第十一話
「え」
「....ナキさん!?」
歓声が絶え間ない中、どすっと、何か重たい音がした。ニャニャッチがいち早く気付くが、それももう遅かった。
「リリー」
リリーが、投げられた槍に貫かれていた。槍はぐわんぐわんと揺れていて、それが投擲に向いた武器だと分かる。
リリーはそのまま地上に落ちていく。そのまま、ナキとガッチも落ちていく。
「ガアアアアアア‼︎」
悪魔の声が、戦場に轟いた。その声にはっと目が覚めて、瞬時に立ち上がる。周囲は、戦場だ。
「ガッチ、立てるか」
「ああ...」
戦場と言っても、何故か巨騎士は居なくなっている。この目で拝むことはなかったが、側神レイラに恐れをなしたのだろうか。
空色の怪物がいなくなったことで、悪魔達の士気は地に落ちた。巨騎士もいなくなり、少なくともナキ達は、悪魔達に勝利するだろう。
「やるぞ。一匹でも多く殺せ」
「...了解」
頷きながらも、背後に横たわるリリーを見遣る。血が土に染み付いているが、咄嗟に身を捩ったのか、致命傷には至っていない。
それでも、すぐに治療しなければーーー。
「くそ...たれ....」
声がした。
「!」
触れられたナキの右足に、悪魔が、掴んでいた。その悪魔は血塗れで、両脚が切り捨てられている。肌は切れ爛れ、土に黒く染まっていた。
その姿に、悍ましい程の悪寒がナキを襲う。
「ああああああ!!」
携帯していた剣を腰から抜き、必死に悪魔を滅多刺す。創造出来る程の余裕さえ、今のナキには無い。恐怖が脳を支配していた。
「ナキ!...くそ、次が来るぞ」
ガッチの声がして、前を見る。悪魔が、何かを叫びながら突進してくるではないか。巨騎士の登場で、ここは混戦になっている。だが、もう巨騎士はいないし、悪魔達の士気も下がっているのではないか。それに、あの悪魔の背中には剣が刺さっていた。手負いだ。二人もいれば、簡単に殺せる。
「ガアアアああああ!!」
「ひ...!」
悪魔の叫びの後に、人間の声が聞こえる。おかげで、土を踏み損ねてしまった。その間に悪魔は何かを振り上げて、ナキの頭部めがけて振り下ろす。
剣ではない、鈍い音がした。
ガン、ガン、ガン、ガン
ナキはそれを受け止める。悪魔の振り下ろす物が何かも分からない。ただ受け止めることしか出来なかった。
「何をやって...いる!」
側面から、悪魔に槍が繰り出される。ガッチの創造した槍は、青く、澄んでいる。その槍の切れ味は、一流の鍛治師が造る槍にも劣らないだろう。
「ギアアアア‼︎」
すると、悪魔は突然方向転換して、ガッチの槍を掻い潜り、我武者羅に何かーー石を振り上げた。
手負いだ。あと一撃下せればこの悪魔は動かないのに、心が乱されている。そもそも、ここに落ちた時からーーいや、もっと前、ガッチが落ちた時、ニャニャッチに止められた時に感じた気持ちの悪い感触が、胸のどこかにひしめいていた。
「くっ...!」
ガッチは槍を横にして、悪魔の攻撃を受け止めている。
その槍の柄から悪魔に向かって、槍が伸びた。悪魔の脳を突くつもりなのだろう。瀕死の悪魔はそれも見越して、伸びてくる槍を寸でで避けた。返しに今度はガッチを押し倒す。
「この、野郎!」
悪魔はそのまま強引に馬乗りになると、石を持って、振り下ろした。
「ガあァあァあァァ....くっそがああぁぁ...!!」
間一髪、ナキが悪魔の肩口を切ると、悪魔は身を捩り地面を這いずり回った。いつもより切れ味のない剣で切った為か、傷が少し浅い。それでも十分な傷だったのか、そのまま、悪魔の動きは止まった。
「....駄目だ」
切った肉の感触が、今もこの手に蘇る。吹き出した血の色も、鮮明に。
「そんな訳無いだろ」
血は、赤色だった。当たり前だ。悪魔は人間の振りをする醜悪な化け物の筈だ。その筈なんだ。喋ることは出来ないし、その筈なんだ。
その、筈なんだ。
しかし。
ナキがこの手で殺した悪魔は、この目にはどうしても、それにしか見えなかったのだ。
「悪魔は、人間だ」
王律法の、最初の一節。
・王は、我々ロジバルトの民の象徴であり、絶対的に正しい。
「ナキ...お前」
ーー王律法は、王や貴族が定めた法であり、これに従わないと、ナキ達は悪魔となり、自死を決断してしまうーー
ガッチが、焦りを孕んだ声音で、ナキを呼ぶ。それでもナキは、ただ一点を見つめていた。今さっきナキが殺した、悪魔ーー人間を。
「悪魔は、人間だったんだ。俺たちは、間違ってーー「この悪魔がぁ!!」
「っ!!」
横から怒号が押し寄せて来たと思うと、青い槍が、ナキに突き出されていた。訳も分からず反射的に避けると、脳天に突かれた槍は、ナキの左肩を貫いた。
「ああああ!!」
身体の内側に異物が入る。痛みが身体中に充満する。この状況とこの痛みに、何をどうすればいいか、何がどうなっているのか、何も分からなくなっていた。
「ヒヒーーーーン‼︎」
背後から、天馬の声がした。その数秒後、蹄の蹴る音がナキの耳元に近づいた頃、背中に衝撃が加わった。
衝撃、といったって、柔らかい衝撃だ。左肩が多少傷んだが、それもその程度。衝撃がした途端、くるっと世界が九十度、反転した。
「ーーーはぁっ..!」
瞬間、黄昏の夕日が一面に流れていた。
リリーが助けてくれた。そう思ったと同時に視界が鈍くなる。夕日がまるで空の怪物のようにぐわんぐわんと蠢いていて、怪物が再来したのかと、他人事のように思った。しかしそれは当然怪物ではない。景色はどんどんどんどん狭まっていき、やがて、視界が暗闇に埋め尽くされた。
◯
天馬に乗りながら、二人の見習いは戦場を見据えている。焦りと恐怖の滲んだ顔で、目下の戦場を見据えている。
そこには、ガッチに槍で肩を貫かれている、ナキの姿があった。
「悪魔は、人間だったんだ。俺たちは、間違ってーー「この悪魔がぁ!!」
ガッチの叫ぶ言葉の意味に、ニャニャッチとカドレアは、暫く閉口した。
「嘘だ。ナキが、悪魔だって」
いつもは豪快なカドレアも、慎重に言葉を操って、現状を確認した。ニャニャッチも、その言葉を反芻して、理解する。
腑が煮え繰り返りそうな心地だった。
「逃げました」
平坂な口調で、ニャニャッチはナキの動向を凝視している。その目はどこか、暗澹としていた。
槍で貫かれたナキの背後から、一匹の天馬が突進してくる。確か、ナキがリリーと名付けた、気怠そうな天馬だ。
その天馬は突進する勢いで、蹄を蹴る。ナキと直面したと思うと、天馬は頭をナキの背中に押しつけて、器用に上に飛ばした。即座に翼をはためかせ、上に飛んだナキを背中にがっしりと乗せる。空中に飛んで、どんどんと戦場から、ロジバルトから離れていった。
二人は、そこから一歩も動けずにいた。仲間が悪魔だと知った時、こんなにも心が空っぽになるのかと思い知った。屈辱感と、無力感。どの感情でも現しようもない、ただ空虚な景色が、目の前に広がっていた。




