扉は開かれた
針葉樹の生い茂る霧深い森の奥は、重なり合う幾億の葉に阻まれて日差しが届かない。鬱蒼とした森の中を彷徨えば、運が悪ければ崖にぶつかる。
運が良ければ――それは壮大な神の社へ続く道へと繋がる。
白い外塀に囲まれた、ともすれば城のような社と呼ぶにはあまりにも勇壮な社殿の中で、彼女はひっそりと息を吐いた。
季節は春から夏に移ろうとしているのに、社殿の中は冴え冴えとした静謐な空気が充満する。
古びて所々朽ちた木壁を辿れば、最奥には大人が横に三人並んでもまだ余裕のある巨大な扉があった。
扉には一級の宮大工によって施された円形の魔法陣のような意匠が彫られている。よくよく見れば、それは鳥の形だった。白鷺を頂点に、鷹、鴉がそれぞれ左右下方に両翼を広げている。
部屋の中に堂々と佇むその扉の向こうに、どんな景色が広がっているのか。
それを知るのは、元々僅かな者だけ。今となっては、彼女のみである。
そして――近く、また一人、あの扉を潜らんとする少女がいた。
少女が扉を開くことは、生まれついての運命。少女と――彼女は、白鷺の血を継ぐ者。
白鷺だけがあの扉の向こうに足を進めることができる。それは幸か不幸か、彼女にはまだわからない。
かつてはそれが己の生まれてきた意味だとさえ思っていたけれど。
そこは鈴を打ったように静まり返っている。湿度のある濃密な空気が、重力に逆らえず硬い床に座る彼女へ降り積もる。
何年もそこにいたかのように肩に層をなす空気の重さに、彼女は目を閉じて深く呼吸をした。肺に冷たい空気が満ちていく。
とうに凍りついた心をさらに固く閉じ込めるように。
すこしして、彼女は枯れ枝のような両手足に力を込めた。
か弱い体を杖を頼りに起こして立ち上がり、ゆっくりゆっくりと両足を引きずるように歩く。彼女にはいくらでも時間があった。急ぐ必要はどこにもない。
数十年、陽の光を浴びることなく、ほとんど立ち上がることもない日々を過ごした。
静脈の透ける生白い肌も、筋肉のほとんどない腕も足も、彼女が今、立ち上がり杖を持ちながらも歩くことができていることを奇跡のようだと伝えている。
彼女はもう、神には会えない。夕日を留める封印が、ほんの僅かの時間解かれたことを察知したのみ。
神は今もなお、沈まぬ夕日の前に孤独をどう慰めたものかと思案し続けている。それをそばで分かち合うことは、もうできない。
彼女にできるのはもはや祈ることだけ。扉に向い、両手を握りしめて。
どうか、神の時間を留めてほしいと。
それは、祈りというよりはもはや彼女の願いだったが。
あの子が来る。間も無く。彼女の代わりに神のそばに馳せ参じることのできる、白い鳥の御使。
彼女はその事実に、嫉妬のような強い感情を覚えた。
それもまた、仕方のないこと。
彼女は永く生きすぎた。憤りを靄に変えることも、永い人の生の中で十分に訓練した。永く生きれば、かの神のようにどんな細波もすべて遠くのどこかでの出来事のように思えるのかと思っていたが、そうではないらしい。
「……まがいもののくせに」
訓練はあまり役に立たなかったらしい。ふとついて出た呟きは彼女の心に黒い染みを落とした。
そこは島根の山奥にある、白鷺神社。
彼女の名前は白鷺真宵。宵の祖母、真昼の双子の妹だった。




