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「わたしがなんとかします。……信じて」
ぎゅ、と左手に力が籠ったやいなや、宵とあやめの周囲が真っ白に染まった。
風の音も鳥の声も一瞬で遠のき、耳鳴りがしそうなほど何の音も聞こえない。
何も見えなくなった次の瞬間、徐々に視界が戻ってくる。
座り込んだ床の冷たい硬さ、朝食の匂い、食堂の空気。一見、何も変わらない。
そして、広い食堂の窓一面を覆う、鳥の群れ。が、窓に激突する寸前で、そこに止まっている。
あやめは目を瞬かせた。
きょろきょろと辺りを見回して、背後を――窓を見て、ぎょっと飛びのく。
「え……? え、え……? 止まってる……?!」
「手、離さないでくださいね」
宵はあやめに向かって冷静にそう言うと、暁の顔をぺちぺちと叩いた。
「鷹宮先輩! 起きてください!」
「……っ……」
「あ、あやめ先輩から離れないで」
ゆっくりと体を起こした暁が周囲を見回す。
部屋の中だけ見れば、異変は何もない。
けれど、風の流れも空気のわずかな変化も、何も感じられない部屋の中に、暁はただ目を瞠るだけ。
「鷹宮先輩、これ、心当たりあるんですよね?」
まだぼんやりとしている暁に向かって、宵が窓の外を指し示す。
暁は視線でその指先を辿って、ようやく状況が理解できたようだった。
「と……止まってる……」
「そこじゃなくて! あの鳥のことです!」
暁が顔を上げて宵を見る。
「昨日、学園に戻るって言ってましたよね?」
鷹の集団が突撃してくるなんて、絶対に鷹宮関連に決まっている。
暁は小さく頭を振って、手で額を押さえた。
「……ああ。扉だ」
扉?
宵の頭に、先日見た扉が過ぎる。
倉庫の中の、あの大きな扉。
「あれは、なんなんですか?」
「鳥の記憶を留める扉。……と聞かされている。あれを封印するのが鷹宮の役割。あの扉を誰かが開けたんだ。だから、扉を封じている力が俺に……というか、当代の鷹に、跳ね返ってきている。推測だが」
「誰かって……?」
「鴉森だ」
「わかるんですか?」
「あの扉は鳥にしか見えない」
宵は息を呑んだ。鳥にしか見えない。
そんな馬鹿な。
あやめを見ると、首を横に振った。
「疑っていたわけじゃないが、おまえが扉を見つけたとき、本物なんだと理解した」
そりゃ、本物ですけど。
宵はぽかんと口を開けた。
「これ……一体どうしたらいいんですか? 扉を閉めたらおさまりますか?」
「おそらく。封印は弱まるだろうが、ひとまず閉じれば時間稼ぎはできるはずだ」
「学園に戻ってですか? 私の力で止めておくにはちょっと長すぎますね……まずは避難するしか」
「いや、今から、見る。二人とも、目を閉じて」
暁が目を瞑ったのを見て、あやめと宵も目を閉じる。
今度は逆に、座り込んだ床の感触が離れる。
耳元でけたたましい鳥の鳴き声。
でもそれは宵がいつも聞いているのとは別の種類だ。
もっと鋭く、力強い。
その鳴き声が遠のいたと思うと、暁が静かに言った。
「……目を開けて」
ゆるゆると片目を開けると、そこは、少し埃っぽい慣れ親しんだ生徒会室――。
「う、そ」
あやめがつぶやく。
宵も同じ気持ちだった。
「し、瞬間移動?」
「いや。見てるだけだ。実際に移動したわけじゃない。とにかく、確認しよう」
宵はあやめと、あやめは暁と手を繋いだまま倉庫に近付いた。
暗い部屋の中でも、宵と暁にははっきりと見えている。
倉庫の前に散乱した段ボールと書類。
暁が足で邪魔なものをどかし、倉庫のドアを開けた。
――扉は開いていた。
中途半端に、でもぽっかりとブラックホールのような口を開けて。
三人横並びでも余裕で通ることのできるほど横にも縦にも大きい。
「あ、開いてるの?」
真ん中のあやめが宵と暁を順に見る。
本当にこれが見えていないのか、と宵はひたすらに驚く。
「開いてます……こんな大きな扉、そんな簡単に開くものなんですか?」
暁は首を振る。
「とにかく閉めよう」
扉の向こうは吸い込まれそうな真っ暗闇。
ふと、宵はこの向こうに母がいるのではないかと、ほんの一瞬だけ、なぜかそう思った。
暗闇に足を踏み出したら、どうなるんだろう……。
「宵ちゃん?」
「あっ、はい」
あやめの呼びかけに、扉を前にして立ち竦んだ宵がハッとする。
途中まで開いている重厚な扉。
金色の取っ手に触れたとき、ほんの少しだけ、ビリ、と拒絶のような電気が走る。
宵は怯まずにぎゅっと取っ手を握った。
そのまま押すと、その重厚さとは裏腹に扉はするりと閉まった。
ホッとしたのも束の間――暁の目を閉じろ、という指示に目を瞑る。
次に目を開けたとき、そこは食堂だった。
「これで大丈夫なはずだ」
宵と暁が同時にあやめの手を離す。
すると、窓の外に犇めく黒い塊が、北から吹き上げる上昇気流のような強風に煽られ、端から轟音を立てて吹き飛び――消えた。
部屋の中に空気の流れが戻ってきた。
空は晴れていき、小さなメジロの、平穏を告げる可愛らしい鳴き声。
食堂の外の人の気配とざわめき。
「暁!」
食堂の中に、万理が駆け込んできた。
部屋の外の異変も、そこにいる三人にも何もないことを確かめて、大きく安堵の息を吐く。
「はぁ~、どこにもいないから、焦ったよ……」
「すまない、探しに来てくれたのか」
「うん。大丈夫そうでよかった。急に晴れたから戻ってきたんだけど……鳥は?」
「消えた」
万理に続いて千歳もおそるおそる食堂に入ってきた。
慎重に近付いてくる。
「消えた?! あんなにいっぱいいたのに?」
万理が窓から外を眺め、跡形もない晴天の空を見上げた。
「一体、なんだったんでしょう? 夢でも見たんでしょうか」
千歳の疑問に暁が何か答えようとしたその後ろで、それまで問題なく立っていた宵の頭がぐらりと大きく傾ぎ、横にいたあやめが慌てて抱き留めた。
暁が振り向く。
「宵ちゃん……!?」
「ごめ、なさい、もう限界」
「白鷺……!」
紙のように真っ白な顔をして、宵は目を閉じた。
あやめが何度も呼びかけるが、宵はぴくりともしない。
「よ、宵ちゃん……!」
あやめが動揺して宵を揺さぶった。
千歳がそれを止める。
「待ってください、あやめさん」
千歳がし、と指を唇に当てる。
そっと宵の口元に耳を寄せると――。
「大丈夫、寝てるだけです」
あやめの腕の中で陶器でできた人形のように、真っ白な宵が寝息を立てていた。
ほっとしたような、何が何だかわからないあやめが暁を見上げたが、暁は首を横に振った。
「おそらく、しばらく目覚めないだろう」
「しばらく……って」
「とりあえず、ベッドに運ぼう。迎えの車で、連れて帰る。万理は他の生徒たちにもう問題ないと伝えてくれ」
暁が宵を抱き上げ、千歳に部屋への案内を指示する。
あやめは暁の後に付き従って部屋へ向かった。




