番外編・第三話:【家電×物理洗浄】「深夜のコインランドリー、乾燥機から変な声がする」
平和。それは砂上の楼閣。
家賃一万円のボロアパートに住む私、奈美にとって、それは維持費のかかる高級ブランド品のようなものだ。
一週間の過酷な大学生活と、断れない友人・京子から持ち込まれる怪異の処理を終え、私は今、猛烈な「洗濯物」の山と向き合っていた。
「……なんで私の服、全部生霊の匂いと焦げた護符の匂いがするわけ?」
アパートの共同洗濯機は、誰かが入れた「一円玉(昭和三十年製)」が詰まって故障中。
私は仕方なく、深夜二時の街へと繰り出した。目指すは、徒歩五分の場所にある二十四時間営業のコインランドリー『ふわふわパラダイス』だ。
深夜のコインランドリー。そこは、孤独な魂と行き場のない靴下たちが集まる、都会の僻地。
自動ドアが開き、蛍光灯の青白い光が私を迎える。……と、同時に。 私の「貧乏センサー」が、かつてないほど激しく、もはや警報音を通り越して悲鳴を上げた。
「……うわ。これ、入っちゃダメなやつじゃん」
空気の密度がおかしい。湿り気を帯びた熱風が、まるで誰かの溜息のようにまとわりついてくる。
ランドリーの奥に並ぶ、巨大なガス乾燥機の群れ。その中の一台――端にある『七番機』だけが、誰もいないのに、ゴウン……ゴウン……と、苦しげな回転を続けていた。
そして、聞こえてきたのだ。
『……回して……もっと……熱くして……。私、まだ……乾ききってないの……』
湿った、粘りつくような女の声。
乾燥機のドラムの中では、衣類ではなく、どす黒い霧のような「何か」が、洗濯物のふりをしてぐるぐると回っていた。
「奈美ーー! やっぱりここだったんだ!」
背後から、心臓を止めるような勢いで京子が飛び込んできた。
「あんた、なんで私がここにいるって分かったのよ」
「奈美の洗濯カゴが玄関に出てたから! それより見て、ここ! ネットの掲示板で今、超話題なんだよ。『深夜二時の七番乾燥機には、失恋して入水した女の地縛霊が住み着いている』って!」
「……だから、その『ネットの知識』はもう信じないって言ったでしょ」
私は眉間を押さえた。
でも、無視もできない。このままでは私の大事なパジャマが、この「湿っぽい未練」の巻き添えを食らって、永遠に乾かない呪いにかかってしまう。
「ネットの知識(※元マサト投稿・アーカイブ第88条)によれば、『水の呪いは、火(熱)では消えない。むしろ蒸発して、空間全体に感染する』。……あいつ、こんなところにまで嫌な知識を残して……」
確かに、乾燥機は熱風を出し続けているが、七番機のガラス面には、びっしりと「内側から」水滴がついていた。それは汗のように、あるいは涙のように滴り落ち、機械の下に不気味な水溜まりを作っている。
「どうするの、奈美! ファブリーズは? 粗塩は?」
「ここはランドリーよ。掃除のプロの戦場に、中途半端な除霊グッズは不要。……あっちが『湿気』と『未練』で攻めてくるなら、こっちは『界面活性剤』と『物理振動』で完封してやるわ!」
私は、自分の洗濯カゴから、本日のメインウェポンを取り出した。
一つ目は、特売で買った『ダウニー(最強の柔軟剤・アロマの香り)』。
二つ目は、乾燥機用の『ドライヤーボール(突起がついたウール製の球体)』。
そして三つ目は、私の最終奥義――『静電気防止シート(大量)』だ。
「いい、京子。あの霊は、自分が『乾いていない』と思い込むことで、この世への未練を繋ぎ止めてる。だったら、物理的な静電気をゼロにして、霊体の粒子が機械に定着できないようにしてやるのよ!」
私は七番機の扉を、力一杯引き開けた。
ムワッ、とした、古い風呂場のような臭いが立ち込める。
『……あ……あつ……あつい……でも……足りない……。もっと……愛して……』
「愛が欲しければマッチングアプリでもやりなさい! ここは洗濯物を乾かす場所よ!!」
私は、まず『静電気防止シート』を、ドラムの内側に隙間なく貼り付けた。
「除霊! 防止! 非接触!! お前のドロドロしたエクトプラズムを、このシートが全部吸着して、床に叩き落としてやるわ!」
さらに、私は柔軟剤のボトルを手に取り、乾燥機のフィルター部分に直接塗りたくった。
「フローラルの香りを舐めるな! お前の『入水した川の匂い』なんて、この濃縮された花の香りで、分子レベルで上書きしてやる!!」
仕上げに、私はドラムの中に『ドライヤーボール』を十個ほど投げ込んだ。
「これぞ、物理的・攪拌浄霊術! お前の形を保とうとする未練を、このボールが毎分千回転で叩き潰して、粉々に粉砕してやるわ!!」
私は扉を閉め、五十円玉を三枚、力強く投入した。
――スタートボタン、オン。
ゴォォォォォォ!!
猛烈な勢いで回転を始める七番機。
中では、ドライヤーボールが「ガン! ガシャ! ドス!」と、ボクシングのミット打ちのような激しい音を立てて、黒い霧を乱打している。
「ギャ、ア、アアアァァ!! ……いい匂い……じゃない、苦しい……ッ! 叩かないで……! 静電気が……起きない……ッ!」
ドラムの中で、女の形をしていた霧が、柔軟剤の香りに包まれてピンク色に変色し、ドライヤーボールの衝撃で形を崩されていく。
さらに、静電気防止シートが霊体の電磁気的な結合をバラバラに分解し、出口のない熱風とともに、排気ダクトへと押し流していく。
「京子! 今よ! ランドリーの入り口にある『消臭スプレー(業務用)』を、排気口に向かって全噴射して!」
「了解! 除菌・消臭、フルパワー!!」
京子が、店の隅に置いてあったスプレーを手に取り、ダクトの出口に向かって噴射する。
外の夜空に向かって、ピンク色の、いい香りがする煙がシュルシュルと吸い込まれていった。
……ピー、ピー、ピー。
十五分後。タイマーが終了し、七番機が静かに止まった。
私が扉を開けると、そこには、一点の湿り気もない、カラッとした、そして驚くほどフローラルな空間が広がっていた。
床の水溜まりも消え、あの粘りつくような視線も、跡形もなく消え去っている。
「……ふぅ。完璧。……おまけに、フィルターのホコリも全部取れちゃったわね」
「奈美、すごすぎるよ! 乾燥機の中で『打撃浄霊』を行うなんて、コインランドリー協会もびっくりだよ!」
「協会なんてないわよ。……あー、疲れた。私の洗濯物、入れる前に終わっちゃったじゃない」
私は自分の洗濯カゴを持って、今度は一番平和そうな『二番機』に衣類を投げ込んだ。
……しかし。
衣類を入れ終わった私の目に、あるものが止まった。
七番機の、ガラスの裏側。
そこには、指で書いたような、小さな、けれど確かな文字が残っていた。
『……ごめんなさい。……あ、あと。マサトさんに、よろしく。』
「……え?」
マサト? あいつ、警察に行ったんじゃないの?
私は慌てて、自分のスマホを取り出した。
例の、削除されたはずのスレッド。……その跡地に、一つだけ、新しいコメントがついていた。
『ID: M_ASATO_88(復旧中):
「生活の汚れ」は落ちても、「僕のデータ」は消えないよ。……次は、君の大学の卒業アルバムで、同窓会をしようか。』
「……嘘でしょ。あいつ、バックアップ取ってたの……?」
京子が呑気に「奈美ー、自販機のコーヒー飲むー?」と聞いてくる。
私は、乾燥機の熱風で火照った顔を、スマホの冷たい画面に押し当てた。
平和。それは、やっぱり私には高すぎるブランド品らしい。
「……京子。コーヒー、ブラックでお願い。……あと、アルバム、全部シュレッダーにかけるから、手伝って」
深夜のランドリー。 私のパジャマが回る音に混じって、どこかで、デジタルな笑い声が聞こえた気がした。
――番外編・第三話:完――
物語は再び、マサトの不気味な復活(?)




