第二十七話
学舎に行っても、学ぶのはここで生きる為の知恵だ。ここには何もない。あるのは長閑な平和だけ。地味でつまらない、檻のような場所だった。
外にはまだ見ぬ知らない景色があるかも知れないというのに、大蛇の腹の中の景色で一生を過ごすのは大損だ。
「キノみたいに考える人は少ないんじゃないかな」
「なんで」
「だって、僕らはずーっと此処にいるんだ。地上の世界なんて、想像出来ないよ」
笑いながら、ジョンハットは頬杖をつく。こそこそと話さなければならないのは、今が授業中だからだ。
世界は広いのに、此処に生まれたというだけで地上に出る事を許されない。皆はそれで納得しているのだ。
「お前、何で帰ったんだよ」
「もうさ。諦めたんだ」
まるで憑き物が晴れたかのように、ジョンハットは前を見ている。
憑き物。ふと、その正体がキノかのように思えた。頭の中に浮かんだ事実に、思わず下を向いてしまう。
「よく考えてみたら、まだここの動物だって全部料理してないんだ。僕は此処で調理師になる。皆が食べたことないような料理を作る。だから、革命団は抜ける」
キノの心中などお見通しなのだろう。軽く微笑んで、ジョンハットはキノを向いた。
「無理だって。ここを出るなんて」
「ふざけんな!!」
それが何なのかは分からない。ただ情けなくなった。鬱屈とした感情が爆発して、席を立つ。
しんと静まり返る教室が、俯いていても分かる。皆キノを見ている。そして数秒後には状況を理解して、またいつものような思考に戻るのだ。
キノでは、役不足だから。
そんな対応の前に、キノは教室を出た。教師の声が聞こえて、今まで感じたことのない感情が芽生えだす。
劣等と焦りが混ざり合って、キノという人生を内から否定される感覚。現実から逃げるように、学校を出た。
行き先なんか決まっていない。ただただ走った。
「はあああああ...」
鍛えているから、こんな走りで疲れるということはない。だからこれは溜め息だ。
気付けば空き地に着いていた。革命団をつくった日から、ずーっとここに集まっていた。鍛錬をしたり、話し合ったり、遊んでいたりもした。
「...」
静かだった。今日は平日の昼間で、皆各々の仕事をしている。聞こえる喧騒なんて一つも聞こえない。
ふと、現実が見えた。このままでは圧迫されかねない速さで、キノを追い詰めている。どこかに逃げ道はないか考えあぐねても、現実は消えてくれない。逃げさせてくれない。
「あぁ」
だらりと、両腕に力が無くなる。初めて感じた感覚に、現実に飲まれた感覚に、熱が押し出されるようだった。
しかし、熱は涙にはならなかった。なっても、くれなかった。
いつからだろう。
外に出ることを、信じきれなくなったのは。
◯
気付いてしまえば、自分には何もないことに気付く。自分がやってきたことに意味が無いと、これまでいくつも言われてきた。だけれど、そんな声は無視出来ていた。熱があったからだ。
大義があった。目標があった。外に出れるという自信があったのだ。
でもその自信も、今この瞬間に無くなってしまった気がした。大切にしてきた何かを、自分自身で放ってしまった感覚。それは認識するにはあまりに難しくて、認識出来てしまった時には何もかも遅かった。
キノの特性を、ジョンハットは分かっていた。現実的になる程の具体性も、確実性も無かったということ。
ジョンハットは諦めたんだということを理解する。
視界が、少しすっきりとした。
晴れかけた霧の先には、ジョンハットが前へ走っていた。その先にはクラスメイト達がいる。
クラスメイト達に追いつくと、楽しそうに、学校へ向かっていくジョンハット。
「もう、いいか」
今日は休んで、明日学校に行こう。謝れば済むことだ。
ふいに、キノを慕ってくれた妹分のことを思い出す。
ジェメド。
彼女と出会ったのは、家が隣だからだ。昔からの付き合いで、それこそ妹のようなもの。ジェメドにとってもキノは兄のようなものだろう。
そんな彼女に、キノの心変わりをどう説明するか。
ぼんやりと考えながら、自宅を目指した。自分の足音が、耳朶を通して乏しく響く。
◯
「え?」
笑顔のままに、ジェメドは眼を大きく開ける。弧に描かれた唇が、迷ったように歪に曲がる。
「いやー、俺もそろそろ十三歳だしな」
わざとらしい棒読みだ。強がっている。だが仕方ないことだ。ジェメドはジョンハットが居なくなっても、キノについてきてくれてしまうだろう。確信できる程に、ジェメドはキノに懐いていた。
ジェメド・ハイレリア。彼女は天才だ。素の頭も良いし、運動神経も抜群。創造も巧みで、おまけに完全記憶がある。見たもの聞いたもの、全てを記憶しているのだ。十一歳にも関わらず、将来は確約されているだろう。
性格も、仲良くなれば明るく、元気に笑う。一緒にいて楽しいし、こっちにまで元気が出る。
革命団に誘わなければ、きっとジェメドは今頃、クラスの人気者だ。
ジョンハットにも夢がある。料理人になることだ。現料理人である母に教えを乞うて、夢に向かって歩んでいる。
蓋を開けてみれば、リーダーなんてものは、それしか無い者がやることだったのだ。
気付いてしまえば、やることは一つ。放ること。いつまでもしがみついていれば、ジェメドだって困る。
「付き合ってくれてありがとな。お前もやりたいことをやれ」
「キ、キノ..?」
「お前は天才だ。町長にはなれないけど、それ以外なら何でも出来る」
「そ、そんな、勝手に...」
「...」
ジェメドの肩は震えている。声もか細く、右手首を左手で握っていた。堪えるようなしゃっくりが、キノの耳をざわつかせる。
「あのなジェメド。...俺はやっぱり、外に出てみたいんだと思う」
「!だったら私もーー」
「駄目だ」
ジェメドは天才だ。だけど、主体性がない。思い込みが激しくて、気を許した人間に右と言われれば右を向くし、左と言われれば左を向く。
「何でよ!私のどこが駄目なの?教えてよ」
「違う。お前は駄目じゃない。むしろ逆さ」
「じゃあ何でよ!教えてよ!教えてくれなきゃやだ!」
ジェメドは思い込みが激しい。一度そう思うと、意識がそれにしか行かない。
真剣に向き合わなければならない。
ジェメドの両肩をがっしりと掴み、目線を合わせた。意志を込めて、本気なのだと主張する。
「俺、革命団の脱出にさ、何で町長が出張ってくるのか不思議だったんだよ」
「え?」
「だってそうだろ?三人のガキくらい、警備で十分だ。忙しい町長がわざわざ止めにくることは無い」
傲慢だった。力が無いのに、自分にはあるのだと慢心していた。
「お前がいたからなんだジェメド。ジェメドなら、警備だけじゃ心許ない。そう町長は判断したってことだ」
天才。言い切ってしまえば容易いが、ジェメドのそれはそんなものではない。
町長も、そう思っていたのではないか。
ジェメドがいれば、脱出をされる可能性があると。
つまり、キノやジョンハットだけならば、町長、あるいは警備すらいらなかったかもしれない。しかし、ジェメドなら。
「俺は外に出たいけど、そんな力は無い。諦めたんだ。だから解散だ。なに、革命団がなくなっても、俺とお前の関係は変わらない。これまで通り、仲良しだ」
「...ほんと?」
「本当だ」
「ほんとのほんと?」
「本当の、本当だ」
ジェメドは満面に笑顔を咲かせている。
所詮凡人の夢だったのだ。切り替えてみれば、爽やかな気分になれる。
実際今日の夜は、健やかに眠れたし、姉のラノンとも、気兼ねなく話せるようになっていた。
これで解決だ。これからは、この町で幸せに生活する。
解決。
解決。
解決。
「....」
◯
「おはよう」
「おはよう」
翌日の朝、いつものように外に出ると、いつものように、ジェメドが待っていた。
少し安心しながらも、気持ちを正す。
革命団は解散したんだ。
「今日はやるの?」
「ん?」
待ち焦がれたというようにキノを見るジェメドに、思わず疑問が浮かぶ。
「だから、今日はやるのって」
「何をだ?」
何度言っても分からないものは分からない。はてなを頭に浮かべたキノに痺れを切らしたように、思い切り一歩を踏み出して、ジェメドは言った。
「だから!脱出!なんで分かんないの!」
ジェメドは元気良く憤慨している。揺れる灯りが、躊躇うように揺れている。大蛇の天井は仕方ないほどつまらなく、鬱蒼としていた。
思わず面食らってしまったキノは、ジェメドを凝視する。
本気で言っているようだった。
「いや、革命団は解散だろ?」
「え?」
笑顔のままに、ジェメドは眼を大きく開ける。弧に描かれた唇が、迷ったように歪に曲がる。
昨日の反応と、全く同じだった。
純粋な瞳に、恐怖を抱いた。




