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「麗香?」
立ち止まった娘に気付いて母が呼びかける。その声に、自動ドアの向こうの彼が顔を上げた。
母が麗香の躊躇いなど意にも介さず、ドアをくぐる。
「近衛さん」
彼――鷹宮暁は、麗香を見つけてその澄ました顔でごく自然に名前を呼んだ。
「あら、鷹宮さま」
「ご無沙汰しています、近衛さんのお母さん」
「中学の卒業式にお見かけして以来ですわ。すっかり立派になられて」
母と暁が会話を交わすのを、麗香は涼しい顔を取り繕いながらハラハラと聞いている。母が変なことを口走ったりしないだろうかと気が気でない。
麗香と暁は初等部からの付き合いである。幼い頃から面識のある母が、暁に出くわすたびに気軽に話しかけるものだから、麗香はその度に心臓が口から飛び出ないよう心頭滅却を心掛ける羽目になるのだ。
それと同時に、暁がこんなところに一人でいるはずがない。そう考えていると、やはり暁の後ろから髪の長い美しい少女が顔を出す。
「暁、お知り合い?」
溌剌としたよく通る声に、切れ長の大きな目、透き通るような白い肌にばら色の頬と唇。長い手足。さらさらの髪。
彼女は当たり前のように暁の隣に並んだ。
「あら、麗香ちゃん」
「……これは、会長。お二人お揃いで、後夜祭の衣裳選びですか?」
「うん。麗香ちゃんも?」
「ええ。会長は初めてでしたね、こちらは私の母です。お母さま、彼女は生徒会長の藤堂あやめさん。……鷹宮さまのパートナーです」
母に気取られないよう、気を張って麗香は紹介した。あやめが、はじめまして、と言って一礼する。
「まあ、生徒会長でいらっしゃるの? ということは、鷹宮さまが副会長?」
「ええ、まあ」
「そうなの、とっても素敵なお二人ね。鷹宮さまがパートナーだなんて、羨ましい限りだわ。麗香もそろそろお相手を決めなければね」
母がせっつくように麗香に言う。近頃、母は卒業パーティーのために麗香のパートナー探しを始めようとしていた。
黎明学園の卒業パーティーは、原則パートナーと参加するのが決まりだ。入学パーティーは家族と、卒業するときには一人前の証にパートナーと。
もちろん必ずしも恋人でなければならないわけではないから、友達同士で組んだり、兄弟親族と共に出席する生徒もたくさんいるけれど、そこでのパートナーは将来にわたり重要な意味を持つ。
そのため麗香の家のように格式にこだわる家は、卒業パーティーのパートナー選びに慎重にならざるを得ない。母の頭の中では、暁も当然候補の一人、むしろ筆頭だっただろう。
あやめはにこりと笑って言った。
「麗香さんは素敵なご令嬢です。きっと素敵なパートナーと巡り会えます」
「そうだといいんだけれど」
暁があやめの腕をそれとなく引いた。
「では、私たちはこれで失礼します。ごゆっくり」
暁がそう挨拶をすると、二人は出入り口に向かう。暁にエスコートされてドアを出ていくあやめの背中を見送って、親子はそれぞれにため息をついた。
「あんな子、いた?」
母がそれまでのよそゆきの声音からいつものトーンに戻して麗香に訊ねる。あんな子、とは、あやめのことだと聞き返さなくてもわかった。
母は黎明学園の初等部、中等部からの同級生ならほとんどを網羅している。
「高等部からの外部生なの」
「そう」
僅かな母の沈黙に、麗香は靴のつま先を踏んづけるようにして俯いた。
「……ほんとうに、素敵になったわね。鷹宮くん」
しみじみ言う母を麗香は顔を上げてじっとり見た。そんなことは麗香が一番よくわかっている。
「……はやく行きましょ」
スタイリストに迎え入れられて、ドレスのブースに案内されると、ソファに腰を落ち着けて、タブレットで新作のドレスをチェックする。
ここは幼少期から贔屓にしているドレスショップだった。
誕生日パーティー、ピアノの発表会、父が家族同伴で招待されたパーティー、学校行事。何度も訪れているのに、暁と会うのは初めてだった。――つまり、あやめのために、この高級なドレスショップを選別したのだ。
それに、同じパーティーで同じドレスが登場することのないように、このドレスショップでは同一イベントで先に選ばれたドレスが別の女性の目に触れることはない。
あやめが先に選んだドレスは、このタブレットの中のドレス一覧からは消えていることだろう。
予約は、ドレスショップが優先順位をつけて取る。
これまで何年も贔屓にしてきたこのショップが、麗香よりも鷹宮の予約を優先した。麗香にとってそれは、屈辱以外のなにものでもなかった。かと言って、今からショップを変えるのも麗香の矜持が許さない。
考えれば考えるほど、麗香の心は溺れるように息苦しい。もがいても暴れても、決して酸素にたどり着けないように足を何かに掴まれている。
「気に入ったものはございましたか?」
スタイリストに話しかけられて、麗香はハッと顔を上げた。妄想に耽って周りが見えなくなるのは癖だった。外ではできるだけ意識を手放さないようにしているのに、つい考え込んでしまった。
「……ああ、ええと」
「これなんかどう? 桃色の素材が可愛らしく見せてくれるわ」
母が立ち上がり、飾られたドレスの中からスカートがふわふわと広がる、薄桃色のドレスに触れた。
いかにも麗香が好きそうなドレス。麗香は少女趣味で、いつも可愛いもの、淡い色のもの、柔らかい素材のものを好んでいたしそれが似合うと自負している。けれど。
先ほどすれ違ったあやめの、ネイビーのシンプルなワンピースを思い出す。飾りはなく、ただ一枚のシンプルなワンピースはあやめのスタイルの良さを完璧に見せていた。イヤリングもネックレスもない、長い髪が美しいだけ。
それだけなのに、どうしてああも存在感があるのか。
あれが鷹宮暁の選んだ女性。麗香とはまるで別の人種。
麗香だって見目は悪くない。整った目鼻立ちはお行儀が良く、フランス人形と母からは可愛がられた。可愛いものはさらに麗香を可愛らしく見せてくれた。麗香はそういう人間だ。
なのに、どうしても胸の奥で劣等感が膨らんでいく。それぞれに違った良さがある、なんて綺麗事では済まされない。彼が選んだのは、麗香とはまったく違うひと。
「……あやめさんは、どんなドレスをお選びに?」
スタイリストに訊ねると、彼女は首を振った。
「個人的なご質問にはお答えいたしかねます、お嬢さま」
それはそうだ。ショップの信頼に関わる。でも確かなことは、あやめがこのピンクのドレスを選ぶことは決してないということ。
「……最新のドレスを教えてくださる? 今までとは違って、少し大人っぽいものも着てみたいの。私ももうすぐ十七になるんですから」
十七歳。暁に初めて会ったのは六歳だったから、あれからちょうど十年が過ぎたところ。あれとはつまり、黎明学園初等部の入学式。
みんな同じ制服に身を包み、誰も口を開かず、よく訓練された犬のように新一年生は並んでいた。




