第十二話
ああ、思考が微睡んでいる。考え過ぎて、分からなくなっている。怒りや憎しみや、罪悪や焦燥だ。嫌な気持ちだけが俺という媒体に編まれていく。
ああ。どうすれば。どうすれば良かったのだ。
どうせ。
どうせ無理ならば、他に行くまでだ。
◯
ここは、何処だ。
目を覚ました時初めに思ったことは、そんな疑問だった。
視界の全てには、緑一色の森の中。上からの光は、とてつもなく大きな木々に閉ざされている。背の高い草木が、ナキの身体を包んでいた。
「リリーは」
大自然の景色を見ている内に、何があったのか、どうしてここにいるのか、段々と思い出して来た。その過程で、ナキはリリーに助けて貰ったのだ。
白い毛並みに、気怠げな瞳。その想像を頼りに周りを見渡す。
少し遠くに、白い馬が一頭倒れていた。
「リリー!」
慌てて近付くと、草木に横たわり、胸で息をしているリリーの姿があった。咄嗟に記憶を呼び起こす。あの時投槍器で貫かれた胴の傷が、深くなっている。
赤い血液が草木を浸している。リリーの状態は、尋常ではない。
ガサ。ガサ。ガサ。
背後に音がした。その音は急速に近づいていく。
ガサガサガサガサガサ
数は分からないが、複数匹。おそらく三四匹だろう。
「ぐぁっ...」
ガッチに突かれた槍の傷が、今になって思い出された。血が多分に垂れていて、痛みがナキを襲った。
背後から迫る敵の数は、三匹。迎え撃つ為、創造で透剣を創る。
刺されたのが左肩で良かった。これならば戦える。
敵の姿形は、猿そのもの。腕が発達しているのと、少し大きいだけで、この程度ならナキ一人で対処出来る。
ただ不気味なのは、猿のお腹の辺りから、一本の縄のようなものが、他の猿へと繋がっているのだ。赤黒い縄が、三匹の猿を繋いでいる。
リリーを出来るだけ気取られないよう、前へ出る。
「速攻で殺す」
ナキから見て左端の猿を斬ろうとすると、突然、猿の挙動が変わり、右に横っ飛びした。
気付けば、左端にいた猿は真ん中の猿と同じ位置に居る。
「伸縮自在かよ」
すかさず駆けて、二体の猿目掛けて剣を振る。当然猿は避ける。が、ナキの狙いは違う。赤黒い縄だ。
ところが、ナキの想像とは裏腹に、ぐにゃり、という感触がナキの内に響いた。猿と猿を繋ぐ赤黒い縄は、創造した剣でも斬れない。生々しい弾力が、縄を斬りにくくしている。
「キィィ!」
その隙というのか、気付けば三匹の猿に囲まれていた。掛け声のような声がすると、三方から、ナキに向かって爪を向ける。
向けられた爪に向かって、雑に創造した透壁で防御する。ガガガガガガガと嫌な音を聴きながら、剣で一方の猿を斬る。
「ウギ!」
攻撃が止むと、真ん中で二匹を繋いでいる猿の右腕が切断されていた。
三匹の猿は口を大きく開けながら何か叫んでいる。逃げてくれる、なんてのは、ナキの頭から消え去った。
三匹の猿は、尚もナキに向かってくる。リリーの位置を確認しながら、今度は右端の猿を迎え撃つ。囲まれるなんてのは、瞬間で殺してしまえば通じない。
剣を構えながら、ナキは想像する。剣から突き出る、一筋の槍を想像する。
準備が出来れば、あとは突くだけだ。目標に向かって、剣をーー。
「ーーな!?」
真ん中の猿が左の赤黒い縄を掴み、くるりと一回転し始めた。ナキの正面になる前に、猿はそれを勢いよく投げる。
すると、まるで天馬のような速度で、左端の猿が飛んできたのだ。
まんまと面食らってしまったナキは、想像が壊れてしまう。トラル教官にこっぴどく叱られたというのに、またやってしまった。
左端の猿はそのままナキの顔面を殴る。ナキはもろにそれを喰らい、背後の大木まで吹っ飛んだ。
「キィィィ!」
「ギャアアア!」
ただでさえ発達している腕に、あの勢いでの殴打。そして、槍に貫かれた左肩。痛いという感情よりも、危機感がナキを襲う。
気絶してはならない。その想いを胸に想像して、意識を堪えた。
猿達の歓声が、意識が朦朧とする間にも聞こえてくる。
その歓声が、何かと重なった。
うるさい声だ。もう何も考えていない、というような声。全てが終わり、仲間と喜びに打ちひしがれている。まるでもう死んでいるかのように、こちらには毛程の警戒もしていない。
ーー「ロジバルト万歳!」
「「ロジバルト万歳!!」」
「「「ロジバルト万歳!!!」」
「「「「ロジバルト万歳!!!!」」」」
「「「「「ロジバルト、万歳!!!!!」」」」」ーー
そうだ。あの時に似ているのだ。側神レイラが、空からきた化け物を地平の彼方へと葬ってしまった時に。
ーー「この悪魔がぁ!」ーー
同時に思い出していた。同期に言われた言葉。同じ職業に憧れを抱き、兵舎で競い合ってきた友達に言われた言葉だ。
「...ふ」
悪魔になってしまったのだろうか。ひょっとしたらこの疑問が、違和感が可笑しいだけなのか。ナキの気が違ってしまっただけで、本当は何一つ問題は無いのかもしれない。
ガッチのあの目。眼鏡の奥で見えた、怯えた目が脳裏に浮かび上がる。
ガッチの目には、もうナキは悪魔になってしまったのだろうか。であれば、ロジバルトにはもう帰れない。即刻殺されるか、悪物園に捕らえられるだけだ。
何もない。これまで関わってきた人達、歩んできた人生が全て消炭になる感覚。
三匹の猿が項垂れているナキを取り囲む。にたにたと笑う様子にも、今は何も感じられない。
一匹の猿が、爪をナキに振り上げた。
「ヒヒイイイイイイイイィン!!」
猛獣のような嘶きが森中に響く。その必死の嘶きに、ナキは顔を上げる。
リリーが、猿を蹴り上げていた。翼を使って空に飛び、空中から猿に突進する。いきなりの強襲に、猿達は反撃出来ずに混乱している。
一匹、二匹と、リリーは凶暴さを隠そうともせず、簡単に息の根を止めていく。最後の一匹を踏み倒すと、ごき、と言う音と共に、猿の絶叫が響いた。
絶叫は長くは続かず、いつしか声は消えていき、そのまま体も動かなくなっていた。
三匹の猿は死に絶え、森には一時の静寂が流れる。静寂に身を任せながら、ナキは俯いた。左肩の血だたりも、血塗れの顔も、打ち付けられた背中も、全てどうでも良い。
こんな綺麗な自然の中で死ねるのなら本望だ。
太腿に、重い物が乗る感触がする。
うつらうつらした意識でそれを撫でる。ほぼ無意識だった。生き物の温かみが、芯まで呻く。
「....」
そのまま撫でていると、白い生き物がつまらなさそうに、何かを咥えているのが見えた。
丸くて、凹凸がある。その凹凸は怒ったような顔を模していて、裏側に紐があるようだ。
ーー「これ、あげる」ーー
獅神ライギルドの仮面だ。
ーー「え?」
「ナキに合ってるよ?」
「いつも怒ってるってこと?」
「ぐつぐつ何か疑ってるみたいな!」ーー
仮面を見ると、大怪我を携えた身体を叱咤する。
そうと決まったら、立て。
「リリー。ありがとう」
相棒に感謝をして、仮面をくれた友達にも感謝する。
そして、前言撤回。
「あいつ、教師に向いてる」




