閑話・老婆の後悔、少女の決意
現在の死王配下の一員にして伯爵級高位魔族であるコルネ……彼女は、単一種の魔族として生を受け、魔界の辺境……街はおろか村すら存在しないような秘境ともいえる山奥で生まれた。
生まれたばかりの彼女を拾い、コルネという名を与えてくれた老婆とふたりきりで山奥で外界とは隔離されたかのような日々を過ごしていた。
しかし、そのことに不満を抱いたことは無い。彼女を拾ってくれた老婆は、コルネを本当の娘か孫のように可愛がってくれ、愛情を注ぎ、様々なことを教えてくれた。
老婆の知る限りの知識、山での暮らし方、戦い方なども……コルネにとっての世界は、老婆とこの山で完結しており、それ以上が必要とは思っていなかった。
「……いいかい、コルネ。力がすべてとは言わないさ。だがね、力が無いことが後悔に繋がることもある。いざという時に後悔しないですむような力は持っておくべきだよ」
「……お婆ちゃんは、なにか後悔してるの?」
「どうして、そう思うんだい?」
「辛そうな目、してた」
ある日、力について語る老婆の目に隠しきれない後悔の色を見たコルネは、そのことについて尋ねてみた。老婆はしばし考えるように沈黙した後で、視線を空に向け……懐かしむような表情で語り始める。
「……ああ、いまでもずっと心に残っている後悔があるよ。もうずいぶん昔の事さね。まだ、アタシの両親が生きてた頃の話だ。その時はまだ一族もある程度数が居てね。いまのアタシたちのように、この山で掟を守って暮らしていたのさ」
「その人たちは?」
「もう全員亡くなったよ。いまとなっては一族の生き残りはアタシだけさ。まぁ、それはいいんだ。話を戻すよ……昔々、この山にどこから流れてきたのか物凄く強い魔物が現れてね。一族の半数以上が殺されちまったことがあったんだよ」
「……この前の熊より強い?」
「ああ、もっとずっと強かったよ。いまのアタシでも、歯が立たないだろうさね」
ふたりが暮らすこの山にはそれなりの数の魔物は生息しており、日々の食料として狩ることも多い。少なくともコルネは、既にこの山に生息している魔物相手には傷ひとつ負うことも無いが、老婆の語る魔物は山の魔物など比較にならないほどに強いらしい。
「アタシたちの一族もこれまでかと、そう思ったんだけどね。たまたま通りがかった方が、アッサリとその魔物を倒してくれたんだよ」
「強い魔物を?」
「ああ、戦いにすらなって無かったさね。アタシの長い人生でも、あの御方以上に強い存在なんて見たことが無いぐらいさ……」
「ん? それが、後悔?」
「……その御方はね、アタシを……一族を救ってくれたんだ。なのに、アタシも一族の者たちも涙を流して震えるだけで、たった一言『助けてくれてありがとう』という言葉すら、伝えることができなかった」
「……」
強い後悔が見える老婆の横顔を、コルネは静かに見上げる。この時点ではまだ詳細は分からないが、口を挟むべきではないとそう感じていたから……。
「……たぶん、あの御方の纏う濃厚な死の気配のせいだとは思うが、ハッキリとは分からなかった。ただひとつ確信できたのは、アタシはあの御方に近付くことすらできない。近付き、声をかけるには、あまりにも力が足りないって言う事実だけさ」
「……その方は?」
「何も言わずに去っていったよ。遠い昔の話さ……いまとなっては、もうハッキリと顔も思い出せない。だけど、あの目だけは覚えてる。白い髪、青白い光、圧倒的な力と死の気配……そして、どうしようもなく寂しく悲しそうな赤い目をした御方だった。いまもたまに考えるよ。あの時、アタシにもっと力があれば……あの誰よりも悲しそうな眼をした恩人に、お礼の言葉を伝えられたんじゃないかって……」
己の力が足りずに、恩人にお礼の言葉を伝えられなかった。それが老婆にいまもなを残る後悔となっていることを理解し、コルネは神妙な表情で頷く。
この思い出は老婆にとってとても神聖で大切なものなのだろうと、そんな風に感じながら……。
「……名前も、分からない?」
「ああ、アタシは一族の役目があってこの山の外に出たことは無いからね。外の事は分らないんだよ。それに、いまでもあの御方に近付けるとは思えない。あの頃よりはずっと強くなったつもりだけどね、それでもまだまだ呆れるぐらいに力が足りないって、そう感じてるよ」
「そうなんだ……一族の役目って?」
「ああ、そうだね。コルネにも、教えておこうかね……ついておいで」
「ん」
老婆の告げた一族の役目があって山の外に出られないという言葉の意味を尋ねたコルネに対し、老婆は立ち上がって付いてこいと告げてから歩き始める。
向かうのは山の奥……以前老婆から「この奥には入ってはいけない」と強く言われた最深部ともいえる場所。
そこには開けた……不自然なほどになにもない空間だった。いや、なにもないというのは適切ではない。ひとつだけ、その開けた空間の中心に禍々しい気配を放つ巨大な両刃の斧が突き刺さっていた。
そしてその斧から半径数百メートルほどの距離をぐるりと柵がかこっており、これ以上先に入るなと言われているかのような光景だった。
「……アレが、アタシたちの一族が見守り続けている災厄にして、一族の罪さ」
「罪?」
「ああ、とはいってもアタシも伝え聞いてるだけさね。アタシが生まれるよりずっと前には、あの斧はただそこに刺さっているだけでなんの害も無い斧だった。だけど、当時の一族の者があの斧を目覚めさせちまった。目覚めたあの斧は周囲の者を根こそぎ殺しつくし、いまも己のテリトリーに入ったものを無差別に殺す災いとなった」
そう語りながら、老婆が懐から少し大きめの干し肉を取り出し、ポイッと柵の中に放り込むと……直後に黒い魔力の棘が地面から現れ、干し肉を何度も串刺しにし……バラバラになって地面に落ちた干し肉は黒い影に飲み込まれていった。
「際限なく殺して喰らう、まるで飢えた獣のような斧さね。しかも、あの斧は徐々にテリトリーを広げている。この柵は、これ以上あの斧のテリトリーが広がらないようにする封印でもあるのさ」
「テリトリーはどこまで広がるの?」
「分からないね。もしかしたら、この柵を越えたあたりで止まるかもしれないし、止まることなく広がり続けるかもしれない」
そこまで語ったところで、老婆はどこか憐れむような目で斧を見ながら呟く。
「……あの斧が悪いわけじゃない。あの斧は、あの斧のルールで存在しているだけさ。罪があるとすれば眠っていたあの斧を無理矢理目覚めさせちまったアタシの一族……だからそれ以降、あの斧は一族の者が見守っている。テリトリーが広がって、いま以上の災厄を振りまくことが無いようにってね」
「……それが、一族の役目? なら、私がお婆ちゃんから引き継ぐのかな?」
「……いいや、この罪はアタシの一族の罪さ、コルネが背負う必要はない。一族はもうアタシだけになった……アタシが死んだら、この役目は終わりさ。コルネには、そんなものには縛られず、アタシが見れなかった外の世界を見て欲しいよ」
「お婆ちゃん……」
「湿っぽい話になっちまったね。さっ、家に戻るよ」
「ん」
外の世界という言葉は、コルネにはあまりしっくりとはこなかった。彼女はいまの日々で十分に満たされており、この山の外になにかを求める必要性を感じなかった。
しかし、時の流れは平等で……ある意味では残酷だ。既にかなりの歳であり、年々老いて衰えていく老婆は、次第に歩くこともできなくなり、数年が経つ頃には寝たきりの日々となった。
コルネは甲斐甲斐しく老婆の世話を行ったが、老婆の命の時間は刻一刻と減っていき……ついには、その時がやってきた。
「……お婆ちゃん」
「……コルネ……そろそろお別れさね……アンタは本当に優しくていい子だ。だからこそ……どうか、アタシの一族の罪なんかに縛られないでおくれ……あの斧のことも……この山のことも忘れて……外の世界で……新しい生き方を見つけておくれ……それが……アタシの……心からの……願いだよ」
もう上手く話すこともできないのか、途切れ途切れに話す老婆の手を、コルネはギュッと両手で包み込むように握る。
「……だけど……心配だから……せめ……て……あと……五……年……は……鍛錬……てから……外……」
「うん……約束する」
ここで両者の認識には食い違いが発生した。老婆は「せめて後五年ぐらいは鍛錬をしてから山の外に」と伝えたつもりだったが、今際の際の弱弱しく掠れた途切れ途切れの声により、コルネは五年ではなく「五千年」と聞き間違えた。
これがのちに、ある意味での好転と言える結果に結び付くのだが、老婆もコルネもそれを知る余地はない。
もはや風前の灯火となった老婆の命を感じ、コルネは老婆の手を握りながら真っ直ぐに老婆の目を見つめて言葉を紡ぐ。
「……お婆ちゃん、ありがとう。私は、貴女に拾ってもらえて、育てて貰えて幸せだった」
「……」
コルネの真っ直ぐな言葉に、老婆の目が微かに細められ、口元が小さく動く。もはや言葉としてそれが発せられることは無かったが、微笑みを浮かべながら老婆は静かに目を閉じ……眠るように穏やかにその命を終えた。
「……っ……うぅ……」
老婆の手を握ったままコルネは大粒の涙を溢す。最後に握ったこの手の微かな温もりを決して忘れないように、噛みしめるように老婆の死を悼み泣き続けた。
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家から離れた場所、老婆の一族たちが眠る墓地と言える場所にしっかりとした墓を作り、老婆を埋葬したコルネは墓の前で手を組んで祈りの姿勢になる。
「お婆ちゃん、貴女が教えてくれたことは絶対に忘れない。言いつけも、ちゃんと守る。五千年、しっかりと鍛錬を積んで強くなって……お婆ちゃんの願い通り、私はこの山を出る」
静かに言い聞かせるように告げるコルネの目には、どこか強い決意が宿っていた。
「そして、外の世界に出て……お婆ちゃんの恩人を探す。必ず、見つけて……お婆ちゃんが伝えられなかった言葉を……伝えてくる」
そう、彼女は外の世界に出る目標として老婆が語った後悔……お礼を告げることができなかった恩人を見つけ出し、お礼の言葉を伝えることを掲げた。
ある意味ではこれは、本当に幸福な偶然だった。もしコルネが、老婆の言葉をハッキリと聞き取れており、五年の修行で外に出ていたとしたら……彼女の掲げた目標が達成されることは無かっただろう。
力が不足しているのも理由ではあるが、それ以上にその時点では、悲しき死の王に変革は訪れていない。まだ世界に、特異点は現れていなかったのだから……だが、五千年と聞き間違えたことで、条件は大きく変わった。
なにより、この偶然が……コルネが新しい家族を得て、最愛と巡り合う切っ掛けになるのだから……。
~ちょっとキャラ紹介~
【老婆】
コルネの育ての親であり、魔界の辺境にひっそりと住んでいた一族の最後の生き残り。
物凄く簡単に表現するのであれば……『しがらみを捨てられず、限界を越えれなかったポラリス』ともいえる存在。
全てを捨て、ただアイシスに礼を言うためだけに血反吐を吐く努力を続けて限界を打ち破ったポラリスとは対照的に、一族の定めを捨てることができず後悔を胸にしながらも諦めた老婆という形で、ある意味では対極ともいえる。
コルネのことは本当の家族のように大切にしており、一族の罪に捕らわれずに外の世界に出ることを望んだ……なお、コルネは老婆の想像を遥かに超えて強くなり、一族の罪たる斧を屈服させて従え、老婆の後悔を背負ってアイシスを探すために外の世界へと向かった。




