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夕刻。
学園内の施設のひとつであるダンスホールでは入学パーティーが行われる。
着替えを終えた女子生徒たちは控室でパートナーを待っていた。
デビュタントに近しい役割を果たすこの入学パーティーは、基本的に親、きょうだい、もしくは親族などの保護者がパートナーを務める。
女子は白のドレス、男子は黒のタキシードとドレスコードが定められていた。
部屋の真ん中にずらりと並べられたドレッサーの前に女の子たちがこぞって自分の姿を映す。
宵もまた、髪に飾ったリボンのバレッタが歪んでいないかを気にしながら父親の到着を待っていた。
教室ではあれほど姦しかった女子たちも、このときばかりは緊張のためか口数少なだ。
パートナーが到着すると、先生が控室の入り口で生徒の名前を呼びあげ、二階の入場口で落ち合って会場のホールへ入場する流れになっている。
宵の名が呼ばれたのは、女子生徒がほとんど呼ばれたあとのことだった。
「白鷺宵さん」
やっとだ。ミモレ丈の光沢のあるドレスの裾を払って、少しすまして部屋を出た。
先生に誘導されてホールの扉の前に進むと、そこには見慣れない父の姿があった。
白鷺清貴は背はそれほど高くはないが、頭身のバランスが取れたすらりとした体躯をスーツに包んでいる。
「宵」
嬉しそうな顔で清貴が小さく手を振った。
普段は和服か、動きやすいスウェットやトレーナー姿の多い清貴が意外にもスーツを着こなしていることに驚く。
「パパ」
左腕の隙間に右手を差し入れて寄り添うと、清貴が目を細めた。
「ドレス、よく似合ってる……ママに似て、綺麗だよ。とても」
「……ありがと。パパも、素敵だよ」
二人きりの家族になって、まだ数ヶ月だった。
しっかり者で、いつも清貴と宵を導いてくれる存在だった母。
清貴はあの日から、いや、母の病気がわかってからは、ずっと目の下にクマを作っていた。けれど今日は顔色がいい。
よろしいですか、と問うドアマンに頷くと、両開きの扉が開いた。シャンデリアが眩しい室内へと足を踏み出す。
「白鷺家の御令嬢、宵さんとそのお父様です」
宵が入場したとき、すでにホールにはほとんどの生徒が入場したあとだった。
離れたところにいた瑞葉が宵の入場に気付いて駆け寄ってくる。
「やっと来た! 待ってたよ」
「ごめんね、父が遅かったみたいで」
「え? 入場の順番て決まってるんじゃ……あ! いよいよ来るよ」
瑞葉に促され、先ほど降りてきたばかりの大階段の上を見上げる。
「黎明学園、生徒会長・副会長の入場です」
紹介のコールと共に扉が開き、生徒会長――藤堂あやめが階上に姿を現した。
その一歩後ろに副会長の鷹宮暁が寄り添う。
二人は今朝見たままの制服姿で、エンブレムの刺繍された胸には白のチーフが飾られていた。
先に階段の前へ進み出た暁が手を差し出すと、あやめが右手を添えた。
途端、ホールから黄色い悲鳴が上がる。
二人は臆することもなく、真紅の絨毯が敷き詰められた末広がりの階段を優雅に降りてくる。
背が高く手足の長い二人はシルエットでさえ完璧だった。
階段下まで来ると、あやめがスタンドマイクの前に立った。
暁はやはりその一歩後ろに控え、しかつめらしい顔をしている。
あやめはゆっくりとホール全体を見回し、そして柔らかく微笑んだ。
「新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。
黎明学園高等部、生徒会長の藤堂あやめです。
在校生一同を代表して、皆さんを歓迎します。
今日からは高等部の生徒として、さらに意識を高め、規律を守り、勉学に励みながら、学園生活を思いきり楽しんでください」
あやめの挨拶が済み、学園長が乾杯の音頭を取ると、管弦楽の生演奏と共にパーティーが始まった。
春休みの間には学園主催のダンスレッスンが開催され、宵のような高等部からの入学組は突貫でダンスを学んだ。
とは言っても、歩く・手を取る・回るの動作が基本で、難しいステップまでは辿りつかない。
兎にも角にも、ファーストダンスさえ覚えればいいと言われ、全員が一列に並び、順に相手を変えていくミキシングダンスだけなんとか踊れるようになった。
間も無くファーストダンスが始まる。
レッスンで習った通り、ホールの中心に並び始めた一年生の中に宵も瑞葉と一緒に混じるのだった。
最初のダンスだけは全員参加が決められており、それ以降は任意のダンスの時間だ。
親子や、中学時代から親しい間柄の一部の生徒たちがワルツを踊っている中、宵は瑞葉と共に料理の置いてあるテーブルを物色していた。
清貴は学園の理事たちに挨拶回りをしてくると言ってどこかへ消えた。
瑞葉の父親は、瑞葉が中学時代から仲の良いパパ友達と談笑している。
「これ、おいひーい」
宵がローストビーフを頬張る横で、瑞葉がいちごの乗ったプディングをスプーンでつつきながら苦笑する。
「よくお肉食べられるね」
「え? ダメ?」
「ダメじゃないけど。ほら」
そう言って瑞葉が周囲をそれとなく見渡す。
最初は両親と一緒にいた一年生たちが、気付けばホールの端々で、男女の組み合わせで談笑を始め、その親たちは親同士で固まりつつあった。
「このパーティーって、『恋をばらまくための場』なんだよ。高校生活を楽しく送るための、そしてその先の未来のための、要はお相手探し」
ごく、と肉料理を完食した宵が慌てて口元をハンカチで拭う。
「料理はあくまできっかけ。女の子は甘いものが好き、その方がかわいいでしょ? みたいな」
「だから、瑞葉ちゃんもデザートだけなの?」
瑞葉は少し息を呑んで慎重に吐き出した。
「……緊張してるの」
「緊張?」
「だからぁ、こういう場に慣れてないの。中学のときはこんなのなかったもん」
パーティーが始まる前、教室では担任がいかにも気合の入った演説をしていた。
――高校の入学パーティーは、今後、大学生、社会人になっても続いていく人脈作りの第一歩となります。
社会では学生時代の人脈がいついかなる形で役立つか分からない。
この学園に集うあなたたちは、今後ビジネスや政治、その他いろいろな分野で活躍していく存在です。
ぜひ、大いに交流を持ち、高校三年間だけでなく、その先でも良い関係を築いていく努力をしてください。
宵にとっては「ふぅんそうなんだ」程度の認識であったが、やはりこの学園にいる生徒たちはおそらくこれを見越して入学しているのだろう。
「ふぅん……。あ、じゃあわたしなんかと一緒にいたら、話しかけてもらえないかも? わたしのことは気にしないでね」
「いいのいいの」
「え? でも、彼氏ほしいんじゃ」
「それはそうなんだけど……なんていうか、まだ、心の準備ができてないっていうか」
瑞葉は視線を彷徨わせてから言う。
「憧れはもちろんあるよ。でも、こんなあからさまな場で恋を見つけるのは、ちょっと理想とは違うかなって……。すごい恥ずかしいこと言ってる、私」
耳を赤くした瑞葉は一度も口をつけていないプディングを宵に差し出す。
「これ、食べる?」
「え、いいの?」
瑞葉は頷いてデザート皿を押し付けるように宵に渡すと、飲み物を取りに行ってしまった。
ひとりになって、宵は改めてホール全体を見回した。
生演奏が途切れると、話し込んでいた男女がホールの中心に手を繋いで進み出ては、曲が始まるのを待ってぎこちない動きで踊り出す。
こうして、どこかで恋が始まっていくのだろう。
でも瑞葉はそういう王道? の恋愛は理想じゃないらしい。
「……わたしには、恋なんてできそうにないや」




