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「白鷺の力は……時を止めること、なんですか?」
暁の問いに、清貴は頷いた。
「そうだよ。停止が白鷺の力。その力が作動している間、動けるのは白鷺だけ。もっとも、白鷺が触れていれば動ける。もうきみは体験したね」
「扉の力が跳ね返った衝動も、宵さんの力が作動している間は止まっていた。だから、私の痛みは治まった」
「おそらくね」
時間が止まっている中で、暁が宵に起こされた時には痛みがなかった。特に何も気に留めていなかったが、それは扉の時間さえ止めていたということ。
暁はしばらく考え込んで、さらに訊ねる。
「白鷺の力が、三家で一番大きいとは聞いていました。でも、こんなに強大な力、相当消耗するのでは?」
「……朝日さんもね。力を使った後は眠ったんだ。一番長いときで、三日間」
「三日」
暁が目を瞠る。清貴はうなだれるようにまた頷く。
「こんこんと眠り続けて、もう目覚めないかと思った。それだけ体に負担がかかるんだろうねぇ。僕には何もできなくて、情けない」
憤る清貴に暁はただ黙っていた。無力を嘆くことしかできないのは、さぞつらいことだろう。その気持ちが、痛いほどわかる。
清貴は正面から暁にまっすぐ向き直った。
「宵も、きみも。目の前のことに対処するのに精いっぱいだろう。だから無茶もする」
「……できるだけ、危険は避けたいですが」
「賢明だね。でも忘れないで。きみがすべて背負う必要はないよ。そのために大人が頭を動かすべきだから」
清貴の伏せたまつ毛に光が差す。その色白の肌は宵とよく似ていて、暁は唇を引き結ぶ。
自分が生きている家と、ここは随分違う思想なのだ。同じ鳥なのに。
聞いてみたくなって、つい暁は口を開いた。
「朝日さまも……そのように、お考えで?」
清貴がぱちりと瞬く。そしてふと笑った。
「そうだねえ。朝日さんというか、これは白鷺の考え方かもね。方法は違っても」
清貴が遠い目をする。何を考えているかは暁にはもちろんわからなかったけれど、きっとその「方法の違い」はこの家にとって火種なのだろうと勝手に解釈した。
同時に、宵のどこか幼い表情や自信のなさにも納得する。役割を持って生まれたのに、背負わなくてもいいと言われるのは、矛盾でもあり、子どもであることをそのまま受け入れてもらえるということでもある。
せっかくなので、朝日の仏壇に手を合わせたいと申し出ると清貴はいたく感激した。そして、そこまで気が回るなんて、と同情も半分。
案内された和室は、それはもう夥しい数の写真が飾られていた。そのほとんどに朝日と宵が写っていた。清貴の姿はほんの数枚きりなのに。
暁はぼんやりと、その知らない家庭の姿を目に映す。家族とは、こういうものなのだろうか。
――暁は、ずっと父と二人きりだったから。
そろそろお暇します、と暁が告げると、清貴は玄関まで送ってくれた。
「このことは僕の責任だから、気に病まないで」
清貴は最後まで暁を気遣ってくれた。暁は一礼して、白鷺の家を辞した。
食事を用意していた住み込みの家政婦に宵の着替えを頼んで、清貴は自室に戻った。
仏壇に飾られた朝日の写真にそっと触れる。
「きみも宵も、力があるとつい使ってしまうところがそっくりだ。あんなにだめだと言ったのに」
恨みがましく清貴は言った。在りし日の記憶が蘇ってくる。
初めて目の前で朝日の力を見た日。目の前で朝日が眠りについたあのとき。
心臓が冷えきって止まってしまうかと思った。いや、いっそのこと、きみが目を覚まさないのなら、止まってしまえばいいとさえ思った。
けれど、本当に朝日が二度と目覚めることのなくなったあの朝、清貴は自分の心臓を捧げることはできなかった。守るものがあったから。約束をしたから。
約束がなくたって、清貴は朝日を追ったりはしなかったけれど。真面目で心配性な朝日は、念には念を入れたんだろう。清貴がへんに律儀で、約束は必ず守る主義だから。
「……大丈夫だよ。宵は心配ない」
清貴は朝日に話しかけるように、自分に言い聞かせるように、そうつぶやいた。
黎明学園の理事長室に三家の代表者たちが一堂に会するのは、おそらく数十年ぶりだった。
御年六十七歳とは思えない強固な肉体をスリーピースのスーツで覆う、鷹宮の当主、鷹宮早暁。その息子、天明は父の後ろで無表情を貫いている。
渋い鉄紺の袷をまとい、静かに、けれどどうしても消せない圧のようなものを立ち昇らせている、白鷺の当主代理、清貴。そして。
あざやかな柑子色の袷がやけによく似合う、ひょろりと細身でにこやかな表情の、鴉森家当主、鴉森四更。
「そんな色の男物の着物、どこに売ってるんだ」
天明がぼやくと、四更はほっほと笑った。
「特注に決まっておろう」
さあ、と口火を切ったのは、最年長の早暁だった。
「事情はすでに聞いておるな。今日は扉について、話し合わねばなるまい。長きに渡り避けていたが、よもや限界なのは皆も承知のことだろう」
重たい議題に、室内は静まり返る。色彩の消えたこの場で四更の着物だけが鮮烈だった。
「十七年前にも検討したことではあったが、その当時はまだ決断ができずにいた。長く――とても長い、しきたりであるから」
「ことの起こりを知るのは白鷺の者だけ。それなのに、すでに白鷺の長は齢十五の子ども。白鷺は年々寿命が縮んでいく」
清貴は黙りこくったまま。顔は涼しいままなのに、天明の目にはその背中の圧が今にもはち切れてしまいそうに見える。早暁が鋭く、鴉の、と呼んだ。
「滅多なことを言うでない。新年の宴でも伝えたが、朝日さんは立派な白鷺だった」
立派な白鷺。それは果たして誉め言葉か? と天明は思う。白鷺としてなど生まれなければ、もっと違う人生があったのに。
「……扉の封印は守っていかねばならぬ。それが古からの鳥の役割であるならば」
「まことにそう思っておいでか? 鷹のご当主」
四更は懐から扇子を取り出すと、音を立てて片手で開き、口元を隠した。
「これは呪いじゃ。いつまで千年も昔の約束に縛られなければならぬのか、と若い世代が思うのも道理。そも、神が今なおここにおわすなどと、本当にお考えか?」
「……」
「考えもせず因習に縛られて犠牲を払い続けるなど、愚の骨頂。時代は変わった。神になど頼らずとも、我らの秩序は我らで守っていくべきと考えるが、いかがか?」
再び沈黙が落ちる。時代は変わった。それは誰にも異を唱えることのできない事実だった。
静かに、清貴が口を開く。
「……それは、その通りかもしれません。ですが、そう簡単なものではないでしょう。これまで続けてきたのなら、止めたことはないはず。止めたときに何が起きるか、私たちには何の情報もありません」
情報。四更がふむ、と扇子を畳んだ。
「よかろ。我らの記録の中に手がかりがないか、調べてみようではないか」
「清貴くんの意見に賛成だ。結局子どもたちに影響が行くのなら、慎重に事を進めなければなるまい。今回の騒動も、起こす前にまずは話し合うべきだった。のう、鴉の」
早暁の瞳が鋭く四更を貫く。猛禽類に睨まれてはひとたまりもない、と四更は肩を揺らす。
「……我に似ず、血気盛んな子どもたちでの」
「制御できなかったのは当主の失態。責任は取ってもらわねば。子どもたちはこの学園で預かる」
「なぜ我らが其方らの作った取り決めを守らねばならない? のう、鷺の」
四更が飄々と言い、清貴に同意を求める。
「まあ、代理では本物の鷺を制することはできぬわな。前当主ならともかく。そのことは娘も承知しておろう。だから斯様に力を使った」
とうとう堪忍袋の緒が切れた清貴の振り上げた拳が、卓にぶつかる。ガツ、という鈍い音と共に、場の空気が凍った。




