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番外編・第一話:【メルカリ】「届いた姿見が、なんかずっと私を映してる件」


「……ねぇ、奈美。ちょっとこれ、見てくんないかな」


 平和な日曜日の昼下がり。家賃一万円の我が城で、録画していた激安スーパーの特売特集を観ていた私の安らぎは、またしても京子の訪問によって打ち砕かれた。


 彼女が抱えてきたのは、大きな段ボール箱。


 嫌な予感がする。私の貧乏センサーが「それ、関わったら損するやつ!」と最大音量でアラートを鳴らしている。


「京子。あんた、最終回で『しばらく大人しくしてる』って言わなかった?」

「言ったよ! 言ったけどさ、これ見てよ。フリマアプリで『アンティークの姿見・送料込み三千円』だよ? 破格でしょ? 即ポチしちゃうでしょ?」


 京子が箱から取り出したのは、高さ一メートルほどの、重厚な装飾が施された真鍮製の姿見だった。確かに三千円には見えない。普通に買えば数万円は下らない代物だ。


 だが、その鏡面。

 ……なんか、淀んでいる。


 磨き上げられているはずなのに、反射する私の部屋が、まるで水底にあるように暗く、沈んで見える。


「で、これがどうしたのよ。単に掃除が足りないだけじゃない」

「違うんだって! 奈美、ちょっと鏡の前に立ってみてよ」


 促されるまま、私は鏡の正面に立った。

 鏡の中には、ジャージ姿で不機嫌そうな顔をした「私」が映っている。私は右手を上げた。


 ……一秒。

 ……二秒。

 ……三秒。


 三秒経ってから、鏡の中の「私」が、ゆっくりと右手を上げた。


「……えっ」


 背筋に氷を突っ込まれたような寒気が走る。

 鏡の中の私は、私と同じ動作をしているはずなのに、明らかに『別の意志』を持って動いている。私が手を下ろしても、鏡の中の私は三秒間、まだ手を上げたままこちらをじっと見つめているのだ。

 しかも、よく見ると鏡に映っている部屋の様子がおかしい。

 私の四畳半にあるはずのない、豪華なベルベットのカーテン。畳の上にはなぜか燭台が置かれ、壁には不気味なシンボルが描かれた布が掛かっている。


「……京子。これ、アンティークじゃなくて『呪物』じゃない。しかもこれ、鏡の中の世界を少しずつ改装して、こっち側の人間を引きずり込もうとしてるわよ。この豪華な部屋は、いわば『餌』ね」

「やっぱり!? 私、これを開けてからずっと視線を感じるし、夜中に鏡の中から『……こっち……広いよ……』って声が聞こえる気がするんだよ!」


 私は、スマホで例のフリマアプリの出品者情報を確認した。


 ユーザー名は『M_A_S_A_T_O(偽物)』。


 ……懲りないわね、あのアカウント。マサト本人は警察に行ったはずだけど、彼の「情報の残滓」がこうしてネットの海を漂い、安さを餌に獲物を釣っているらしい。


「ネットの知識(※元マサト投稿)第百二条によると、『鏡のタイムラグは、現世と隠世の周波数のズレ』だって書いてあったわ。要するに、あっち側の時計が三秒遅れてるから、その隙間に怪異が入り込む隙ができるってわけ」


「どうするの、奈美! お札? 盛り塩?」

「そんな甘っちょろいもんじゃ足りないわ。あいつは三秒のラグを利用して、じわじわと『自分たちの物語』を構築してる。だったら、まずは強制的に『同期シンクロ』を合わせるのよ!」


 私はスマホを取り出し、音楽家が使う『メトロノームアプリ』を起動した。

 設定は、一分間に百二十拍。


 カッ、カッ、カッ、カッ。


 私はスマホを鏡の目の前に置き、音量を最大にした。


「いい? 怪異! 私の部屋は四畳半、家賃一万円! あんたの豪華な祭壇なんて、私の生活リズムには合わないの! このテンポに合わせなさい、今すぐに!!」


 メトロノームの規則正しく、無機質な音が部屋に響き渡る。

 鏡の中の「私」が、明らかに動揺し始めた。三秒遅れて動こうとする動作が、メトロノームの一定のリズムによって阻害され、カクカクとしたぎこちない動きに変わる。


「ギ、ギギギ……ギギ……」


 鏡の中から、古い機械が軋むような異音が漏れ出した。

 メトロノームの音が、鏡の中の『三秒のラグ』を物理的な振動で叩き潰していく。


「よし、同期がズレてきたわ! 今度は、あっち側がこっちを見られないようにしてやる!」


 私はトートバッグから、本日の最終兵器を取り出した。

 それは、実家の父の車庫からくすねてきた、車用の撥水コーティング剤『ガラコ(超強力版)』。


「鏡っていうのはね、光を『反射』するものでしょ? だけど今のあんたは、あっち側の邪念をこっち側に『付着』させようとしてる。だったら、付着できないくらいツルツルにしてやればいいのよ!!」


 私は鏡面にガラコをドバドバと塗りたくった。


「除霊! 撥水! 視界良好!! 念も! 呪いも! 湿っぽい未練も! 全部一滴残らず弾き飛ばしてやるわ!!」


 フェルト付きのボトルで鏡面を力一杯こする。

 すると、どういう原理か(たぶん、私の『絶対に自分の姿を歪めたくない』という強烈なエゴが科学反応を起こしたのか)、ガラコの成分が銀色の膜となって鏡面に定着した。


 その瞬間、鏡の中にいた「三秒遅れの私」の姿が、水滴が弾かれるようにバラバラに分解され始めた。

 豪華な祭壇も、不気味な燭台も、ガラコの強力な撥水パワーによって『汚れ』として認識され、鏡の表面からズルリと滑り落ちていく。


「ア、ア、ア、アアアァァ!!」


 鏡の中から、誰のものともつかない悲鳴が上がる。

 けれど、その声さえも撥水加工された鏡面には届かず、虚空へと跳ね返されていく。


「とどめよ、京子! 仕上げの乾拭き!!」

「了解! マイクロファイバークロス、いくよー!!」


 私と京子で、狂ったように鏡を磨き上げた。

 キュッ、キュッ、と小気味よい音が響くたび、鏡の中の世界が『普通の四畳半』に書き換えられていく。


 数分後。


 そこには、一点の曇りもない、ピカピカに輝く姿見が残されていた。

 私が右手を上げると、鏡の中の私も、寸分違わず同時に右手を上げた。

 背景に映るのは、ボロい砂壁と、特売のチラシが貼られた冷蔵庫。……完璧な、私の現実だ。


「……ふぅ。終わったわね。これでもう、怪異もこびりつけないはずよ。雨の日のフロントガラスより視界良好なんだから」

「奈美、すごいよ! ガラコで除霊なんて、カー用品店の人もびっくりだよ!」

「ガラコはあくまで補助。私の『現実を弾かせない』という意志が勝っただけよ」


 私は、スマホのフリマアプリを開いた。

 さっきまであった『アンティークの姿見』の出品ページは、跡形もなく消えていた。


「……ねぇ、京子。この鏡、もう大丈夫だと思うけど、一応『フリマアプリでの中古買い』は、もう禁止だからね。特に送料込みで安すぎるやつは」


「わかってるって! ……あ、でも奈美。次は、SNSで話題の『呪いの美顔器』が、実質タダで手に入るキャンペーンがあるんだけど……」


「二度と、私の前で『タダ』とか『破格』とか言わないで!!」


 私の絶叫が、撥水加工された鏡に反射して、いつになくクリアな音色でアパートに響き渡った。


 ――番外編・第一話:完――



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