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鷹の鳴き声が聞こえる。
遠くから、かすかに。
暁が目を開けると、バスは止まっていた。
バスに同乗していた生徒たちが降りる準備をするざわめきの中、暁は立ち上がって前の席にいる宵の肩を掴んだ。
「今、鳥が鳴いていなかったか?」
「え?」
宵は振り返って辺りを見回す。
が、特に気にする様子はなく、何も。と答えるだけだった。
気のせいだったか、と暁はほっと胸をなでおろす。
「眠れたみたいだね」
あやめが前の席から顔を出した。
「ああ……いつの間にか」
頭を振って座席に一度座り直し、手荷物を持つ。
引率の教師の号令でバスを降りると、軽く伸びをした。
バスが到着した先は、学園から二時間ほどの避暑地にある学園所有の宿泊施設。
普段は他校の野外学習や、スポーツ合宿に貸し出している。
標高が高く、森が近いこの場所は空気が冷えていて心地いい。
寝起きで熱のこもった体にちょうど良かった。
「はくしゅん!」
バスから降りてきた宵が早速くしゃみをしている。
「とりあえず、全員部屋に荷物を置いてから集合する。その後、各分担に分かれてそれぞれでミーティングを設ける。集合場所は食堂だ」
先生の指示に従い、各自の部屋割りを確認して解散した。
この宿泊所は黎明学園に初等部・もしくは中等部の頃から在籍している生徒なら何度も訪れていて説明不要だった。
高校から外部入学した生徒は宵を含めわずかで、ほとんどが周りの生徒についていけば事足りる。
女子と男子で部屋は東西に分かれており、暁は万理を連れて東の部屋へと歩いて行った。
食堂に集合すると、暁は流しテーブルに座る、委員に選出された生徒たち全員へ一枚プリントを配った。
黎明学園では文化祭・体育祭、そして後夜祭の舞踏会までの一週間のことを、章典祭と呼んでいる。
体育祭が二日間、文化祭が二日間、最終日は全校生徒で後片付けののち、各回で優秀な成績を収めた個人または団体への表彰と、舞踏会で章典祭は締めくくられる。
生徒会では、事前に決めた通り、体育祭をあやめと万理、文化祭を宵と千歳、後夜祭を暁が取り仕切る。
その下につく委員を組み分けるため、この場にいる二十名の委員たちそれぞれにくじが配られた。
そのくじ引きにより、体育祭八名、文化祭八名、後夜祭四名に生徒会の人員を足して、各実行委員が決まった。
ここからは担当領域で部屋を分けて、ミーティングを開始する。
最も人数の少ない後夜祭担当の五人は、小さな会議室に場所を移して早速議題を取り上げようとしていた。
生徒会の取りまとめ役が中でも最も近寄りがたい雰囲気を持つ暁だということに、委員たちもピリピリしている。
が、これは公正なくじ引きの結果なので甘んじて受け入れてもらうしかない。
しかも、後夜祭の担当は最も厳格にことを運ばなければならない。
なぜなら、学園の理事長はじめ理事たち、理事長や学園に所縁のある議会議員、大学の教授などがゲストとして参加するからだ。
学園内で行われる行事と言っても侮ることはできない。
だからこそ、暁が担当になったのだろうことは委員たちも察した。
「では、早速。ここでは後夜祭一日の流れと、表彰の内容、あとは表彰に必要な備品を大まかに決めようと思う。まずは昨年の資料がこちらだ」
暁が用意してきたレジュメを配り終え、ホワイトボードの前に立ったとき、会議室の外、廊下からかなり楽し気な笑声が聞こえてきた。
キャッキャ、アハハ、と子どもが遊んでいるようだった。
小学生の団体でも来ているのだろうか。
会議室に微妙な空気が流れたため、暁がドアを開けて廊下を見に出た。
「……。……。……あやめ! 万理! 会議は終わったのか? 廊下でバドミントンするんじゃない!」
キャーー! と鬼でも来たような叫び声が遠ざかっていく。
残された四人は噴き出しそうになるのを必死でこらえて、暁が戻ってくるのを待った。
*
食事を終えて、大浴場で体を洗ったあと、暁は一人、林の散歩道を歩いていた。
小学生の頃、林間学校で万理とクラスの友達と一緒にここで遊んだ。
林の間からは星が見える。
月は見えない。
新月の夜だった。
――眠るのが怖い。
夢を見るから。
そんなふうに考えるのは、幼い頃以来だ。
あれが未来に起こることだと自覚してからは、夢の中の彼女を探すことに夢中になって、どうしたらもっと顔を見られるかと、もっと眠ればいいのかと考えたから。
あやめを見つけたあの日から、少しずつ、暁の中で恐怖が増えていく。
だから、鴉を見ただけで不安になった?
その不安が暁に夢を見せるのだろうか。
――人を愛することは止められない。
だから、恋をしてもいいんだよ。
幼い暁におじい様がそう言った。
おじい様も、父さんも、愛する人を失っているのに。
失うとわかっているなら、最初から愛さなければいいのに。
それは無理なんだって。人を愛することは止められないんだって。
だからおじい様はたくさん女の人を連れてくるの?
と聞いたら、一番好きな人はもういないから、と祖父は笑いながら言った。
でも、父はそういうタイプではなかった。
祖父は父のことを、鷹らしい男だと言った。
気位が高くて、不器用な。だから、父が女性を連れているのは見たことがない。
夢の中で彼女に会うたび、この人が未来の自分が愛した人なんだと、そう思って胸が苦しくなった。
そんな人、この世に存在していなければいい。
誰も好きになんかならない。
愛なんて知らなくていい。
父が暁の誕生日にこっそり女の人の写真を飾っているのを見てから、ずっとそう思っていた。
けれど、出会ってしまった。
鷹の宿命。
それをどう受け止めればいいのか、暁にはまだわからない。
でも、あやめを見るたびに思うのだ。
あやめと出会うのが自分の運命で、気持ちは変えられなくて。
いつか別れがくるかもしれない。
でも。
振り向くと、宿泊所の入り口から人が出てくるのが見えた。
あやめだ。暁はそちらに足を向けた。
あやめはまだ暁に気付いていない。
距離があるから当然だった。
あやめはパーカーとスウェットに着替えていて、まだ髪が濡れている。
「あれ、暁!」
やっと暁を視認したあやめが手を振る。
「風邪引くぞ」
「ばんくんに聞いたら散歩に行ったって言うから」
「湯冷めする。部屋に戻ろう」
「え? 大丈夫だよ。空気が冷えてて気持ちいい」
暁が伸ばした手をするりと抜けて、あやめは林の方へ歩いていく。
仕方ないので、暁もそれに従った。
肩にかけたタオルがあやめの体を冷やしていくのが目に見えるようでヒヤヒヤする。
暁の視線が刺さったのか、あやめが首だけで振り返る。
「大丈夫だってば」
「体調を崩したら困る」
「暁がね」
「毎日、ちゃんと学園に来てくれないと、心配だ」
暗い林の入り口で、電灯がひとつだけぽつんと点っている。その下であやめは止まった。
「毎日私に会いたい?」
「……だから、そう言ってる」
あやめが微笑む。
光の下で眩しく。美しくて、その手のぬくもりを、夢の中の感触を思い出す。
忘れない、俺は。
「ね、暁。……夢、見た?」
「…………」
「隠してもわかるよ。朝から変だったもん」
こんなに明るくては、暁の顔があやめにも見えてしまう。
暁はその光の下にまで行けなくて、暗闇の中に立ち止まった。
できるだけ、普通に振る舞っていたつもりだったのに、あやめにはなんでもお見通し。
その透明な瞳がいつも暁を映していることを暁は知っている。
あやめを失うことを恐れる弱い自分を見られるのがたまらなく恥ずかしい。
隠したい。
光の中から手を伸ばすあやめから、暁は顔を背けた。
あやめは構わずに暁の両手を取った。
暁は反対に、あやめを引き寄せる。
引っ張られたあやめが、一歩、電灯の下から出る。
薄闇の下。
ほのかに照らされて、あやめの瞳に暁の情けない顔が映る。
おそらく、ひとの目にもこのくらいの暗さであれば顔は見えているだろう。
見せたくなくて、あやめの肩に額を乗せた。
「……怖かったね」
あやめが耳元でささやく。
うなじをよしよしと撫でられて、暁は少し動揺した。
慰めてほしかったわけではなかった。
心地いいから黙っているけれど。
しばらくそうしていたが、あやめは暁が自ら動き出すのをじっと待っていてくれた。
あやめの濡れた髪からぽたりと雫が落ちて、肩のタオルにしみ込んだのに気付いてようやく暁は体を起こす。
「……すまない。本当に風邪を引いてしまうな」
「大丈夫、暁があったかかったから」
急にそう言われて、暁の耳が熱くなる。
「……それ、絶対言うなよ……。そろそろ戻ろう」
ひとつ息を吐いて、暁はあやめの手を引いたまま歩き出した。
耳だけじゃなく、手も熱い。
繋いだあやめの手が冷え切っていて、体温が溶け合う。
細くて、繊細で、冷たいあやめ。
そのすべてが暁とは正反対で、壊れないように守らなければと、思い直した。
そのとき。
どくん、と、心臓が引きちぎられるように痛んだ。
衝撃に膝をつく。
心臓か肺か、どちらかわからないが、急に胸に締め付けられるような痛み。
「どうしたの? 大丈夫?!」
息ができなくて返事ができない。
背中にじわりと汗が滲んで、こめかみがズキズキする。
「あかつきっ」
暁の様子に、あやめの声に焦りが混じる。
痛みが波のように押しては引いていく。
何が起きている?
「……大丈夫、驚いただけだ」
「でも、汗が……」
心臓にかかる衝撃がだんだんと落ち着いていく。
何かに圧迫されていた肺が広がったのか、息も吸えるようになっていった。
……昼間から何かがおかしい。
いや、やはり、夢を見始めたときから。何かが。
「……明日、俺はひと足先に学園へ戻る」
「え?」
「確かめたいことがある」




