第七話:呪いの外部メモリー
激闘の翌日。アルミホイルが中途半端に剥がれ、お惣菜の食べ残しのような有様になった四畳半で、私は一晩中その『SDカード』を睨みつけていた。
「奈美、顔が般若になってるよ。とりあえず顔洗ってきなよ」
私のベッドで勝手に熟睡していた京子が、呑気に欠伸をしながら起き上がる。
「洗えるわけないでしょ。……いい、京子。このカード、昨日の戦いでマサト……あの黒いコートの男が、わざと落としていったものよ。中身が何であれ、ろくなもんじゃないのは分かってる。でも、これを確認しない限り、あいつの正体も、私の住所を知ってる理由も分からないままだわ」
私は、朝一で京子に買ってきてもらった「中古の、ネットワークに一切繋いでいない完全オフラインのノートパソコン」を開いた。ネット知識第百五十二条、『呪いのデータを読み込む際は、外界との接触を断て』。ウイルス対策以前の、鉄則である。
「……いくわよ」
カチリ、とカードを差し込む。
古いパソコンが、老人の溜息のようなファン音を立ててデータを読み込み始めた。
画面に表示されたのは、たった一つの動画ファイル。ファイル名は『20XX_HomeVideo』。日付は、私がこのボロアパートに引っ越してくるよりもずっと前のものだった。
再生ボタンをクリックする。
画面に映し出されたのは、ひどくノイズの乗った、定点観測のような映像だった。
一瞬、どこかの施設かと思ったが、すぐに背筋が凍った。
「……ここ、私の部屋じゃない」
間違いない。剥がれかけた砂壁、畳の染み、そして押し入れの歪み。今まさに私が座っている、この「家賃一万円の四畳半」だ。
映像の中の部屋は今より少しだけ綺麗で、中央には小さな食卓が置かれていた。そこには、一人の男が座っている。
「……あ、この人……」
京子が息を呑む。
映像の中にいたのは、あの「マサト」……ストーカーの男によく似た、もう少し若い頃の姿だった。彼は楽しそうに、誰もいない向かい側の席に向かって語りかけている。
『……ねぇ、沙織。今日のおにぎり、美味しかったよ。……え? もう一個食べるかって? もちろん。君が作るものは、何でも最高だ』
男は、何もない空間から「おにぎり」を受け取るような仕草をし、虚空を頬張った。
その瞬間、映像に激しいノイズが走る。
ノイズが晴れた後、男の向かい側には、ぼんやりとした「白い影」が座っていた。それは、かつて私が浄霊したはずの、この部屋の先住霊の姿だった。
「……待って。あいつ、この部屋で幽霊と一緒に『生活』してたの!?」
「それだけじゃないわ、奈美。見て、カレンダーの日付……。あいつ、私が引っ越してくる直前まで、ここに住んでたんだ」
映像の中で、男は突然、カメラに向かって顔を近づけた。
その瞳は焦点が合っておらず、けれど狂気に満ちた歓喜に震えている。
『……見つけたよ。僕と沙織の邪魔をした、新しい住人。……ネットで調べた知識で、僕たちの「愛」を追い出した、生意気な女の子』
画面の中の男が、指を差した。その指先は、まるで液晶を突き破って、今ここにいる私を指し示しているようだった。
『……君が、僕の「沙織」を消したんだ。……なら、代わりになってもらうしかないよね? 君を浄化して、僕の理想の「忘れ物」にしてあげる』
ドサッ!!
突然、押し入れの天袋から、何かが落ちてきた。
それは、古い「赤い封筒」がぎっしりと詰め込まれた、一冊のアルバムだった。
「ひ、ひぃぃぃ! 奈美、勝手に落ちてきた! 物理的に落ちてきたよ!!」
「……落ち着け京子! これはビデオと連動した遠隔起動の呪術よ! あいつ、動画を見ること自体を『儀式の開始』に設定してたんだわ!」
アルバムが開く。中には、私がこの部屋で寝ている姿、大学へ通う姿、そして……ファブリーズで除霊している滑稽な姿まで、隠し撮りされた写真がびっしりと貼られていた。
それだけではない。各ページには、私の「名前」と「生年月日」、そして「私が使ったウェットティッシュの燃えカス」や「髪の毛」が、標本のように貼り付けられていた。
「……徹底的ね。あいつ、私が先住霊を追い出したあの日から、ずっと私の後ろにいたんだ」
その時、パソコンの画面が真っ暗になり、真っ赤な文字が浮かび上がった。
『SYSTEM ERROR: 浄霊 シマス カ? [YES]/[YES]』
「選択肢がない!!」
京子が叫ぶのと同時に、部屋中のアルミホイルが、まるで見えない手に握りつぶされるようにクシャクシャと音を立てて丸まっていった。
四隅に置いた盛り塩が黒く変色し、炭のように弾ける。
部屋の空気が、一瞬で「デジタルノイズ」のようなピリピリとした感触に変わった。
壁の砂壁が剥がれ落ち、その奥から、無数の「SDカード」が埋め込まれているのが見えた。この部屋自体が、あいつによって『呪いのサーバー』に改造されていたのだ。
「……おのれ……。私の神聖な一万円アパートを、勝手に魔改造してんじゃないわよ!!」
私の逆ギレが爆発した。
恐怖は、ある一定のラインを超えると、猛烈な「管理責任者としての怒り」に変わる。
「京子! カバンから『強力マグネット』と『瞬間接着剤』を出して!」
「な、何するの!?」
「磁気には磁気よ! デジタルに依存した呪いなら、物理的な磁力でデータをクラッシュさせてやるわ!!」
私は、百円ショップで買った超強力ネオジム磁石を手に取ると、それをパソコンのハードディスクがある位置に叩きつけた。
「クラッシュしろ! 上書き保存だ! お前の執着も、このビデオも、全部セクターごと消去してやる!!」
さらに、壁に埋め込まれたSDカードに向かって、聖水(塩水)を霧吹きで噴射する。
「電化製品は水に弱いのよ! ショートして燃え尽きなさい!!」
ジジッ、ジジジ……!
部屋中でショートするような音が響き、あちこちから白い煙が上がる。
パソコンの画面の中で、男の顔が苦悶に歪み、ノイズの中に消えていく。
『……マ……ダ……。ボク……ハ……アキラメ……』
「諦めなさい! 私の家賃更新日は来月なの! あんたみたいな不良住人に、私の更新を邪魔させない!!」
私は最後の一撃として、部屋のブレーカーを力一杯落とした。
完全なる暗闇。
そして、完全なる静寂。
……数分後、私が懐中電灯を点けると、そこには、ただのボロボロの四畳半が戻っていた。
壁のSDカードはすべて黒く焦げ落ち、パソコンは二度と動かない鉄クズに変わっていた。
そして、床に落ちていた「アルバム」の最後のページ。
そこには、今までとは違う、走り書きのような文字が残されていた。
『……負けたよ。君の「現実」への執着は、僕の「過去」への執着より、ずっと重い。……でも、気をつけて。君が使っているその「ネットの知識」。それを書き込んでいるのは、本当に「人間」だと思っているの?』
「……え?」
私は、自分のスマホを手に取った。
いつも頼りにしている、オカルト掲示板。
そこに並ぶ、数々の除霊メソッド。
ふと、そのスレッドの投稿者のIDを辿ってみた。
すべての有用な情報を書き込んでいるユーザーのIDは、共通していた。
『ID: M_ASATO_88』
「……うそ。私、今まであいつに教わった方法で、あいつを追い出してたの……?」
京子が震える声で呟く。
「……マッチポンプ、ってこと? 奈美を『本物の除霊師』に育てるために、あいつがわざと情報を流して……?」
窓の外。
朝焼けの街並みはいつも通りだったが、私の指先は、スマホの冷たい感触に凍りついていた。
――第七話・完――




