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小夜のフェンシング部襲撃事件が一段落し、章典祭の準備はさらに急加速していった。文化祭担当の千歳、宵、小夜が奔走する横で、万理はサンドイッチを手にしていた。
ランチタイムの生徒会室である。
「パンフレットの完成はぎりぎりになりそうですね。目標は火曜完成、水曜推敲、金曜日には刷っておきたいですが。あとはオープニングイベントの……え、台本がまだ上がってない?」
「オーケストラ部が編成変えたいと言ってまして、備品の在庫チェックが必要で」
「廊下でゲリラライブをやりたいって軽音がリクエストしてきてる? 廊下ってどこ?」
千歳が目を血走らせながら生徒会室と隣の実行委員会室を行ったり来たりしている。宵はもぐもぐとおにぎりを頬張りながら備品の在庫表と睨めっこ、小夜は呼ばれて今しがた生徒会室を出ていったところだった。
あやめ、万理、静夜の三人はソファでお昼を食べながら、残タスクを整理していた。
「……僕たちもお手伝いした方が良さそうですよね」
お弁当を食べ終えた静夜が気まずそうに言う。
「今年は静夜のおかげで、めちゃくちゃ楽させてもらったからねぇ」
パックのコーヒー牛乳を飲みながら万理がのんびり言った。体育祭の事前準備はそもそも多くはない上に、今回は静夜が書類仕事を一手に引き受けてくれたためにあやめと万理は時間を持て余す形となった。
静夜はプログラムの作成、競技の特別ルール策定、予算管理のほとんどをAIと表計算ソフトを組み合わせて短時間で仕上げ、人の手でチェックだけすればいい、という荒技を披露した。
静夜の手腕にあやめと万理は万雷の拍手を送った。
「勘違いしないでくださいね。あやめさんのためで、万理を楽させようと思ったわけじゃないんで」
「なんでもいいよ。結果的に俺も楽できたんだから」
「残りはクラスTシャツとかハチマキとかの納品物チェックくらいだもんね。私たちも文化祭手伝おう。放課後の実行委員会で委員のみんなにも協力仰いで」
「そうしましょう」
あやめが食べかけのお弁当箱を閉じて食事を終わらせようとしたのを、静夜はそれとなく見咎めた。
「……食欲、ありませんか?」
「え?」
「あまり食べてないようだったから。体調悪かったら言ってくださいね」
あやめは薄く笑って首を振った。
「ううん、大丈夫。ちょっと……ダイエット? ほら、後夜祭でドレス着なきゃだから」
「しなくていいですから。あやめさんは充分素敵ですよ。華奢すぎるくらいだ」
静夜が立ち上がってあやめの隣に座り、額に手を伸ばした。掌で熱を測るように。
「無理しないで」
「あっこらっ」
万理が静夜を止めようとしたとき、生徒会室のドアが開いた。覗いたのは一般の女子生徒数名だった。
「あのぉ……文化祭の……意見書は」
女子生徒たちの目には、あやめに触れる静夜が映っている。きゃあ、と声を上げる一人に、もう一人がシッ! と注意をした。
「ああ、章典祭のことなら隣の実行委員会室ね」
万理に誘導されて彼女たちがそちらへ駆けていく。万理が振り向いて呆れたように言った。
「あーあ、また噂になっちゃうよ、あーちゃん」
反応の薄いあやめに、万理はドア口から戻ってきた。
「え、なに。もしかして本当に調子悪い?」
あやめは自分の首に手の甲を当てて顔を顰めた。万全ではないが、休まなければならないほどではない、と思いながら。
「いや、大丈夫。ちょっとボーッとするだけ。熱はないよ」
「暁に言っとく?」
「それはだめ。季節の変わり目だからかなぁ……平気だよ、本当に」
十月に入り、日中はまだまだうだる暑さだが、朝夕の気温は徐々に下がりつつある。あやめは万理にもう一度、暁には言っちゃだめだよ! と念押しした。
暁は今頃、理事室にいる。後夜祭の準備は主にそちらで行われている。後夜祭組も、今、相当忙しいはずだ。
ここしばらく、暁は昼食時も放課後も、理事室か競技場で過ごしているから、授業中以外はあまり会っていない。
章典祭までは忙しいから仕方ない。あやめは自分のやるべきことをやるだけ。
「もう少し休憩してから、教室に戻りましょう。寝てもいいですよ」
「うん。え、ここで?」
静夜があやめの肩を押してソファに横たわらせた。
「僕たちは出てますから。時間になったら起こしに来ますね」
静夜は万理を連れて生徒会室を出ていった。さっきまでそこにいたはずの宵もいつの間にかいなくなっている。あやめは静まり返った部屋の中でひとり瞼を閉じた。
生徒会室を出た静夜は万理と教室棟に繋がる渡り廊下へ出た。朝から『しとしと』という擬音語のよく似合う秋雨が降っている。
あやめの体調が崩れたのは気圧の変化のせいだろうか、と曇天を見上げた。雨が降るごとに、季節は着実に夏から秋へと移り変わっていく。
「どうしてあやめさんは、鷹宮くんに頼らないんだろう」
静夜の独り言に、万理が反応した。
「心配かけたくないからじゃないの」
「心配をかけたら嫌がるような男なのか? 彼は」
「そうじゃなくて。暁の問題ももちろんないわけじゃないけど、あれはあーちゃんの問題」
万理が渡り廊下の仕切りに手をついて生徒会室の窓を見上げる。
「お互いにちゃんと手の内見せあって頼り合えばいいのに、お互いに腹ん中隠しながら対等でいようとしてるんだよ。そんなの、上手くいくわけないんだけど」
「……それって、恋人って言える?」
「いやぁ、言わないんじゃん? だから二人は関係を公言しない」
「じゃあ、僕にもチャンスはあるってことだ」
万理が振り向いた。静夜も万理を見返す。
「……本気にならないって言ってなかったっけ」
「気が変わった」
「惚れた? あーちゃんに」
万理が存外真面目な顔をして聞いてきたので、静夜はどう答えようか、と少し迷う。
鴉は本気でひとを好きになったりしない。静夜にもそれは当てはまる。静夜が願えば、あやめの心は落ちてくるから。
でも、静夜が欲しいのはそういうのじゃない。あやめの本当の心が欲しいと思う一方で、きっとそれは叶わないと思ったりもする。鷹がいる限り。
「……好きになりたい」
静夜はもう一度曇天を見上げる。傷付けずに、操らずに、どうしたらあやめの心が手に入るのか。
静夜とあやめの関係がまことしやかに囁かれるようになるまで、そう時間はかからなかった。
元々、静夜が転校してきてすぐからあやめとの距離は近かったし、お昼も放課後も一緒にいるのはもう暗黙の了解に近かった。加えて、鷹宮暁の不在。章典祭の準備があるとは言え、あやめの隣に当たり前にいた存在が消えている、というのは周囲に相当なインパクトを与えた。
学園新聞も静夜と小夜の記事が好評だったこともあり、鴉森兄妹をピックアップしていたら自然あやめとの交流もレンズに写っていた……という形になった。
これまでは暁の牽制であやめが学園新聞に載ることは珍しかった(学園行事は別として)が、新聞部からすれば、暁の不在はそこでも有利に働いた。
『王子VS騎士 女王の心はどちらに?』という見出しが躍った号は新聞部始まって以来の発行部数を記録した。いつの間に撮ったのか、あやめを中心に、両側に暁と静夜が並ぶスリーショットはファン必見と話題が話題を呼んだ。
あやめと暁が口を閉ざすのはいつものことだが、静夜もまた何も語らなかった。
語られないがゆえに、憶測は広く飛び交っていく。




