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合宿から数日。あやめは生徒会室のデスクに座ってシャープペンシルでノートに文字を書いていた。
扉が開かれた。暁の体調不良。鷹の襲来。宵の時間停止。暁の場所を見る力。扉を閉める。宵が眠る。……。
一連の事件を書き出しては、ぐしゃぐしゃとその上から黒く塗りつぶして頬杖をついた。窓の外は快晴。暁は剣道部の朝練だ。遠くで運動部のランニングの声がする。野球部か、バレーボール部か。
「ばんくん、バレーやろうよ」
「えぇ~やだよ、眠いし」
ソファに寝転んで文庫本を顔に乗せていた万理が、本をずらしてあやめの提案を断る。あやめはますますため息を深くした。
「……だよね」
「ずいぶん考え込まれてますね」
千歳が言う。千歳は万理の前に座って紅茶を飲んでいた。紅茶派だったのは千歳だった。暁も、あやめも、万理も、飲み物にはこだわりがなかったり、炭酸飲料が好きだったりする。最近では宵が持ってくる緑茶が美味しいとみんなが言うと、今度は千歳がフレーバーティーを持ってきたりして、ティータイムのバリエーションが豊かになった。
「うん……。うーん……」
「それくらい、体育祭の打ち合わせにも頭を使ってほしいですけど」
「ちゃんとやってるよぉ、合宿でも暁が帰ったあとは、真面目にやってたでしょ?」
「そうでした」
暁はなんでもやってくれる。勉強も教えてくれるし、あやめの代わりに書類を作ったり、あいさつ文を考えたり、会議のアジェンダを作ったり。もともとは俺が会長に指名されていたのを、無理やりあやめに押し付けたのだから。そう言って。
暁はいつもあやめの影のように寄り添ってくれていた。あやめはいつも、そんな暁におんぶにだっこだった。でもそれでいいと思っていた。暁はいつも何も言わないから。
何も言わないことは、何もないということではないのに。
暁は自分の身に起こっていることを隠していた。あやめが頼りないから。暁が自分で解決しようとしてたから。あやめだって、暁が一人で解決できることならきっと聞いたりしない。だって、暁だから。彼は何でもひとりでできるから。あやめなんていなくても。……。
「はーあ」
本日、すでに何度目かの深いため息が漏れ出た。表の仕事だけをこなしていればそれでも対等のつもりでいたのに、実際は全然そんなことなかった。あやめはなんでも暁に言うのに、暁は何にも言ってくれていないことを、今さら気付くなんて。
「バカあかつき」
突っ伏した腕の中で、誰にも聞こえないように悪態をつく。万理に聞かれたら怒られるから。
「そろそろ練習も終わる頃でしょう。迎えに行ったらいかがですか」
あやめの頭頂部に向かって千歳が言う。
「喜びますよ、暁さま」
「……うん、そうだね」
言われるがまま、鞄を持ってあやめは競技場へと向かった。
競技場の前ではすでに部活を終えた生徒たちが出てきていて、あやめが来るのを見つけた生徒たちが「あやめさま!」と声を上げている。あやめはにこやかに手を振った。中学まではこんなふうではなかった。
たしかにモテはしたが、遠くから名前を呼ばれて手を振られる、なんてことは起こりえなかった。普通の中学生だったから。
まさか自分がこんな扱いを受けるようになるとは、思ってもみなかった。それが、暁と一緒に行動するようになって当たり前になった。
「鷹宮はまだシャワー浴びてますよ」
「じゃあ、待たせてもらおうかな」
剣道部の部員に、暁がまだ中にいることを聞いて競技場の入り口で待っていると、フェンシング部の生徒からも手を振られる。笑って手を振り返すと、たったこれだけのことでずいぶんと喜んでもらえた。はーあ。でもこれも自分の実力じゃないんだ。そう思ったら、もうどこまで落ち込めばいいのかわからない。
何か考え込んでるふうに目を伏せていると、話しかけられなくなる。そういう、空気の操作もいつの間にか得意になっていた。
「あやめ」
少し離れたところから、暁の声。暁はいつも、その目の良さであやめを真っ先に見つけてくれる。でもあやめは、そんなふうに暁を見つけられない。
「悪い、待たせた」
「ううん。私が勝手に待ってただけ。おつかれ」
肩にタオルをかけ、髪が濡れたままの暁からは石鹸のいい匂いがした。くん、と近くを嗅ぐと、やめろと怒られた。……照れている。
言葉にしなくてもわかることはいくつもあった。暁の表情や、仕草や、その強い視線が、あやめを大切だと伝えてくるから。
今も、暁のあやめを見る目は優しい。
「あやめが来ると、すぐにわかるな」
「どうして?」
「にぎやかになるから」
にぎやか。暁はいつも静かで、近寄りがたい。周りも配慮してくれるのか、暁がひとりでいると、だれもがどこか遠くから眺めることに徹する。でもあやめがひとりでいると、たしかに周囲はにぎわうかもしれない。あやめはにぎやかな場所が好きだった。校舎に向かって歩き出した暁に並んで、あやめも歩き出す。
「調子、どう?」
「調子? ……悪くないが」
「そう? 本当に?」
「もう平気だ。本当に」
合宿での一件から、あやめは会うたびに暁に体調を聞くようにしている。たぶん暁は、自分から異変を言おうとはしないだろうから。でも、あやめはそれに甘えたくはない。
――不安だから。
倒れる暁を抱き留めながら、あやめはどうしようもない無力に苛まれた。宵が倒れたときだってそう。なんで私には誰かを助ける力がないんだろう。いつも助けてもらってばっかりで。
口ではなんとだって言える。知っていればとか、情報を持っていればとか。でもいざというとき、やっぱりあやめは無力だ。
「ね、暁」
「ん」
「宵ちゃん、大丈夫かな」
「……さあ、どうだろうな。朝日さまは、三日間も眠り続けたことがあると言っていたし」
「そんなに……」
あやめが視線を下げると、暁はそっと腕に触れた。あやめが見上げると、見下ろす視線と目が合った。
「……大丈夫だ、きっと」
根拠もなく、暁はそう言う。あやめを励ますために。不安にさせないために。
「……うん」
あやめは笑った。暁がほっとしたように、微笑む。――暁は、あやめが笑うと笑うのだ。
……仕方ない。漠然とした焦燥感は消えないけれど、暁の望みがあやめの笑顔なら、あやめは笑うしかない。いつだって、笑っていよう。あやめにはそれしかできないのだから。




