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「あれ、ばんくんは?」
本部にひとり取り残され、次から次に来る対応に追われていると、制服に着替えたあやめと千歳が戻ってきた。
宵はパッと手元にメモしたタスクリストに視線を落とす。
「あ……っと。その、お仕事だと思うんですけど……どこかに、行かれてしまって」
あやめと千歳が顔を見合わせる。
不自然さが隠せなくて、宵はもう少し嘘が上手くなりたい、と思った。
「万理に何か言われましたか」
初めて見る厳しい表情をした千歳が膝をついた。
本部席に座る宵と視線を合わせる。
「あっ、いえ、違うんです。わたしが失礼なことを言ってしまったので」
「経緯がどうあれ、宵さんに対する不躾な態度は私たちには許されません。私たちは鷹の一門ですから」
鷹の一門。
聞き慣れない言葉に宵はパチパチと瞬きをして千歳を見た。
「申し訳ありません。あとで謝罪させます」
「い、いいです、そんな!」
「よくありません。分別を弁えませんと。とりあえずは仕事をこなしましょう、この話はその後に」
タスクのメモを千歳が取り上げて、中身を分担していく。
宵ひとりではこなしきれなかったものが、千歳の指示のもとに動けば一瞬で消えていく。
もちろん人数がいるから、と言うのもあるが、効率を考えて仕事が割り振られているのが宵にもわかった。
あらかた仕事が片付いたとき、千歳が宵に言った。
「メモ、しっかり書かれていたので助かりました」
ほとんど表情の変わらない千歳がそう言うと、なぜか宵の胸に、ホッカイロが触れたようなあたたかさがじわりと広がった。
試合は本部側から見れば大きな問題もなく進み、いよいよ男子の決勝戦を残すのみとなった。
どこからかふらりと戻ってきた万理が千歳に小突かれながら、すでに後片付けに取り掛かっている。
会場に響き渡る放送部のアナウンスも、いよいよクライマックスを盛り上げる熱の入りよう。
「白熱した準決勝でしたが、いよいよカードが出そろいました。決勝は、フェンシング部キャプテン・小野対、剣道部エース・鷹宮!」
万理の宣言通り、暁は決勝に駒を進めていた。
「ね、宵ちゃん。今、暁どこにいるか見える?」
それまで黙々と仕事をこなしていたあやめが、宵の隣へやってきてフロアを見渡すしぐさをした。
ここからでは普通の人には、人の顔はおろか、シルエットでも当然見分けがつかないだろう。
宵が少し探すと、反対側のフロアに暁の姿を見つけた。
「あそこにいますよ」
「一緒に行こう!」
あやめに手を取られ、宵は手に持っていた備品を慌てて机に置いてあやめに従った。
あやめは宵と手を繋ぐ反対の手に何か持っている。
「鷹宮先輩の応援ですか?」
「もちろん!」
そう言うあやめの満面の笑顔がきらきら輝く。
正直、暁の応援ならあやめ一人で行った方が暁も喜ぶのでは?
と思ったが、あやめはそんなこと少しも気にしていないようだった。
ここ数日間で、宵の目にもわかるほど、暁の態度は明らかだった。
暁はあやめが誰といようが、いつもあやめしか見ていない。
人込みをかき分けながらコンコースを進み、やっと暁のいるフロアのすぐ上までやってきた。
ここからなら普通の人でもはっきりとその姿が見えるはずだ。
あやめが客席を降りていくのを、宵はその場から見送った。
「暁!」
客席の最下段からあやめが身を乗り出して名前を呼んだ。
振り向いた暁は、試合前の強い眼光が急に鳴りをひそめ、わかりやすいまでに目元を柔らかくした。
軽い足取りであやめのもとへやってきた暁に、あやめは絹の白いハンカチを掲げる。
「これ、いるでしょ?」
「……縫ったのか?」
「一応ね。端っこだけ、家庭科室のミシンでちょちょっと。お花はワッペン」
差し出された彼の左腕にそのハンカチを結び、これでよし、とあやめが小さく呟く。
ハンカチの隅に、紫の花がついていた。
「去年はこんな儀式知らなかったから、何もできなくてごめんね。リベンジできた」
へへ、と笑うあやめに暁がまた微笑む。
「ふつうは、試合が始まる前に渡すんじゃないか?」
「えっ、そうなの?」
「ここまで残っていられるかはわからないからな」
「うそ。そんなこと、思ってないでしょ。暁は負けないから、このタイミングでいいの」
あやめの頬に、暁がそっと掌で触れる。
あやめがその手に自らの手を重ねて頬ずりをした。
「さあ、私の騎士さん。負けたら承知しないからね」
「だれに言ってる」
暁はそのハンカチごと自身の腕を強くつかんで、あやめを見つめる。
「いってくる」
「待ってるね」
いつの間にか会場中が、ひとりの騎士とその主人の美しいワンシーンを見守っていた。
マットに堂々と出てくる暁のタイミングに合わせて放送部のアナウンスが入る。
「我らが黎明学園の副会長がいよいよ登場です! 相対するは、負けられない、フェンシング部のキャプテン! さあ、間もなく決勝戦の開始です」
宵は何度も目を擦ってあやめと暁のやりとりを見ていた。
宵の目には二人の周りに花畑が見えていた。まさに童話の中の1ページのように。
あやめが暁と別れて戻ってくる。
「宵ちゃん、ついてきてくれてありがと」
「いえ! こちらこそ、本当に、美しいものを見せていただいてありがとうございますという気持ちです……!」
尊い。
それはこういう気持ちのことを言うのだ。
そう確信したが、それは胸にしまって、宵はあやめにフロアを見るよう促す。
「始まりますよ」
◇◇◇
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