番外編・暗殺者に甘い毒を 後編
体は動くようになった、視界の揺れも落ち着いた。しかし、状況に頭が追い付いているとは言えない。
ソファーに座り、対面の席に着席を促すアンリ国王の意図がまるで分らない。自分を狙ってきた暗殺者と何を話すというのだろうか? だが、私に拒否権はない。
己の命であれば惜しくはない。だが、私は命以上に大切なものをアンリ国王に握られている。
促されるままにソファーに座った私は、震える体で深く頭を下げて懇願する。
「……どうか……私はどうなっても構いません。なんでもします……だから、弟妹たちにはどうか、手を出さないでください」
「ああ、安心していいよ。別になにもする気は無いから……私はさっき言った通り、君と話したかったんだよ。でも君って覚悟を決めてるからさ、そのことを話題に出さないとすぐ自害すると思ったからね。君が私の話を聞いてくれるなら、君の大切な存在に手を出すことは無いよ」
「分かりました。なにを聞かれようと、嘘偽りなく答えます。ただ、依頼人に関して話せば私は死にます。それに関してだけは事前にご了承ください」
「あ~魔法契約か……そりゃ、そのぐらいの保険はかけてるか」
弟妹達の存在を把握されている以上、私はアンリ国王に逆らう気は無い。依頼人を裏切れと言われれば躊躇なく裏切るし、死ねというのであれば即座に己の首を切る。
弟妹達以上に優先することは無い。ただ、魔法契約のことに関しては先に言っておかなければ、アンリ国王の質問の内容によっては答えられないものも出てきてしまう。
私の言葉を聞いたアンリ国王は少し考えるような表情を浮かべた後で、苦笑を浮かべた。
「……面倒だし解除しちゃおっかな。意図せず禁止事項に触れるって可能性もあるわけだしね」
「……は? 解除? 当人が破棄するならまだしも、外部から強制的に魔法契約を解除するには、相当の力が……」
「うん。それができるのは最低でも伯爵級高位魔族以上だし、私には無理だね。だから……タルちゃん、悪いんだけどこの子の魔法契約解除してもらえないかな?」
アンリ国王がそう呟いた瞬間、ガラスの割れるような音と共に、私を縛っていたなにかが消えたような感覚があった。ゾワッと鳥肌が立つ。
魔法契約を外部から強制解除? それは、アンリ国王が言った通り最低でも伯爵級高位魔族並みの能力が無ければ不可能だ。な、なにか、この部屋に居るのだろうか? タルちゃんと呼んでいた存在……アンリ国王の護衛? いや、そのレベルであれば私が気付けるわけも無いか……。
「はい、これで魔法契約は解除したから、あの子爵に関して話しても大丈夫だよ。まぁ、別に話がしたいって君から情報を引き出したいとかってわけじゃないんだけどね」
「……で、では、なんの話でしょうか?」
アンリ国王はアッサリと子爵と口にした。驚きはない……全力で隠していた弟妹や孤児院の事まで知っているのだ。私の依頼人に関しても既に調べてあったとしても不思議ではない。
だが、だからこそ分からない。ならば、いったいアンリ国王は私になんの話をしようとしているのだろうか?
「話って言うか、勧誘だね。私はね……君が欲しいんだよ」
「勧誘……子爵を裏切って貴女に付けということでしょうか? はい、弟妹達の安全さえ保障していただけるのなら、貴女に従います」
「ああいや、違う違う、そうじゃないんだよね。脅して寝返らそうとしてるんじゃなくて、純粋に君の能力を評価してスカウトしてるんだよ」
弟妹達の情報を握られている以上、私はもうこの方に逆らう気は無いので、なんにでも従うと返答したのだがアンリ国王は首を横に振る。
「さっきも言ったけど、私は君の弟妹や孤児院のことを脅しに使う気は無い。まぁ、アレコレ言ってもややこしいよね。分かりやすいように、紙で用意してきたから……これが、私が君に提示する雇用条件だ!」
「……は?」
楽しそうに笑いながらアンリ陛下が差し出してきた紙……そこに書かれている内容を見て、私の思考は混乱の渦に飲まれた。
孤児院への多額の融資、孤児院の建物の建て替え費用の負担、老夫婦の治療先の紹介と治療費の負担、弟妹達の学校への入学及び学費の負担、希望者への魔法学校への入学及び学費の負担、将来的に弟妹たちへの仕事の紹介、私に対する多額の給料……夢物語のような条件が並んでいた。
「……は? ……え? ……あ……あの……これはいったい……なんの冗談でしょうか?」
こんな条件はありえない。価値の天秤がまるで釣り合っていない。アンリ国王は私が欲しいと言った。しかし、仮に私の全てを余すことなく捧げたとしても、この条件にはまるで釣り合わない。ただの殺し屋の私にそんな価値はないし……そもそも、私を従えたいなら弟妹達の安全をチラつかせれば一発だ。こんな好待遇を用意する必要などない筈なのに……。
「冗談なんかじゃないよ。君が私のものになってくれたら、そこに書いてある全部を保証する」
「……価値が釣り合っていません」
「釣り合ってるよ。私が、貴女にはそれぐらいの価値があるって決めた。だから、私の中ではバッチリ価値は釣り合ってる」
「……理解……できません」
得体のしれない怪物を見ている気分だった。目の前にいるはずなのに、この人が何を考えているのかまるで分らない。
自分を殺しに来た暗殺者に絶対的に有利なカードを持ちながら、それを使うことなく莫大な報酬を提示して勧誘する? なぜ?
「不思議そうな顔してるね。でも別に変な交渉じゃないんだよ。私は言ったよ、君が欲しいって……それは能力だけの話じゃなくて、心も含めて欲しいんだ。だから私は、君を脅さない……脅しってさ、短期的な意味で相手に言うことを聞かすなら凄く効果的だとは思う。だけど、即効性がある分、手に入れられる範囲は限られる……脅しじゃ君の全部は手に入らない」
楽しそうにそう告げたアンリ国王は、ソファーから立ち上がって戸惑う私に近付き、私の顔を隠していた仮面を外し、私の顎に手を添えて顔を上げさせてきた。
深い海のような目が、真っ直ぐに私を見つめていて、目が合うと吸い込まれるような感覚を覚えた。
「……だからね、私は君を幸せにする」
「え?」
「君が大切にしている弟妹達を幸せにする。子供らしく遊べるように、必要なことを学べるように、成長したらしっかりした仕事に就けるように、幸せな未来を生きられるように……君の親代わりと言っていい老夫婦を幸せにする。しっかりとした治療が受けられるように、心穏やかに子供たちの成長を見守れるように……そして、君自身も幸せにする」
「……私も?」
「大切な弟妹達と笑って過ごせて、成長していく姿を見られるように……後ろめたさを感じないように……私のものになれば、君は私の直属、シンフォニア王国現国王の懐刀だ。弟妹たちにも胸を張れる誇りある仕事をあげる。後ろめたさも、罪悪感もなく弟妹達を養えるだけの報酬も用意する」
そこまで語るとアンリ国王の口元が弧を描く。慈愛の天使のようにも、狡猾な悪魔のようにも、獲物を前にした蛇のようにも見えた。
「……私は、貴女を『幸せという鎖で縛る』。私の元に居るのが一番幸せだって思えるように、君がその幸せを手放す事なんて考えられないぐらいに……」
ああ、ようやく理解した。私は、絶対に手を出してはいけない相手に関わってしまったのだと……この人は、どうしようもなく……恐ろしい人だ。
確信した。これは甘い毒だ……私がこの人の手を取れば、この人は宣言した通り私を幸せにする。痺れるほどに甘い毒で私を犯し、二度と抜け出すことのできない幸福の檻に捕らえる。
一度捕らえたならば、決して逃がしはしないだろう。この人の元を離れるという選択肢すら思い浮かばぬほどに、抗えない幸福という鎖で縛り、首輪をつける。
文字通りこの人の手を取れば、私の全てはこの人のものになってしまうと……そう確信した。
「だから……どうかな? 私のものになってくれるかな?」
妖艶すら感じる深い笑みを浮かべたアンリ国王は、どうしようもなく恐ろしく、痺れるほどに甘く、目が離せないほどに美しい……この人は、私なんかとは格そのものがまるで違う。その手を掴めば二度と戻れぬ代わりに、私も私の大切な者たちも根こそぎ幸せになれる甘い毒のような誘い。
私はいま、どんな顔をしているのだろうか? たぶん、この人と同じような笑みを浮かべているんじゃないかと思う。
幸せを与えてやる代わりに、お前の全てをよこせ……そんな誘いに対し、私の返答はもう決まっていた。
「……素敵な首輪を付けてくださいね? ご主人様」
「いいよ。とびっきりお洒落なやつを見繕ってあげる」
貴女が私を欲しいというのであれば、喜んで私は尻尾を振ろう。貴女の与えてくれる幸福という甘い毒に溺れよう。
この瞬間から、私はもう貴女の所有物だ……だから、上手に飼ってくださいね?
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私がアンリ様に仕えるようになって……もとい、アンリ様の所有物になって数ヶ月が経過し、私はアンリ様の私室で報告を行っていた。
「……以上が得られた情報です。やはりアンリ様の読み通り、アルクレシア帝国貴族の方が当たりかと……」
「やっぱりそっか~ありがと、レン。本当に優秀で助かってるよ」
「アンリ様のお役に立てているのなら幸いです」
アンリ様に任された私の仕事は暗殺ではなく情報収集を主とした諜報活動であり、目下設立予定のアンリ様直属の精鋭諜報部隊の隊長に任命される予定だ。
「パンドラさんとかもレンのこと褒めてたよ。見込みがあるって」
「先生方の指導が素晴らしいおかげです。特に部下を動かすというのはいままで経験がないものなので、優秀な指導者が居るのはありがたいです」
現在私は……というよりは精鋭諜報部隊に配属される予定のものは、幻王配下幹部であるパンドラ先生、グラトニー先生、アスタロト先生に時折指導を受けている。いずれも非常に素晴らしい方々であり、学べることはあまりにも多い。
ありがたいことに特に私は目をかけていただけているようで、厳しく指導していただけている。そのおかげもあって、己でも実感できるほどに実力は伸びていると思う。
「うんうん、師弟関係も上手くいってるようでなにより……ああ、そういえば孤児院の建て替えも終わったんだよね? どうだった?」
「少々豪華すぎる気がします。まるで貴族の屋敷のような……」
「今後またなんかのきっかけで孤児が増えるかもしれないし、大きいに越したことは無いよ。必要なら使用人とかも手配するからね。どうせ、私のポケットマネーだし気にせずドーンと使ってくれて大丈夫だよ」
「むしろ、アンリ様のポケットマネーだから気にするのですが……」
孤児院への融資や建て替えの費用、弟妹達の学費に老夫婦の治療費などはすべてアンリ様のポケットマネーから支払われており、本人はまったく気にした様子がないが以前とは比べ物にならないほど綺麗で大きくなった孤児院を見ると気にしないというのも無理な話である。
「どうせいっぱい余ってて使い道もあんまり無いしね。こういう機会にパーっと使って経済回さないとね。子供たちは学校には慣れてきた感じかな?」
「ええ、帰るたびに楽しそうに話してくれますよ」
アンリ様は宣言通り、弟妹達だけでなく私も幸せにしてくださった。弟妹達は貧しい思いや内職をする必要もなくなり、学校に通って様々なことを学んだり、元気に遊んだりしており幸せそうなその姿を見るのは、私にとっても幸せなことだ。
「それはよかった。ああ、そういえば最初は希望者にはっていったけど、魔法学校に関しては全員通ったほうがいいかもね。魔法使えて困ることは無いだろうし……レンは独学だっけ?」
「正しくは裏の世界で習得しました。外法ですが、短期間で魔法を習得させる専門家がいるので……」
「あ~魔法で無理矢理操って習得させるやつだっけ? アレっていちおう使えるようにはなるけど、基礎とかガタガタになるよね」
「ええ、おかげで先生方に一から再指導されております」
あの時感じた通り、いや、それ以上にガッチリと……この方は私を幸せという鎖で縛った。弟妹達のこともある。最近ようやく母や父と呼べるようになってきた老夫婦のこともある。
しかしそれだけではなく、いつの間にかアンリ様自身も私にとっての幸せの一部に変わっていた。アンリ様の役に立てるのが幸せだと、自然とそう思えるようになっているぐらいにはこの方は私を飼うのが上手い。
「そうそう、今日はもう報告が終わったら上がりでいいからね。弟さんの誕生日祝いするんでしょ? 明日も休みにしておいたから、しっかり祝ってあげなよ。私は仕事で行けないけど、プレゼントを用意してるから持って行ってあげてね」
「ありがとうございます、弟も喜びます。ただ、そういった好待遇ですと、次はどんな仕事を任されるのか不安ではありますね」
「あはは、いっぱい調べて欲しいことがあるからね~期待してるよ、懐刀ちゃん」
「ワンワン」
冗談めかして告げるアンリ様に犬の鳴き真似を返すと、アンリ様は心底楽しそうに笑ってくださった。そのまま必要な報告を終えて、アンリ様から弟宛てのプレゼントを預かり、頭を下げてから退室する。
帰りに予約しておいた誕生日ケーキを受け取って、孤児院に直帰かな? 支給された転移魔法具のおかげで、辺境に簡単に移動できるので助かる。
しかし、なるほど、弟の誕生日祝いが終わったらアンリ様からの大量の仕事があるわけか……困ったな? なにひとつデメリットが存在しない。
大切な弟妹達と過ごす幸せな時間の後で、アンリ様のために働く幸せな時間が待っている。好きなことだけをやって高額な給料をいただいているようなもので、申し訳なくすら感じてしまう。
そんなことを考えつつ廊下を歩きながら、私はそっと首の黒いチョーカーに指を添える。これは、勧誘の時のやりとりが原因か、アンリ様が冗談半分でプレゼントしてくれたものであり、私の宝物だ。
このチョーカーに触れると、ゾクリと胸の奥に痺れるような幸せな気持ちが湧き上がってくる。だって、このチョーカーは首輪みたいなものだ。これに触れると、私はアンリ様のモノなのだと再認識できて嬉しい。
いろいろとタガが外れてしまった実感はあるが、元をたどればアンリ様のせいなので私が悪いわけではない。私を欲しいと言ったのはアンリ様で、私を甘い毒で犯して変えてしまったのもアンリ様だ。
私は一生懸命尻尾を振ってお仕えするので、しっかり責任を取って今後も飼っていただかなければ困る。
ああ、本当に心から実感できる。大切な弟妹達や両親が幸せに暮らしていて、敬愛する方のために働いて役に立てる日々が……幸せでたまらないと……。
~ちょっとキャラ紹介~
【レン】
孤児であり魔族と人族の混血。血の繋がらない弟妹と両親のために、己の手を汚す覚悟を決め暗殺者となり、アンリに脳を強火で炙られた結果忠犬に変貌した元暗殺者。
独学で暗殺者となり、数年である程度名が知られるほどのレベルになっており、アンリが欲しがるぐらいに優秀で才能に溢れている。
本人は必要な技術を身に着けた程度と認識しているが、どの能力や技術も極めて高水準で、特に一度身に着けた基礎を応用して発展させるのが得意で、外法で基礎を飛ばして魔法を習得しながら独学で高度な魔力錠も解除可能なレベルになっており、無自覚な天才。
一度こうと決めたら覚悟ガンギマリになるタイプなので、アンリに仕えると決めた瞬間から身も心も捧げて忠誠心はMAXになっており、アンリのために働けることを幸せ感じている。
現在は設立予定の精鋭諜報部隊の隊長となるため、アンリの懐刀として仕事をこなしつつ時折パンドラ、グラトニー、アスタロトの指導を受けている。
三人からは「実力はまだまだ未熟だが、精神面はかなりいい。将来有望だ」として、かなり目をかけられているし、基本的に忠誠心バグ組と思考がほぼ同じなので、レンの方も三人を非常に尊敬しており目指すべき目標と考えている。
アンリから貰ったチョーカーを基本常に首に付けており、時折撫でては恍惚とした表情を浮かべている。
クリームヒルトやナタリアは、レンを紹介されて「また誑し込んだのかコイツ」と言うような顔でアンリを見ていた。
アンリの懐刀として、雑談に付き合ったりする機会も多く、特によく快人の話を聞かされており直接会ったことは無いのだが……「えっと、つまりはこの世界を裏で支配する神のような存在?」と、当たらずとも遠からずな認識を抱いている。
基本的にはアンリ至上主義で、アンリと話せること自体が嬉しいのだが……唯一恋愛関連の話を振られるのは苦手としている。
恋愛が苦手というわけではなく「昨日パパに頭を撫でて貰った! これはもう脈ありって思っていいよね!!」と嬉しそうに話してくる主人に対して、喜びを肯定するべきか「いや、ごく普通の親子のスキンシップでは?」と素直な感想を口にするのが正しいのか、本当に悩ましいのであまり振らないで欲しい。
なお余談ではあるがレンの一件を見たアリスは「……カイトさんの血が原因ですかね? 私がガッツリ指導してるのにバグらないから上手くいったと思ってたら、バグを製造する側になりましたか……カイトさんのせいっすね。そういうことにしておきましょう」と呟いていたとか……。




