして、押していいから」
「……っ、暁……」
顔を取り繕うことができない。耳が熱い。色気がすごくて、狡い。そんなの、拒絶できるわけないのに。
「万理が言ってただろう。俺たちみたいな年頃の男は、危険だって」
「そ……そんなこと、ないよ」
「あるんだ。俺がいないときに近付いてくる奴は全員ちゃんと警戒するんだ。そんなに無防備では、こまる」
息が浅くなる。暁の顔が近い。
胸に押し当てられた手が、すごく、熱い。自分の手が? それとも暁の胸が。これは一体。暁はどういうつもりで。何のためにこの話をしている?
――こわい。
あやめは、持っていた本を勢いよく暁に押し付けた。
「わ、わかったから、離してっ!」
耳の奥で心臓の音が聞こえる。暁の腕はあやめにとって安心の象徴だったはずなのに。逃げられないと思ったら、途端に怖くなった。




