10
生徒会室の前で宵は立ち尽くしていた。
決心はしたものの、いざとなると足が進まない。
ノックをしようと軽く握った右手を掲げて、その手のひらを見つめる。
――あの学園は、朝日さんの母校だよ。
昨夜、父が食卓でそう白状した。
「隠していたわけじゃないんだ。でも、僕から言えることはほとんどなかった。朝日さんの決断だから」
清貴のその言い方は、宵に説明しなかったことの言い訳に朝日を使っているようで、宵は違和感を覚えた。
これはママの決断。
「……ママの母校なら、どうして今までわたしを黎明に入れなかったの?」
「母校だからこそ、あの学園が宵にとって最善だとは思えなかったんじゃないのかな。だから小学校と中学校は、宵と一緒に決めたかったんだと思うよ。……朝日さんはそれが許されなかったから」
「……おばあちゃんに?」
宵の問いかけに清貴は苦笑した。
祖母は宵がまだ幼い頃に亡くなっているが、祖母と朝日の折り合いが悪かったことは何度か聞かされていた。
「宵には自由に生きてほしいって、それが朝日さんの願いだったから」
自由。それではまるで、朝日に自由がなかったよう。
ママは自由じゃなかったから、宵に自由になってほしかった……?
「学園が三家の保護を担っていることは聞いていたけど、生徒会のことははじめて聞いたよ。だから暁くんも生徒会にいるんだね」
食事に箸をつけながら宵は当惑した視線を清貴に送る。
清貴はうーん、と少し考え込んでから、穏やかに言った。
「僕は、宵が決めたならそれがいいと思う。宵の決断をできるだけ尊重する。……きみは、どうしたい?」
母がいたならきっと、母がこうしたらいいんじゃない? と言ったことに宵は従っていただろう。
父と二人きりの今、決断は自分でしなければならない。
生徒会に入るか、入らないか。
それは宵の高校生活を大きく左右するに違いない課題だった。
それでも生徒会室に足が向いてしまったのは、もう心の中で結論が出ているからなんだろうな、と宵は考える。
昨日、あやめとほんの少し会話しただけで、思ってしまったのだ。
この人のそばにいたい、と。
魅力的な人。
言葉は多くないのに、その瞳が心の全部見透かしているようで、少しだけ怖い。
それなのに、その瞳を向けてほしいと思ってしまう。
相手は女の人なのに、胸がどきどきして恥ずかしい。
そんな気持ちを抱えているだなんて大っぴらには言えなくて、宵は堂々と「生徒会に入ります!」なんて言えやしないのだった。
ノックをしよう。
でもなんて言おう。
入ってしまえばなんとかなる。でも……でも。
中からは人の気配がする。
邪魔にならないタイミングをうかがっているだけ、と煮え切らない自分の態度を正当化して、宵は右手を下ろす。
そしてもう一度、息を吸って右手を持ち上げたそのとき。
木製の扉がスッと横にスライドして、開いた。
「……!!」
「そんなところで何をしてるんですか?」
あやめに「ちーちゃん」と呼ばれていた女生徒が無表情で宵に問い掛けた。
突然のことに一歩後ずさり、止まりそうになった心臓を思わず両手で押さえる。
「…………いえ、あの……」
「どうぞ、白鷺のお嬢さま」
中に入るよう促される。
ここに入ってしまっては、もう後には引き返せない。
けれど、宵はおずおずと室内に足を踏み入れた。
「失礼します……」
部屋の奥、中央のデスクにあやめがゆったりと座り、その前に並ぶ四人掛けのソファには暁と、暁の正面にもう一人、見たことのない男子生徒がラフに足を組んで座っている。
その全員の視線が宵に向かった。宵がごくりと唾を飲み込む。
「宵ちゃんから来てくれたということは、生徒会の一員になってくれるってことかな?」
あやめが椅子から立ち上がって近づいてくる。
暁と男子生徒が立ち上がり、「ちーちゃん」もその後ろに並んだ。宵は覚悟を決めた。
高校生になったんだから、ちゃんと自分で決めないとだめだ。
宵は勢いよく、深々とお辞儀をした。
顔を見ると緊張で言葉が出ないなら、いっそ、頭を下げてしまえばいい。
「しっ、白鷺宵です……! お、お役に立てるようがんばりますので、ぜひご指導ご鞭撻のほど、よろし……!」
「ふっ」
よろしくお願いします、と言う前に、部屋の中に笑いが漏れた。
宵が頭を上げると、暁の前の男子生徒が拳で口元を隠していた。
「万理」
「すみません。どうぞ続けて……」
暁の非難めいた呼び掛けにその男子生徒が顔を背ける。
何かおかしかっただろうか。宵の顔に一気に血が上る。
「あ、あの……えっと……」
「ほらぁ、ばんくんが笑うから、宵ちゃん固まっちゃったじゃん!」
大丈夫だよ、と言いながらあやめが宵の肩をさする。
そのまま、ソファに誘導されると、男子生徒が押し出される形であやめと宵が座った。
「ごめんね、失礼な奴で。来てくれてありがとう」
「い、いえ……」
「あっは。だって緊張すごいんだもん。こっちまで汗かいてくる」
ダークブラウンの髪と瞳をした、「万理」と呼ばれた男子生徒が両手をこすり合わせる。
あやめを見上げると、その柳眉が申し訳なさそうに下がった。
「改めて、生徒会へようこそ。紹介するね。このいやな奴が、会計で2年の万理要。で、その子が書記で同じく2年の守屋千歳。二人とも、暁のおさななじみだよ」
「ちょっと会長、いやな奴って」
「だってそうでしょ~? で、暁が副会長で、私が会長。とは言っても、実務はほとんど暁がやってくれてるけどね」
暁が黙って頷く。
その横から「ちーちゃん」こと千歳が水の入ったグラスをテーブルに置いた。
礼を言って、一気に飲み干す。
「昨日は災難でしたね」
千歳がそう言うと、また全員の視線が宵に向いた。
それだけで、昨日の騒動のとき、全員がここにいたことに気付いた。
「あ……お騒がせしました。わたしは全然平気です。おかげで、ここに来る決心もつきました」
「白鷺の力は隠しきれない。どうせすぐに知れ渡るだろう。そうすればやっかみもなくなる」
暁が窓の方を向いたままそう言った。
宵は少し考える。
それは、慰め? もしくは、ちゃんと仕事をしろって意味……?
「それで、わたしのここでの役割は何になるんでしょう? 書記も会計も、役職はもう埋まってますよね」
「うーん。そうだねぇ。まずは、ばんくんとちーちゃんの補佐をしてもらって」
「要するに、雑用係ってことで」
背後に回った万理が宵の肩をポンと叩く。
「宵ちゃん。歓迎しますよ。まずは今度の剣技大会で、いっぱい働いてもらうからね」
◇◇◇
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