第二話:【デジタル×物理】SNSに憑いた「いいね!」の亡霊
沙織さんのマンションの一件から一週間。
私は、大学の学食の片隅で、目の前に積み上げられた高級寿司の折り詰めを前に、深い、深ーい溜息をついていた。
「ねぇ奈美、そんなに睨まなくてもお寿司は逃げないよ? ほら、大トロ! 奮発したんだから」
目の前で上機嫌に割り箸を割っているのは、諸悪の根源――もとい、親友の京子だ。
彼女がこうして「目に見える対価」を先出ししてくる時、ろくなことは起きない。それは、家賃一万円のボロアパート生活で培われた、私の貧乏センサーが激しく警鐘を鳴らしていた。
「……京子。これ、何の代金? 私、まだ何も引き受けるなんて言ってないんだけど」
「えー、冷たいなぁ。ただの『日頃の感謝』だよ。……あ、でもね、ちょっとだけ相談したいことがあるっていうか、紹介したい人がいるっていうか」
ほら来た。 私は大トロを口に放り込み、そのあまりの美味さに意識が飛びそうになるのを必死でこらえながら、ジト目で彼女を睨んだ。
「お祓いなら、お断り。私は普通の女子大生なの。前のは、たまたま(・・・・)なんとかなっただけなんだからね」
「分かってるって! だけど、今回はちょっと特殊なの。ほら、あそこにいる人、見て」
京子が指差したのは、学食の中でも一際キラキラとしたオーラを放つ一団。その中心に座る、モデル顔負けの美女――サークルの先輩であり、フォロワー数万を抱えるインフルエンサー、美月さんだった。
彼女は今、自撮り棒を片手にスマートフォンに向かって微笑んでいたが、その表情はどこか引き攣っている。
「美月先輩、最近SNSでめちゃくちゃバズってるんだけど……そのバズり方が、ちょっと『普通じゃない』んだよね」
京子に連れられて美月先輩の前に行くと、彼女は藁にもすがるような目で私を見つめてきた。
「奈美ちゃん……。京子ちゃんから聞いたわ。あなた、すごい『力』があるんですってね……?」
「いえ、ただのネット知識の詰め合わせです」
「お願い、これを見て。もう、限界なの……」
美月先輩が震える手で差し出してきたのは、彼女が昨夜アップしたという自撮り写真。
お洒落なカフェでパンケーキを前に微笑む美月さん。しかし、その肩のあたりに、異様なものが写り込んでいた。
白い、異様に細長い、指の数が一本多い「誰かの手」が、彼女の首を愛おしそうに撫でていたのだ。
「……うわ。心霊写真にしては、主張が激しすぎません?」
「そうなのよ! 最初は『映えを狙った加工だ』って思われて、バズったの。でも、それから何を撮っても、どんなに部屋を明るくしても、この『手』が写り込むようになって……」
美月さんがスマホの画面をスクロールする。
鏡越し、街角、夜の部屋。すべての写真に、その白い手は写っていた。しかも、投稿を重ねるごとに、手は少しずつ彼女の喉元へと近づいている。
そして、何より異常だったのは――。
「……あれ。このスマホ、熱くないですか?」
私が受け取ったスマホは、動画を長時間回している時のような熱さではない。まるで、生き物の内臓を触っているような、じっとりと湿り気を帯びた、不快な熱を持っていた。
美月さんは涙目になりながら呟く。
「最近は、スマホを握っていると、指の間から生温かい肉の感触がするの。夜になると、画面の中から『もっと、いいねをちょうだい』って声が聞こえてくるし……」
私は直感した。
これは、沙織さんの時のような「特定の個人からの呪い」ではない。
不特定多数の「もっと見たい」「もっと晒せ」という承認欲求と、それに執着した美月さんの心が混ざり合い、ネットの海を漂う『承認の亡霊』を呼び寄せてしまったのだ。
「バズってるんだし、フォロワーも増えてるなら、いいんじゃないですか?」
私が投げやりに言うと、京子が脇腹を小突いてきた。
「奈美! 美月先輩、もう三日も寝てないんだよ!? スマホを手放そうとすると、画面から手が伸びてきて引き戻されるんだって!」
見れば、美月さんの指先はスマホと「同化」し始めているかのように、皮膚が赤黒く変色していた。
……やばい。これ、放っておくとスマホに取り込まれるやつだ。ネットの掲示板で見たことがある。『デジタル地縛霊』の初期症状だ。
「……はぁ。お寿司、食べちゃいましたもんね」
私は溜息をつき、おもむろに自分のトートバッグを漁った。
「美月先輩。とりあえず、そのスマホをテーブルに置いてください。あ、直接触りたくないので、そこにあるトレイに乗せて」
「な、奈美ちゃん? 何をするの?」
「デジタルにはデジタル。物理には物理です」
私が取り出したのは、ドラッグストアで安売りされていた『液晶用ウェットティッシュ(除菌99.9%・帯電防止剤配合)』。そして、百円ショップの『ブルーライトカットフィルム』だ。
「……奈美、それで浄霊するの?」
京子が呆然とした声を出す。
「いい? ネットの知識によると、悪霊っていうのは一種の電磁波みたいなものなの。しかもこいつは『承認欲求』という情報の澱みからできてる。だったら、まずは物理的に『不純物』を取り除かないと」
私はウェットティッシュを三枚重ねにし、親の仇のようにスマホの画面をごしごしと拭き始めた。
「除菌! 除菌! 承認欲求という名のウイルスを除菌!!」
シュッ、シュッ! と、スマホから異音が出る。
ただの液晶汚れを拭いているはずなのに、なぜか画面からは「ギチギチ」という、虫が潰れるような嫌な音が響いた。
驚くべきことに、ウェットティッシュが触れるたび、スマホから黒い霧のようなものが立ち上り、真っ白だったティッシュがどす黒く変色していく。
「見て! 画面の中の手が、逃げようとしてる!」
京子が叫ぶ。
確かに、画面の端で蠢いていた「一本多い指」が、私の除菌攻撃に耐えかねて、液晶の奥へと必死に逃げ込もうとしていた。
「逃がさないよ! 帯電防止剤の力を舐めないで! 霊体の付着を防ぐんだから!」
私はさらに、予備の『おーいお茶(特濃塩入り)』をティッシュに含ませ、画面に塗りたくった。
「塩分とカテキンで、情報の海を浄化してやる! ほら、このスマホはもうお前の居場所じゃない! ログアウトしろ、このニート亡霊!!」
その瞬間、スマホが激しく振動した。
画面が真っ赤に発光し、美月さんのアカウントが勝手に「ライブ配信」を開始する。
視聴者数が瞬く間に数千、数万と跳ね上がり、コメント欄が「助けて」「怖い」「もっとやれ」という負の感情で埋め尽くされていく。
画面の中から、ついにあの「白い手」が、物理的な肉体を持って這い出してきた。
「ひっ、あああ!!」
美月さんが悲鳴を上げる。
学食の他の学生たちは、なぜかこの異常事態に気づいていない。スマホの画面越しに見る世界と、現実の世界が、このテーブルの上だけで歪んでいるのだ。
「京子! スマホのレンズを隠して! 外部からの視線を遮断するの!」
「分かった!」
京子が美月さんのハンカチをひったくり、カメラレンズに被せる。
観測者がいなくなったことで、亡霊の力は一気に弱まった。
「とどめだ、ブルーライトカット!!」
私は新しい液晶保護フィルムを手に取った。
普通のフィルムではない。あらかじめ裏面に、油性ペンで細かく『般若心経(の、ネットでコピペした最初の三行)』を書き込んだ特製だ。
「お前の『輝き(ブルーライト)』は、もう誰にも届かない! 封印、完了!!」
ペタァッ、と、私は完璧な気泡ゼロの精度でフィルムを画面に貼り付けた。
その瞬間。
スマホから「ブチッ」という、通信が途絶えたような音が響き、すべてが止まった。
画面から這い出しかけていた白い手は、フィルムの糊に捕まった虫のように動かなくなり、そのまま砂のように崩れて消えていった。
スマホの熱は一気に下がり、どこにでもある冷たい精密機器に戻る。
「……あ。消えた……」
美月さんが恐る恐るスマホを手に取る。
画面には、いつもの待ち受け画像が表示されていた。指の変色も消え、あの不快な肉の感触もなくなっている。
「先輩、今すぐそのアカウント、消してください。もしくはしばらくログアウトすること」
「えっ、でもフォロワーが……」
「また同じことになりたいなら、どうぞ。今の先輩のSNSは、幽霊専用の無料Wi-Fiスポットみたいなもんですよ?」
私の辛辣な言葉に、美月さんはハッとしたように、震える指でアプリをアンインストールした。
「……奈美ちゃん。ありがとう、本当に……。私、何かに取り憑かれたように、数字ばかり気にしてた……」
「いいんですよ。お寿司、美味しかったですし」
美月先輩は、何度も頭を下げて去っていった。
残されたのは、やり遂げた感でぐったりとしている私と、キラキラした目で私を見る京子。
「ねぇ奈美! 凄かったよ今の! 『ブルーライト浄霊』って新しくない!?」
「新しくない。ただの力技。……もう、本当に疲れたから帰る」
私はトートバッグを肩にかけ、席を立った。
……けれど、その時。
自分のポケットの中で、スマホが「バイブレーション」した。
通知ではない。
誰からもメッセージなんて来ていないはずなのに、スマホの底が、ほんの少しだけ……生き物のように、トクン、と脈打った気がした。
「……奈美? どうしたの?」
「……いや。なんでもない」
私はスマホをぎゅっと握りしめた。
ネットの知識に書いてあったっけ。
『一度、あちら側に顔を売った人間は、次のログイン待ちリストの最上位に登録される』――なんて。
「ねぇ奈美! 次はゼミの教授がさ、旧校舎のロッカーがどうとか……」
「却下! 絶対に却下だからね!!」
私の悲鳴が、夕暮れのキャンパスに虚しく響き渡った。
――第二話・完――




