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今日もまた、最悪な目覚めから暁の朝がはじまる。
「――っ……!!」
浅い呼吸を何度か繰り返し、宙に伸ばした手をぐっと握りしめて暁は体を起こした。
年に一度、冬のはじめに見ていた例の夢を、合宿のあとから定期的に見るようになってしまった。
腕に触れる生々しい手の感触。崖を落ちる寸前のあやめの笑顔。そして、届かない暁の指先。汗をかいていたはずなのに、ぶるりと身震いをした。どうしてこうも、臨場感のある夢なんだか。眠るたびに体力を奪われてはたまったものじゃない。
鷹の襲来のあとも、夢に変化はなかった。どころか、日に日に鮮明になっていく。これは、その日が近付いてきているからなのか。
「――封印をやめようと言っている。鴉森が」
暁の父、天明がそう言った。鷹宮邸のリビングで、ウィスキーを傾けながら。三家会議の日の夜のことだった。暁は向かいのソファに座って、じっと父の言葉に耳を傾けた。
「だが、やめることで起こるリスクがまだはっきりしていない。しばらくは調査をして、問題がなければ、取りやめる」
「……問題、ないのでしょうか」
「……ないわけがない。問題ないんだったら、俺たちがしてきたことは何だったんだ」
舌打ちをして、天明が吐き捨てる。
天明も、祖父も、封印に際しもっとも大事なものを捧げてきた。
鷹宮が封印に捧げるのは《鷹が愛したひとの記憶》。そのとき、一番愛しているひとの鷹の記憶と引き換えに、扉は封印される。
暁が生まれたばかりの頃、天明は封印を行った。そして、愛するひとの記憶の中から、天明は消えた。暁の存在も。
もし予定通りに封印が行われるなら、そのときは暁の番だった。それはおそらくあやめの中の暁の記憶と引き換えに。
「この封印で守っている《秩序》とやらも、どういう経緯でそうなってるかも、全部知ってるのは白鷺だけだが、今の白鷺は何も知らない」
「それは、どういう……」
「記憶の継承が終わってないんだと。本来なら十八で継承されるが、娘が十八になる前に、母親が身罷ったからな」
複雑な状況に天明も額に手を当てた。暁は納得した。妙なほど何も知らない宵のその素直さに。
「それなら、白鷺が十八になるのを待つのですか?」
「いや。今年の十月に行うそうだ。鴉が過去の記録を調べるとは言っているが、白鷺を待った方が正確だろうしな」
十月。ちょうど章典祭と重なる時期だ。それに、記憶の継承とはいったいどんなものなのか。
「……もともと十八歳を予定していたのに、それを二年も前倒しにして、彼女に負担はないんですか?」
暁の素朴な疑問に、天明は暁を凝視した。そして、天を仰ぐ。
「いやそりゃ……、そりゃ、負担だろうなぁ。なにせ千年分の記憶が流れ込むんだから」
千年分の記憶。鷹の代償と、白鷺の代償。それぞれに違う役割を担い、目的を同じくする。いわば同志のような存在。
改めて暁は宵の姿を思い返した。まだ小さくて、華奢な少女。あの少女に、そんな重たいものを背負うことができるんだろうか?
圧し掛かる課題があまりに大きすぎて、現実味がない。それと同時に、重荷を背負うのが暁だけではないことを実感して、身勝手にも心が軽くなった。……情けないことだが。
天明がグラスを揺らすと、中の氷がカランと音を立てた。
「……おまえの夢に、変化はないんだろう?」
「はい。変わりません」
「どういう仕組みだか、夢見たことはそっくりそのまま起こる。覚悟だけは忘れるなよ」
「……はい」
グラスの中身をぐっと飲み干した天明に、暁は立ち上がって背を向けた。
――夢見たことはそっくりそのまま起こる。か。実際に経験している父の言葉なのだから、本当なのだろう。朝の光の中で、暁は枕に顔を埋めた。
想像する。あやめの中から、暁の存在が消えたら。あの笑顔はもう、暁には向けられない。あの絶対的な信頼が、暁でない他者に渡ることになる。
あやめの信頼は、驚くほどに心地良い。なぜなら、それは暁にしか向けられていないと知っているからだ。それが消える。本当に、あやめは暁以外の誰かにその信頼と同じものを向けるのか? だとしたら、誰に?
それに、夢。夢であやめは崖から落ちていく。どうしてそうなったのかも、その先あやめがどうなったのかも、何もわからない。わからないことだらけの中で唯一わかっていることは、どのみち暁はあやめを失うということだけ。
「お前を失うことでしか、世界は守れない――か……」
世界だなんて、大げさな。暁は自嘲した。本当は、世界だの封印だの、そんなのはどうだっていい。守りたいのはあやめだけ。あやめが笑っていれば、それ以外は何も望まない。
暁は体を起こした。あやめに会いに行かなければ。
初夏の濃い緑の香りのする庭に続く障子を開けて、暁はその光を全身に浴びた。




