第六話:【ホーム・ディフェンス】家賃一万円の防衛線
東京の端っこ、築四十年。木造二階建て、風呂なしトイレ共同。
この「家賃一万円」という奇跡の数字を守り抜くために、私はかつてこの部屋の先住霊をネット知識で叩き出した。ここは私の聖域であり、城であり、生存戦略の結晶だ。
その聖域が今、かつてない危機に瀕している。
「……いい、京子。敵は私の住所を完全に把握してる。それも、ただのストーカーじゃない。あの『マサト』とかいう、呪いの概念そのものを送り込んでくるヤバい奴よ」
私は、四畳半の部屋の中央に座り、周囲に広げた「武装」を点検していた。
隣では、京子が「えー、これ本当にやるの?」と、半ば引き気味に大量のアルミホイルをカットしている。
「やるのよ。ネットの匿名掲示板『呪術・オカルト板』のまとめ記事第百二十八条によれば、『呪いを送る者は、送り先の空間を自分の支配下に置くことで完成させる』って書いてあった。だったら、この部屋を『物理的かつスピリチュアルに、徹底的な拒絶空間』に作り変えるしかないの!」
私の防衛計画はこうだ。
まず、壁一面をアルミホイルで覆う(電磁波と念の遮断)。
畳の隙間には、おばあちゃん特製の粗塩と、消臭剤(無香空間)をブレンドした「対・霊体地雷」を設置。
そして窓ガラスには、防犯フィルムの上から、マジックで『退去命令』とデカデカと書いた。
「奈美、これじゃ生活できないよ。まるでお惣菜の包み紙の中に住んでるみたい」
「背に腹は代えられないの! さあ、仕上げに玄関ドアの隙間を、聖水(塩水)に浸した隙間テープで埋めるわよ!」
その時だった。
一階の共同玄関のドアが、ガタガタと激しく揺れた。
古びたアパート全体が、地震でもないのに嫌な小刻みな震えに襲われる。
「来た……ッ!」
私のスマホが、机の上で激しく跳ねた。
画面には、前回のバーベキューで見たあの「マサト」からのメッセージが、通知バーを埋め尽くすほどの勢いで流れ込んでくる。
『開けて。』『お腹空いた。』『君の部屋、すごく美味しそうな匂いがするね。』『ねぇ、隠れても無駄だよ。』『もう、後ろにいるよ。』
「ギャアアア! 奈美、後ろって言ってる! 後ろ!!」
「京子、落ち着いて! それは古典的な精神攻撃よ! 実際には私の防壁を突破できてないから、そうやって揺さぶってるの!」
私はトートバッグから、本日の最大兵器を取り出した。
それは、実家から送られてきたばかりの『超強力・燻製器』。本来はチーズやベーコンを燻すためのものだが、私はその中に、乾燥させた「ドクダミ」「ヨモギ」「セージ」そして「大量の唐辛子」をぶち込んだ。
「これぞ、特製・浄霊発煙筒! 煙には物理的な質量がある。その質量すべてに『拒絶の意志』を乗せて、部屋中を燻し尽くしてやるわ!」
スイッチをオンにすると、強烈な、鼻を突くような煙が部屋に充満し始めた。
「ゴホッ、ゴホッ! 奈美、霊の前に私たちが死ぬ!!」
「我慢して! 浄霊はいつだって自己犠牲の上に成り立つものなのよ!(ネット調べ)」
煙がアルミホイルの壁に反射し、渦を巻く。
すると、何もない空間から「ギチギチ……」という不快な軋み音が聞こえてきた。
アルミホイルの一部が、まるで内側から押し出されるように歪み、そこから真っ黒な、人の形をした『何か』が染み出そうとしていた。
『ナミ……ナミ……。イッショニ……イコウ……』
沙織さんの時に見たマサトよりも、ずっと濃く、ずっと醜い。それは特定の個人の思念というより、ネット上の悪意を吸い込みすぎて肥大化した、情報の怪物だった。
「誰が行くか! 私はこの家賃一万円を死守するって決めてるの!」
私は煙の中から、予備の『クイックルワイパー(強化版)』を突き出した。 今回のシートには、あらかじめ「般若心経の全文」をプリンターで印字してある。しかもインクには、神社で分けてもらったお清め砂を微量に混ぜ込むという、徹底した『物理×電脳』のクロスオーバー仕様だ。
「整理! 整頓! 契約解除!! 敷金も礼金も払ってない不法占拠者は、私のモップで塵になりなさい!!」
モップが黒い影に触れた瞬間、パチィィィン!! という、落雷のような音が狭い四畳半に響き渡った。
煙と静電気が混ざり合い、アルミホイルが激しく火花を散らす。
黒い影は、悲鳴ともつかない電子ノイズを発しながら、床に撒いた「粗塩地雷」の上にのたうち回った。
「とどめよ、京子! 例の『アレ』を起動して!」
「分かった! えいっ!!」
京子が、部屋の四隅に配置していた「格安のスマートスピーカー」を一斉に起動させた。
そこから流れるのは、私が昨日徹夜で編集した、五つの宗派の読経と、超高周波のモスキート音、そして『私の怒鳴り声』をミックスした特製浄霊トラック。
『出ていけえぇぇ!!(爆音)』『南無阿弥陀仏……(重低音)』『ピーーーー!(高周波)』
「ギ、ギャアアアアアア!!」
黒い影――マサトの化身は、音の衝撃波と煙の刺激に耐えきれず、窓の隙間から霧散するように逃げ出していった。
同時に、アパートを揺らしていた振動がぴたっと止まる。
……静寂。
残されたのは、煙で真っ白になった、アルミホイルだらけの異様な部屋。
そして、あまりの騒音に「うるせえぞ、コラァ!」と壁を叩く隣の住人の怒鳴り声。
「……勝った?」
京子が、涙目になりながら尋ねる。
「うん。……とりあえず、この部屋からは追い出した。でも……」
私は、床に落ちていた一枚の「赤い封筒」を拾い上げた。
それは今までとは違い、ボロボロに焼け焦げていた。中に入っていたのは、手紙ではなく、一枚の『古いSDカード』。
「……あいつ、まだ諦めてない。次は物理的な場所じゃなく、もっと深いところに来るつもりだわ」
私は、窓のアルミホイルを少しだけ剥がして外を見た。
アパートの街灯の下、黒いコートを着た男が、こちらを見上げてニヤリと笑い、闇の中に消えていくのが見えた。
「京子。……悪いけど、私のパソコンのセキュリティーソフト、最強のやつ買ってきて。あと、お口直しにコンビニのパフェ」
「もう、奈美の除霊代、どんどん高くなっていくね!」
「当たり前でしょ。私の命と、この一万円の家賃がかかってるんだから!」
こうして、史上最も「安上がりで必死な」防衛戦は幕を閉じた。
しかし、私のスマホの画面には、消えない一文字が残っていた。
『LOADING……(0.1%)』
黒幕との真の決着は、まだ始まったばかりだった。
――第六話・完――
この作品は【完結済】ですので安心してご熟読下さい。更新は週一回から二回、予約済みです!




