迷宮の育て方
「ノア。先ほどDPが三しか残っていないと仰いましたよね?」
小さな泉の傍らに座ったエリシアは、目の前に浮かぶ数字をもう一度眺めた。
《保有DP 3》
数字は何度確認しても増えてくれない。
昨日、ノアとの契約によって死にかけていた迷宮そのものは持ち直し、水属性の魔素を提供したことで飲み水も確保できた。それどころかコアレベルまでLv.2へ上昇している。
ここまでは順調だったと言っていい。
問題は、その後だ。
「地上へ戻るための通路を作るには、どれくらい必要なのです?」
『現在確認できる崩落箇所を安全に除去し、地下礼拝堂まで接続する場合、概算三百二十DPです』
「百倍以上足りませんね」
エリシアは膝を抱えるように座り直した。
「何も作れませんね」
『現在のDPでは石の椅子程度であれば生成可能です』
「椅子より先に地上へ戻らせてくださいませ」
契約してまだ一日も経っていないというのに、早くもこのやり取りに慣れ始めている自分がいる。エリシアは苦笑しながら泉の水を一口飲んだ。
水はあるので、今日明日に困ることはないが、食料は用意してきたものが地上に残っている。
そしてその肝心の地上へ戻れない。
「そもそもDPは、どうすれば増えるのですか?」
『複数の手段があります』
「それを先に教えてください」
『質問されませんでしたので』
「…………」
やはり、この返答には慣れないかもしれない。
「では改めて伺います。私たちがこれから迷宮を育てていくためには、どうやってDPを集めればいいのでしょう?」
『最も効率がよい方法は、領域へ侵入した生命体を殺害することです』
あまりにも平然と告げられ、エリシアは泉へ伸ばしかけていた手を止めた。
「……今、何と?」
『侵入者を殺害し、その生命と魔力を迷宮が吸収します。強大な魔物や魔力量の多い人間であれば、一体でも相当量のDPを――』
「その方法は、今は却下します」
『理由を確認しても?』
「地上へ戻るために、誰かがここへ落ちてくるのを待って殺すつもりはありません」
『効率だけを考えれば有力な方法ですが・・・』
人間にとって当然の話が、この存在にとって当然とは限らないらしい。
「他の方法をお願いします」
『侵入者を生存させたまま、領域内で魔力を消費させることでも少量ずつDPを獲得できます。魔法の使用、魔道具の稼働、魔物との戦闘、長期滞在などが該当します』
「その方がまだ現実的ですね」
『効率は大幅に低下しますよ』
「死んだ方からは一度しか受け取れませんが、生きていれば何度も魔力を使ってくれるのでしょう?」
しばらく返事がない。
「ノア?」
『同一人物が複数回訪問した場合の総獲得DPと、殺害時の一括獲得量を比較しています。・・・基本的に複数回程度の訪問では殺害時の一括獲得量を超えることはありませんが、定住するレベルでダンジョン内に存在すれば流石に領域内で魔力を使用させる方が獲得DPが大幅に上回るようです。』
「ならば、ここにたくさんの人が来て村でもできればいいということですね!」
自分で言っておきながら、具体的にどうすればいいかまでは分からない。今の迷宮には水が一つあるだけだ。こんなところに住みたいと思う者などまずいないだろう。
それでも、殺して一度きりの利益にするより、生きて帰ってまた訪れてもらう方が長く続くという考え方自体は間違っていないはずだ。
『管理者エリシアの提案を、将来的な運用候補として記録します』
「エリシアで構いませんと言ったでしょう?
抗議するように明滅を繰り返すノアの様子を見てエリシアは諦めて話を戻した。
「ですが、どちらの方法も今すぐには使えません。地上との通路すら塞がっているのですから、侵入者なんて来ませんよ?」
『DPを得る方法はもう一つあります。管理者契約後に使用可能となる《資源還元》です』
「資源還元?」
『管理者が所有権、または正当な処分権を持つ物品を領域内で吸収し、構成物質および残留魔素をDPへ変換します』
聞き慣れない言葉に、エリシアは首を傾げた。
「つまり、物を消してDPにするということですか?」
『概ねその認識で正しいです』
反射的に自分の袖を掴んだ。
『布地は生物由来素材を多く含むため、比較的変換効率は良好です』
ノアには冗談を言っているつもりなどないらしい。
もっと詳しく聞いてみると、金属、木材、布、食料、魔道具など、ほとんどの物品が対象になるという。
ただし、吸収された物は完全に失われる。さらに、迷宮自身がDPで生成した物を吸収し直しても、使用したDP以上には戻らない。何度も生成と吸収を繰り返してDPを増やすようなことはできないらしい。
「食料も対象なのですか?」
『はい。特に肉類は、死亡した生命体の一部として残留魔素を保持しています。また野菜類も同様です』
どうやらノアと生活を続けるには、効率以外の概念から教える必要がありそうだ。そこでエリシアは、あることに気づいた。
「待ってください。私が旅のために持ってきた荷物は?」
『地上階に存在します』
「確認できるのですか?」
『当迷宮の基本領域には、中枢周辺の地下構造および迷宮入口を覆う修道院建物が含まれています』
「では、通路が塞がっていても?」
『物理経路の有無と領域指定は別問題です』
エリシアは思わず立ち上がった。
「つまり、御者の方に運び込んでいただいた荷物は、ここからでも吸収できるのですね?」
『管理者エリシアの所有物であれば可能です』
「どれくらいのDPになります?」
『解析します』
目の前に文字が浮かび上がり、次々と品目が表示されていく。
長旅用に積まれていた乾燥肉や燻製肉に日持ちのする根菜、豆、穀物。王都から持参した予備の衣類や毛布。
荷物を入れていた木箱まで換算対象になっていた。
それぞれに数字が付いていくのを見ながら、エリシアは思わず身を乗り出した。
「全部でどのくらいです?」
『全物品を還元した場合、八百九十七DPです』
エリシアは表示されている数字と、現在保有している三DPを見比べた。
「合わせて、九百?それだけあれば通路を直せますね!」
『可能です』
「もしかしたら寝床も?照明も、調理設備も?生成することは可能ですか?」
『全てを通常生成した場合は不足します』
期待しかけた気持ちが一度止まった。
「・・・やはり足りませんか」
『通常生成した場合は、です』
「……何か方法が?」
『管理者の属性魔素を素材として使用すれば、必要DPを大幅に削減できます』
昨日の泉と同じ方法だ。通常なら百DP必要だった小型泉が、水属性魔素を渡したことで二十一DPまで下がった。
「通路なら土属性でしょうか?」
『主に土属性です。石材生成、崩落部の再構築、地盤補強に使用できます』
「調理炉なら火属性?あと、土属性も必要でしょうか?では照明は?」
『発光苔は複数属性で生成可能ですが、現状ではDPのみでの生成を推奨します。管理者はまだ属性魔素の出力調整に習熟していません』
「昨日、水属性を流しすぎましたものね」
『37%ほどの魔素がロスされてしまいました。』
エリシアは改めて地上の荷物を考えた。全部吸収してしまえば、着替えも食料もなくなる。通路を作ったところで何も残っていないのでは意味がない。
「必要なものは残したいです」
『優先順位を指定してください』
「まず、三日分の食料。着替えは二組。それから聖魔法用の道具と書物は吸収しません。毛布も一枚残してください」
『指定後の推定獲得量は六百四十一DPです』
「……随分減りましたね」
六百四十一。
現在の三を加えて六百四十四DP・・・これでも通路だけなら直せるが、生活基盤まで整えるには心許ない。
エリシアは少し考えてから尋ねた。
「食料は、地上へ出たあと調達できますよね?」
『周辺環境の詳細情報がありません』
「森はあります。水は泉を使えますし、最悪しばらくは街道まで戻って買うこともできます」
『管理者の生存率を下げる選択です』
「では二日分だけ残します。毛布も……寝床を生成できるなら必要ありませんね」
こんな調子で残す物と吸収する物を選んでいく。
最終的に手元へ残すことにしたのは、最低限の着替え、聖魔法の道具、書物、二日分の保存食、それに父から渡された公印入りの書面だった。
書面については、ノアから何も言われなくても最初から吸収するつもりはない。
「残りでいくらになります?」
『還元対象七百九十七DP。現在保有量三DPと合わせ、八百DPになります』
「ちょうどですか?」
『はい』
「……何だか使い切るために用意されていたみたいですね」
エリシアは一度だけ息を整えた。持ってきた品々を捨てることには、多少の抵抗がある。公爵家から渡されたものとはいえ、辺境で生活するために使うつもりだった物だ。
ただ、今はその生活を始めるための通路すらないのだ。
「お願いします。指定した物だけを還元してください」
『確認しました。《資源還元》を実行します』
エリシアには地上の様子は見えないが、それでも何かが迷宮へ流れ込んでくる感覚は分かった。地下の壁に淡い光の線が走り、コアへ集まっていく。
《資源還元完了:獲得DP 797:保有DP 800》
「本当に八百になりましたね!これを無駄遣いしないように使いましょう」
『非常に好ましい発言です』
「急に嬉しそうですね?」
『長期間百DP以下で活動していたため、八百DPは極めて潤沢です』
声色は相変わらず淡々としている。けれど、返事がいつもより早かった気がして、エリシアは少し笑った。
________
最初に手をつけたのは、地上へ戻るための経路だった。
『通常修復費用、三百二十DP』
目の前に表示された数字の下へ、別の項目が追加される。
《土属性魔素供給を確認した場合――推定消費72~96DP》
「随分変わりますね。いえ嬉しいことではあるんですけど・・・」
『石材そのものを管理者の魔素から構成できるため、これほど節約できるのです。』
「昨日と同じように、土を意識すればいいのでしょうか?」
『はい。ただし最初から大量に流さないでください』
エリシアは諦めてコアへ手を添えた。土属性の魔法を使った経験など一度もない。そのため、昨日と同じように自分の知っているものから想像する。
修道院へ来る途中で何度も見た地面
馬車の車輪が踏みしめていた土
道端に転がっていた石
形を変えず、重くそこにあり続けるもの。
聖属性の魔力を使うときとは違う感覚が、身体の奥からゆっくりと現れた。
『土属性魔素を確認。出力二・二倍越。放出魔素量を減らしてください』
「厳しい先生ですね!」
ノアの指示に従って少しずつ魔力を弱める。
『適正範囲です。維持してください』
「これくらい……ですね!覚えておきます」
地下の壁が低く震え始めた。
崩れていた石材が砕けるのではなく、柔らかな土のように形を変えながら移動していく。通路を塞いでいた瓦礫は壁の補強材として取り込まれ、その向こうから新しい石段が少しずつ伸びていった。
エリシア自身が魔法で石を動かしているわけではない。
土属性の魔素を渡し、それをノアが迷宮機能として利用している。だからこそ、自分にはまだ使えない属性が目の前で形になるのが不思議だった。
『修復完了。消費DP八十一』
「予定より安く済みましたね」
『管理者の魔素品質が高いためです』
出来上がった階段を上っていく。途中には崩落を防ぐための石柱が作られ、壁も以前より滑らかに整えられている。階段の先に見覚えのある地下礼拝堂が現れたとき、エリシアは思わず足を速めた。
「戻れました……!」
昨日、自分が踏み抜いた部屋には新しい石扉が作られていた。開けば階段で地下へ降りられるてもう落下する心配はない。
「これなら普通に行き来できますね」
『今後の管理を考慮し、階段幅も拡張してあります』
「ありがとうございます、ノア」
地下礼拝堂から一階へ上がると、玄関脇に置かれていた木箱の多くが綺麗に消えていた。指定して残した箱だけが壁際に並んでいる。
不思議な光景ではあったが、少し離れたところには自分の鞄と聖魔法の道具も残っている。
「さて、次にやることは!」
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