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「どう? 黎明学園は」
体育祭実行委員会が解散し、生徒会室に残った静夜にあやめが話しかけた。
文化祭と比較すると、事前準備は備品チェック、プログラムの作成や放送台本の作成、BGM集め、応援団の調整くらいでそこまで忙しくない。代わりに、前日準備で週末を費やすことになるのと、当日の対応が多く、体育祭開催期間中は走り回ることとなる。
今日は章典祭実行委員会の臨時教室で文化祭実行委員が関係者を集めて説明会を行なっていたため、体育祭実行委員会は生徒会室を使用していたが、議題がまとまれば早々にお開きとなった。
「皆さん優秀ですし、独自のイベントも面白いですね。この高級パン食い競争とか。予算が潤沢にあるって素晴らしいなぁ」
静夜はパラパラと体育祭資料をめくり、今日の会議で出ていた作業内容のメモをスマホで撮影する。
「あとで議事録共有しますね。今週中には終わらせましょう」
「ありがとう」
あやめが窓の外に目をやると、まだまだ明るい日差しの下、特別棟から校舎棟へ歩いていく小夜の姿が見えた。
「小夜ちゃんも、慣れたかな?」
「小夜ですか? あの子は……新しい場に慣れるとか慣れないとか、そんな繊細な感性は持ち合わせていませんよ」
静夜とはここ数日一緒にいることが多いけれど、言動も行動もいつも誰にでも紳士的な彼がそんなふうに言うのは妹の小夜にだけだ。
静夜が立ち上がって、あやめの隣に立つ。そっと指先を窓枠に置いた。
「……あやめさんも万理のように、あの時のこと、怒っていますか?」
静夜がぽつりと問い掛けた。音のない教室に落ちた一滴の染みのよう。あやめは倉庫の扉に一瞬だけ目をやって、少し考えてから答える。
「うーん……。怒ってると言うか……暁があんな感じなのに、私が怒るなんて烏滸がましいかなって思ってる」
「そうですか? あやめさんは巻き込まれたわけですし、万理よりは怒る資格あると思いますが」
静夜も万理が怒るのはお門違いと思ってるんだ、とあやめは苦笑した。
「そうかな。でも、静夜くんたちにも事情があるってわかってるし。それに……」
「それに?」
あやめが遠くを見つめる。静夜はその横顔を見下ろした。
「もし私が怒ってるとしたら、それは何もできなかった私に、かも。暁が苦しんで、宵ちゃんに助けられて、私は何もできなかった。それが、悔しいかなぁ」
あやめの後悔はとても小さくて、隣にいる静夜にやっと、微かに届くほどだった。夏はまだ終わらないというのに、少しも日焼けの様子が見えないつるりとした頬。薄く染まった頬はばら色で、それがメイクなのか素なのかは、静夜には判断がつかない。静夜はその白い横顔を見つめ続けるのに、あやめはこの距離で見られていてるのにも関わらず、一点先を見つめるように微動だにしなかった。
「……どうして」
さらに問いかけようとした静夜の言葉を遮って、あやめが大きな声を出した。
「あ!」
静夜はその声に、びく、と肩を揺らす。
「小夜ちゃんの後ろ」
「え?」
「ほら、男子が呼び止めてる」
渡り廊下を歩いていったはずの小夜が戻ってきたが、どうやら男子生徒に話しかけられている様子だった。小夜が後ずさるのに、男子生徒はついてくる。窓を開けると、コンロの上の焦げたフライパンのような熱気と共に、小夜の鋭い声が聞こえる。
「もうっ、しつこいなぁ!」
「しつこいってなんだよ。ちょっと遊ぼうって言ってるだけなのに」
「はあ? バカにしてんの? なんであんた程度のよくわかんない奴と私が遊ぶと思ってんの? ふざけるのも大概にしてよ」
わかりやすく揉めている。初日に万理とやり合ったときと同じく、なかなかの強気ぶり。
「ふざけてないって。怒るなよ。可愛い顔が台無しだぞ」
嫌がる小夜の肩に男子生徒の手が伸びる。あやめは窓枠に足を掛けた。
「ちょ……! 何してるんですか!」
あやめが窓の外に身を乗り出そうとするのに驚いた静夜が、慌ててあやめを止める。
「助けなきゃ」
「だからって飛び降りる必要が?! あなたも相当ですね……」
「大丈夫、慣れてるし」
再度飛び出そうとするあやめを制して、静夜は小夜の方へ視線を移す。
「小夜なら平気ですよ。見ててください」
静夜が落ち着いて言うのを、納得できないままあやめも見守る。小夜はさらに何度か言葉での応戦を繰り返していたが、無駄だと思ったのか。
小夜の手を掴んでいる男子生徒の手を逆に掴み、持ち上げた腕の下にくるりと体を翻すと彼の背中に回る。腕を捻り上げ、驚いている男子生徒をさらに木の幹に押し付けて手首を締め上げた。
「いっ……いたたた!」
「可愛い女の子に負けてこのザマ? カッコ悪いね。二度と私の前に現れないで」
小夜が手を放すと、男子生徒はやっと帰っていった。
あやめは感心しながら拍手を送る。小夜が生徒会室を見上げた。
「あやめちゃん。静夜」
「小夜ちゃん、カッコいい~。大丈夫? ケガしてない?」
「うん、全然。でも時間無駄にしちゃったぁ。行かなきゃ」
じゃあね、と手を振って小夜はまた校舎棟の方へと走っていった。あやめと静夜がその背中を見送る。
「あの性格ですが、顔だけはいいので……心配した父が、幼い頃から護身術と合気道を習わせてたんです」
「静夜くんは?」
「僕は、あまり適性がなかったようで。少し習いましたが、全然身に付きませんでした」
静夜が苦笑いした。
「そういえば、あんまり似てないよね。静夜くんと小夜ちゃんって」
静夜は少し驚いたように、目を見開く。
「……そうですか? そんなふうに言われたのは、はじめてだな」
「もちろん二人とも美形だけど、なんか方向性が違う顔してる」
あやめは窓から離れて会長デスクへ座った。静夜はその場に立ちすくんだまま、視線だけがあやめを追う。
「……母親が違うから」
あやめが顔を上げると、静夜は少しだけ微笑んで、また窓の方へ向いた。静夜のまっすぐな背中が見える。
「三家には、それぞれ力の代償があります。鴉森の代償はなんだと思います?」
「え……鴉森の力は、離れている場所を見ることと、人の心に干渉すること、でしょ? それに関連する代償?」
「ええ」
あやめはしばらく顎に手を当てて考え込んだ。鳥の力の《代償》。鷹宮と白鷺の《ほんとうの代償》をあやめはまだ知らない。容易に他人に知らせるものではないと思っていたが。
「……わかんないや。私が聞いてもいいこと?」
あやめが素直にそう言う。ややあって、静夜は体を室内に向けた。窓に軽くもたれかかる。
「……人の行動が見えてしまうこと、人の心が僕たちの干渉によって変わってしまうこと。このふたつによって、他人を心から信用できないことが、僕たちの代償です」
あやめは伏せられた静夜の長いまつ毛を見つめた。瞬きをするたびに、その艶やかなまつ毛が震える。
「だから、人を愛せない。僕たちの父もそういう人だったんです。僕の母も、小夜の母親も随分父に振り回されて、傷付けられて。……僕と小夜は数ヶ月しか誕生日が違わないんですよ」
静夜の語尾が微かに震えた。優雅で、余裕があって、小夜に振り回されるばかりの静夜の一番奥。
それは他人に向ける完璧な顔とは違って、とても脆そうに見えた。
「小夜ちゃんの破天荒なところは、お父さん譲り?」
あやめがそう訊ねると、静夜が顔を上げた。まつ毛の下の黒目がちな瞳にあやめが映る。
「……そうですね。たしかに、そうかもしれない」
「静夜くんのその意外と律儀なところは、お母さん譲りなのかな」
「どうでしょう。母とはあまり長く暮らしていないから」
「そうなの?」
「血縁者は大事にする一族なので、僕も小夜も、物心着く頃には父のもとで暮らしていましたから」
室内に沈黙が落ちる。あやめは、どう反応したらいいものかと思案する。
弱さを見せてくれた男の子は初めてだったから。暁は――きっと、こんなふうに心の内を見せてくれることはない。
そんなあやめの逡巡を読んだように、静夜はまた微笑した。
「戸惑わせてしまったら、すみません」
「ううん……静夜くんのこと、ひとつ知れたよ」
「じゃあ、これから少しずつ、ゆっくりでいいので、僕のことをもっと知っていってください」
また明日。静夜はそう言って生徒会室を出て行った。
あやめはもう一度窓の外に目を向けた。まだ日は長いけれど、ほんの少し空の色が薄くなる時間帯だった。
*
その日、今日も実行委員会室での仕事に取り掛かろうと向かっていた暁・あやめ・静夜の元に、宵のクラスメイトが血相を変えて走り寄ってきた。
「会長、副会長! たたた、大変です! 小夜が……!」
「瑞葉ちゃん、落ち着いて。小夜ちゃんがどうしたの?」
あやめが瑞葉を落ち着かせようと背中をさする。
「小夜が……、フェンシング部を道場破りしてるんです!」




