第十三話
「お互い満身創痍だな」
自分の右肩にも応急処置を終えたナキは、立ち上がりざまそんなことをぼやいた。
顔はものの見事に腫れているが、視界が気になるのでそのままにしてある。
上を見上げる。どこまでも続いているかのように見える大木が、至る所に生っている。宿り木が、天からの陽を押し留めていた。おかげで森の中はとても暗い。
「取り敢えず、水だ」
森の中はとても危険だ。想起士をもってさえ、悪物に殺されることだってある。
ここがどこかは分からないが、早くこの森から出て、とにかく水や食料を手に入れなければいけない。
とにかく、この森を抜けなければ。
リリーの背に乗り、大木の宿木を掻い潜って抜けると、森の外は、一面草原だ。丘が所々に起伏していて、湖も見つかった。王国が、ここからでも見えている。ロジバルトは、この大陸の三分のニを占めている。そんなに遠くへは行っていないということか。
「やばい、戻ろう!」
見つけて、直ぐにリリーを叱咤する。森の中に戻ると、空腹や喉の渇き、怪我の痛みに歯軋りする。
森の東方向に、どでかい悪物がいた。こんな傷だらけの身体であんな奴に見つかってしまったら、もうナキは死んでしまう。
悪物達がいる以上、夜であっても、外を飛ぶ訳には行かない。見つかってしまったら追われることになる。今のリリーの怪我が無くても、想起士の天馬はリリーよりも速いだろう。ナキだって見習いで、未だ生徒だ。生徒だった。
かといって、ここで蹲っていても同じだ。やがて見つかり、先の猿のように襲われる。
「いくら低くたっても」
リリーを我武者羅に撫でて、こしに括り付けた仮面を取った。獅神ライギルドは、今にも飛び出しそうな程の迫力で、仮面に張り付いている。可能性が低くたっても、諦めるな。死に物狂いで生き足掻け。
仮面を付けて、勇気を付ける。
「当たりか」
人間の喋り声が、ナキの耳をつんざいた。振り返ると、二匹の天馬と、天馬に乗った二人の外套を着た男。
想起士の二人は、こちらを見ていた。
「やはりいただろう」
「捕えるぞ」
「ははは!リリー!逃げよう!」
「グワァ」
◯
「モラリャン、ラングマン、バージナル、トジャ、コーラル、シージャン、イヤッケ、ゴードンの八名は、あの戦場で死亡した」
亀裂の入った兵舎の広場には、生徒達が整列していた。悪魔達に勝ったというのに、その表情はどこか暗澹としている。
トラル教官が慎重に、ニャニャッチとカドレア、そしてガッチからの報告を行う。
「そして、忌まわしいことだが...この兵舎の生徒であったナキが、悪魔となったことが分かった」
その報告に、ジキラは魂の抜けたような感覚で聞いていた。
「皆、すまん..!」
沸々と湧き上がる怒りは抑えられないのだろう。ガッチが肩を揺らしながら、震える声で叫ぶ。
「殺しそびれた...!」
目を瞑りながら、ガッチは言った。自分の不甲斐なさと、犯してはならない失敗をしてしまったというように。
「お前のせいではない」
トラル教官がガッチの肩に手を置くと、真剣な眼差しで生徒達を見渡す。
「悪魔となり、自死しない国民など前代未聞だ。あいつはもうナキではない。悪魔だ」
「ずっと、騙してたのか」
「くっそが...」
生徒達が口々に、ナキの喪失を嘆きだす。同時に、憎悪を表情に、ジキラ達は一丸になった。
ナキは、悪魔だ。
国の敵なのだと。我々の敵なのだと。
「なるほどね」
ヨハネスが。
「あの野郎...!」
カドレアが。
「なんでなんですか」
ニャニャッチが。
「次に会えば、必ず...!」
ガッチが。
「殺さなきゃ」
ロックが。
「ナキぃ!!」
ジキラが。
殺すべき存在だったのだと、意識を入れ替えた。
◯
「シェラーラやガントス辺りは酷いもんって噂だ」
「王都付近はなぁ...」
突如天空に出現した化け物の落下に、皆口々に不安を議論していた。ああして何か言っていなければ、落ち着かないのだ。
「アイザ、大丈夫か?」
アイザの父親が、眉を下げながら心配してくれる。母親が、隣でアイザを心無しげに見ている。
アイザと両親は、化け物が落ちた時、ナキに会うために兵舎へ行っていた。兵舎は王都からは遠いところにあるから、被害は無いと言っても等しいくらいだ。けれど、アイザの家はどうなっているか分からない。でもきっと、無事では済んでいないだろう。
「うん。大丈夫だよ」
アイザ自身、被害は無い。けれど、ナンシアの友達は、どうなっているのだろう。無事なのだろうか。無事でなくてはならない。無事であって欲しい。
ラーちゃん、ミッちゃん。会いたいよ。
両親は心配してくれている理由はそれだろう。アイザの顔色は、見てわかるくらいには悪いのだろうか。
けれど、両親だって生きているし、手袋も持っている。ラーちゃんもミッちゃんも、生きているって信じている。アイザは両親が思っているより、大丈夫だ。
なのに。
何故だか暗い気持ちで、窓を見た。アイザは旅館の一室で、開いた窓の縁に顎を乗せながら、平和な風景を眺めてみる。
ナキは、大丈夫?問い掛けながら、アイザはじっと外を観察していた。
◯
「やられたな」
右肩に白の鷲を携えて、王は唇を引き結んだ。玉座に座る青年は、ユアンと年は変わらない。先王が倒れ、じっくりと育てられた王は、跪くユアン達を見下ろしている。
王の隣には、側神レイラが佇んでいた。
「奴等空にいたとは」
フィルナンシア、ドルミナ、ゼルキシアを納める領主達とその臣下達が、玉座の間へ集まっていた。壮観である。
彼等全てが、王に忠誠心を誓っている。何の疑念もなく。
「王が無事で何よりでした」
ドルミナ当主。ドルミナ・ロミジオンは、顔を下げたままに発言する。ドルミナは、空の化け物が直撃した爆心地である。三州の中で、ドルミナが最も痛手を負った。
「生きていてくれて安心したぞ」
「有り難き御言葉...!」
王は微笑し、臣下達を見回している。やがて一つ息を吐くと、口を開く。
ユアンはといえば、不貞の養子がやらかしたことについて、詰問されることを酷く恐れている。既にフィルナンシア当主、アイオネア・グラーゼはこのことを聞き及んでいるし、怒り心頭である。震える手をひた隠し、滲み出る冷や汗を必死に抑えた。
「ロジバルトを縮小する」
王は、厳かに宣言する。ユアンは驚く心を抑えて、周囲に紛れていた。
「全ての民を、この城に集めよ。期限は一月だ」
「「「はっ!!!」」」
完璧に揃った返事に、王は口端を孤に歪める。白の鷲を撫でながら、優雅に玉座に座っていた。
化け物が落ちたのはドルミナだ。落ちた化け物は、ユアンの記憶では、直様まで動きはなかったように思われる。翼を持った鯨のような化け物は、王都を背に向け、逃げるように飛び出した。
それを止めたのが、側神レイラだ。化け物を串刺しにして、空の彼方へと追いやった。
城への被害は全く無い。何故ならそれさえも、側神レイラが防いだからだ。レイラは、袖のような腕を伸縮自在に操ることが出来る。傘のように飛んで来る瓦礫から王都を守っていた。お陰で、王都は綺麗なままである。
「解散」
ユアンはそんなことを考えているから、王の言葉が耳に入っていなかった。問いただされるであろうことを忘れたくて、集中が出来ていない。
解散という言葉が遅れて聞こえた時には、ほとほと吃驚してしまう。
王を盗み見る。前と変わらず凛々しい御姿だ。整った目鼻立ちに、口元の髭が威厳を携えている。
ユアンは何が何だかわからないままに、取り敢えずは安堵する。
そして、悪魔となってしまった養子を想う。
九年前に首都ナンシアに化け物が現れた時のことだ。化け物はそもそも二体いて、一体の化け物が、駆けつける醜神バマラッタ、獅神ライギルドを引きつけた。その隙に、どこからともなくもう一匹の化け物がナンシアへ現れたのだ。想起士は手も足も出ず、化け物が闊歩したナンシア迄の道程には死者の残骸が轍のようにのたばっていたと聞く。
それでも、ナンシアは化け物が現れる時には約二百名の想起士がいたのだ。誰もが倒せると思っていたが、化け物は百九十九名の想起士と、ナンシアにいた三千人の住人の内、約二千人を殺していった。
最後の一人となったユアンが、魂を賭けて倒した化け物。その場の生き残りであるただ一人の男の子が、ナキだった。
ユアンは思い出す。ナキの幼少期から、現在までの思い出を。
ユアンは、安堵していた。




