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そろそろ帰らなきゃ、と言う小夜を伴って宵は邸に戻った。
小夜に聞きたいことはたくさんあったけれど、それは母や清貴があえて宵に伝えてこなかったことも含まれているような気がして、容易に聞けなかった。
まずは清貴と会話をしないといけないな、と考えていると、何やら門先に人の気配がした。
「小夜」
小夜を呼んだのは、小夜と同じ艶のある黒い髪をセンターパートに分けた青年。その青年と一緒にいたのは、清貴だった。
「静夜」
小夜がその青年に駆け寄る。
宵も近付くと、どこか、清貴の雰囲気が険しい。清貴は顔色を変えないまま、さりげなく後ろに庇うように宵の腕を引いた。
「……すみません、清貴さま。妹が大変失礼を」
青年が頭を下げる。小夜が黙ったままでいると、青年は小夜の頭を掴んで頭を下げさせた。
「ちょ、せい」
「だまって。ちゃんと謝るんだ」
「だって」
「勝手なことをするんじゃない。まさか、白鷺に無断で会いに行くなんて」
清貴がじっとその様子を見て、嘆息する。
「……きみたちとの接触は避けられない。三家会議は見ていただろうからね。でも、性急に過ぎるな」
「面目次第もございません」
「そうそう会う機会もないから、ここで伝えられて、かえって良かったかもしれない。――きみたちの持ってる情報は、まだ宵には早過ぎる。今後は学校でも、余計はことは言わないようにしてくれるかな」
余計なこと。宵は清貴を見上げる。
清貴の言葉に小夜が頭を上げて視線を鋭くした。
「余計なこと? それってどんなこと? たとえばおばあさまの秘密のこと?」
「小夜!」
「ねえ清貴さま。宵ちゃんは白鷺だけど、普通の女の子だよ。何も知らせずに白鷺の役目だけを押し付けるのって、それって宵ちゃんを軽視してる」
「小夜、もうだまりなさい」
「だまらない! 何も教えない、知らせないのは大人のエゴだよ。私たちは子どもだけど、自分の頭で考えるの。何が正しいかなんて、自分で決めるわよ!」
兄の静止を突き放して小夜は吐き捨てると、後ろに停まっていた黒塗りの乗用車に乗り込んだ。バタン、と壊れそうなほどに勢いよくドアを閉める。
「……」
「……」
清貴と青年が気まずく視線を交えた。宵が清貴の背中を飛び出して、車に駆け寄る。小夜が窓を開けた。
「またね、宵ちゃん。……お兄ちゃん、帰ろう!」
「……できるだけ、僕から妹には話しておきます。今日は、すみませんでした。失礼します」
青年は清貴に頭を下げて、車に戻ってきた。
「宵さん。僕は鴉森静夜。妹が突然すまなかったね」
「いえ……」
「それじゃ、また学園で」
そうして、二人の乗った車は夜の闇の中へと静かに消えていった。
「ねえ、パパ……」
「宵。いくら敷地内とはいえ、パジャマで外に出るなんてはしたない。目覚めたばかりなんだから、ちゃんと横になっていなさい」
清貴はそれだけ言って、邸へ戻っていこうとする。その腕を掴んで、宵は訊ねた。
「余計なことって、なに?」
「……宵」
「わたしが聞いちゃいけないことなの? それってどういうこと」
清貴が宵の目線の高さに合わせて腰を屈めた。少し怒ったような表情に、宵は罪悪感を覚える。
「わたしも、パパやママが何も言わなかったのは、わたしのことを考えてのことだってわかってるよ。でも、小夜ちゃんの言ったこと……間違ってないと思うの」
「そうだね。でも、僕は宵が倒れて帰ってきたとき、今度こそ心臓が止まるかと思った」
宵はその薄茶色の清貴の瞳を見つめた。清貴の切実なその顔に、何も聞けなくなる。
「……もう少し、時間をくれないかな。パパにも心の準備がいるんだよ」
清貴はそう言って今度こそ邸の中へと入っていった。清貴のいつもより低い声に、宵はそれが拒絶のように感じて、目の前が真っ暗になった。
深更。昨日一日寝ていたせいか、それとも小夜との出会いが衝撃だったせいか、宵は眠れずにいた。
布団の上で何度も寝返りを打って、体を丸める。頭の中でたくさんのことが閃いては消え、浮かんでは沈んで。
――白鷺はずっと昔からの記憶があるんでしょ?
小夜の弾丸の情報はほとんどこぼれ落ちてしまったような気がするけれど、ここだけはかろうじて残っていた。
ずっと昔からの記憶って、なんだろう。なんで誰も教えてくれないんだろう。なんで、わたしは何も知らないの?
清貴に、パパに、拒絶された。こんなこと、今まで一度もなかった。ママと喧嘩をした時も、パパは中立だった。
宵があんなふうに眠ってしまっていたのに、目覚めてからパパは一度も宵に会いに来なかった。
どうして? 力を使ったことに、怒ってる……?
不安になって体を起こす。やっぱり謝りに行こうか。仕事をしているかもしれない。けれど、清貴の書きかけの原稿用紙は相変わらず宵の学習机の上に置かれたままだった。
……大切な仕事道具を置きっぱなしにするのも、いつもの清貴からは考えられない。
なんだか、おかしい。さっきの様子から、力を使ったことを告白しても、宵の伝えたいことは正しく伝わらないような気がして清貴の元へ行く気にはなれなかった。
障子を開けて、縁側に出る。昼間の暖かさとは一転、この辺りは平地とはいえ夜はまだ肌寒い。布団の中でぬくぬくと温まっていた体がすっと冷えていく。このまま眠くなるまでここにいようか……。
ふと思い立って、宵は部屋に戻り、カーディガンを羽織ると庭に降りた。そしてそのまま庭を抜けて向かったのは、神を祀るお社。
古い木製の観音扉が軋む。宵は音を立てないように慎重に戸を開けた。
暗い室内の中心で、ぼうっと光を放つのは、ふたつの神の玉。
宵はつっかけを脱いで、板間に足を乗せる。歩くたびにギシギシと板が鳴った。玉に近付くと、ほんのり温かい。風がないから、だけではない。
「来ちゃいました、久遠さま」
小声で来訪を告げる。宵は玉の前に膝を立てて座り、その膝に顎を乗せた。
なんだかここに来るとホッとする、ような気がした。温かい空気に全身を包まれているような。なんだか、ずっと前からここを知っているような、不思議な気持ち。
頭の中で浮かんでいたたくさんの疑問や不安も、心地良さの中でひととき忘れられる。どうしてだろう、布団の中にいると全然眠れないのに、ここにいるとすごく眠い。宵はひとつ欠伸をした。そして目を瞑る。
目を開けると、見たことのない庵の前に立っていた。




