迷宮探検
「わあ……。本当に草原みたいになってる!」
第六階層へ到着したユアンが、思わず声を上げた。
広間いっぱいに緑の草が生い茂り、天井の魔導光が柔らかな光を降り注いでいる。
地上と違って空は見えないものの、風が吹き抜ける様子まで再現されているため、地下にいることを忘れてしまいそうだった。
「ここで育っているのが、ノアの言っていた《糸草》です」
エリシアが指をさした植物の細長い茎には白い繊維が絡みつき、風に揺れるたびにふわふわと動いている。
「へえ……。こんな植物、初めて見ました」
ユアンはしゃがみ込むと、糸草の根元や葉の状態を調べ始めた。
「土もちゃんとしてるし、水分も十分ですね。これなら普通の植物も育てられそうです」
「そうなんですか?」
「はい。むしろ、地上の畑より環境が安定しているかもしれません。日照時間も調整できるなら、季節に関係なく作物を育てられそうですね」
その言葉に、エリシアは思わず目を輝かせた。
「それは素晴らしいですね!」
『ふふん! そうでしょう! 迷宮の環境制御能力を甘く見てもらっては困ります!』
ノアも嬉しそうだった。
もっとも、今日の目的は糸草の収穫だ。
マルタが植物を手に取り、茎の繊維を確かめた。
「……なるほど。思っていたより丈夫そうですね」
「布に使えそうですか?」
「ええ。ただ、繊維を取り出して糸にするには手間がかかりそうです。まずは少し収穫して、実際に加工してみましょう」
マルタはそう言うと、住民たちへ収穫の方法を説明し始めた。糸草は茎の根元を切り、繊維を傷つけないように束ねていく。
ユアンも手伝いながら、収穫後の植物が再び成長するかを確認していた。
「ノア、この糸草は収穫したらどれくらいで補充されるのでしょう?」
『資源生成速度を最大にしていますので、通常よりもかなり早く再生します! ただし、一度に大量に収穫すると、完全に元へ戻るまで時間がかかりますよ!』
「分かりました。では、収穫量も記録しておきましょう」
エリシアがそう答えた直後だった。
「……あら?」
マルタが手に持っていた糸草を見つめた。
「どうしました?」
「この葉、何かに食べられていますね」
よく見ると、糸草の葉の一部が欠けていた。
さらに、近くの株にも同じような痕跡がある。
ユアンが不思議そうに首を傾げた。
「虫でしょうか?」
「……ちょっと待って」
リナが低い声で言い、草原の奥へ視線を向けている。
エリシアもそちらを見ると、白い綿毛のようなものがいくつも宙に浮かんでいた。最初は糸草の繊維が風に舞っているのかと思った。しかし、よく見ると小さな羽が動いている。
「……あれは?」
『おお! 新しい魔物が発生していますね! どうやら繊維植物を食べる小型の蛾のようです!』
「蛾、ですか?」
『はい! 魔力量は一角兎と同程度ですが、群れで行動しているようですね!』
白い蛾の群れは、糸草の葉へ次々と取りついていた。
小さな口で繊維をかじり、葉を食べている。
「ちょっと! それ、私たちが収穫する分なんだけど!」
リナが声を上げても、蛾たちはまったく気にする様子がない。それどころか、近くで収穫していた住民の方へ数匹が飛んできた。
「きゃっ!」
住民の一人が慌てて身を引く。
エリシアはすぐに手をかざした。
「《ウィンド》!」
風属性の魔法が発動し、蛾の群れを草原の奥へ押し戻した。しかし、勢いが少し強すぎたのか、周囲の糸草まで大きく揺れてしまう。
「あっ……!」
エリシアは慌てて魔力を弱めた。
「す、すみません。植物まで傷つけてしまうところでした」
「いや、助かったわ。あのままじゃ作業にならなかったもの」
エリシアは少し考え込み、ノアへ問いかけた。
(ノア。この魔物は、今後も出現するのでしょうか?)
『はい! 資源領域化によるランダム発生ですので、今後も同じ種類や似た種類の魔物が出現する可能性があります!』
(……ということは、糸草を育てるだけでなく、魔物から守る必要もあるのですね)
『その通りです!』
エリシアは小さく息を吐いた。
資源を生産できるようになったことは喜ばしい。しかし、それを安定して収穫するためには、魔物への対策も必要になるというのはやはりネックになるだろう。
「リナさん。第六階層については、収穫の際に見張りを付けた方がよさそうですね」
「そうね。あの蛾はそれほど強くなさそうだけど、放っておいたら糸草を食べ尽くしかねないわ」
「僕、糸草の周りに簡単な柵を作ってみましょうか?」
「それもよさそうですね。ただ、飛ぶ魔物にはあまり効果がないかもしれません」
「……あっ、そうか」
「まずは収穫場所を決めて、そこだけでも守れるようにしましょう。全部を一度に管理しようとすると大変ですからね」
「そうですね。では、今日は必要な量だけ収穫して、加工できるか確認しましょう」
エリシアがそう言うと、住民たちは再び作業を始めた。蛾の群れはリナが追い払い、ユアンたちは糸草を束ねていく。
しばらくすると、荷車の上には白い繊維を含んだ植物の束が積み上がっていた。
「……これだけあれば、試しに糸を作るくらいはできそうですね」
これで、冬服や寝具の材料を確保する道筋が見えてきた。もっとも、それを実際に布へ加工する作業は、これから始まるのだが。
◇
第七階層では、トーマが早速木材の状態を確認していた。
広間には若い木々が立ち並び、地下とは思えないほど緑豊かな森林が広がっている。
「……いい木だな」
トーマは近くの木の幹を軽く叩いた。
「少し若いが、もう既に建築材として使えそうだ。もう少し育てれば、柱にもできるかもしれねえ」
「それはよかったです」
「ただ、問題は乾燥だな。伐採したばかりの木は水分が多い。すぐに建物へ使うと、後から反ったり割れたりすることがあるんだ」
エリシアは頷いた。
「ノアからも同じことを聞きました。やはり、乾燥させる場所が必要なのですね」
「ああ。それに、木を切るための道具も必要だ。今ある斧じゃ、あんまり大量には切れねえな」
トーマが腰に下げた斧は刃の一部が欠け、柄にも細かな傷が入っている。
「これも、そろそろ修理しなきゃならねえ」
「鉄が採れるようになったら、新しい道具を作れるかもしれませんね」
「そうだな。だが、その鉄を作るための炉も必要だし、燃料もいる。……結局、何から手を付けるか考えねえとな」
必要な資源を作れるようになったのは大きな進歩だ。しかし、資源をそのまま生活に使えるとは限らない。
岩塩は精製しなければならないし、鉄鉱石は精錬する必要がある。糸草は糸や布へ加工しなければならず、木材も乾燥させなければ建築に使えない。
それぞれの工程には、道具や設備、そして作業する人間が必要だった。
「とりあえず、今日は細い木を数本だけ伐採してみましょう。運搬できるかどうかも確認したいです」
「ああ、それがいいだろう」
トーマは斧を握り直して比較的細い木へ向かって何度か斧を振り下ろすと、幹に深い切れ込みが入る。その後、リナが周囲の安全を確認し、トーマが最後の一撃を加えた。
木はゆっくりと傾き、地面へ倒れ込んだ。
「よし、一本目だ!」
トーマが満足そうに声を上げるとエリシアは倒れた木へ近づき、幹を確認した。
「これなら、薪にも使えそうですね」
「ああ。ただし、乾燥させる時間は必要だぞ」
「分かっています」
その後、マグマゴーレムが倒れた木を持ち上げ、運搬用の通路へ運んでいく。重い木材を軽々と持ち上げる姿は、やはり頼もしかった。
「……しかし、こいつがいなかったら大変だったな」
トーマがマグマゴーレムの背中を軽く叩いた。
「普通なら、何人もかけて運ばなきゃならねえところだ」
魔物たちが手伝ってくれるおかげで、重労働の負担は大きく減っている。しかし、マグマゴーレムが一体で何もかもできるわけではない。
木材を運んでいる間は、別の場所で石材を運んだり、建築作業を手伝ったりすることができなくなる。
そのことも、今後考えなければならない問題だった。
◇
第八階層と第九階層については、エリシアとリナ、それからトーマだけで安全確認を行うことにした。 この二つの階層は、資源生成速度を少し抑えているため、周囲の魔素が比較的濃い。
その分、強い魔物が出現する可能性もある。
「……確かに、上の階層とは空気が違うわね」
第八階層へ足を踏み入れたリナが、周囲を警戒しながら呟いた。洞窟の壁面には青白い結晶が並び、淡い光を放っている。
エリシアも、空気中に漂う魔力の濃さを感じ取っていた。
「ここでは魔石が生成されるそうです。ただし、魔物の危険度が少し高いので、しばらくは一般の住民の方々には入らないようにしてもらうつもりです」
「それがいいわね。……あっ、あそこ」
リナが指さした先には、岩壁に張り付く小さな蜘蛛のような魔物がいた。
その身体には青い結晶がいくつも付着している。
「……あれも魔物ですか?」
『はい!晶石に適応した小型魔物のようですね!上の階層に出現した魔物より、少し魔力量が多いようです!』
蜘蛛は三人の存在に気づいたのか、ゆっくりと身体を動かした。
「近づいてくるなら撃つわよ」
そう言いながらリナが弓を構えたが、蜘蛛はしばらくこちらを見つめた後、岩壁の隙間へ姿を消した。
「……襲ってこなくてよかったですね」
「ええ。でも、これなら確かに普通の採集場所としては危険ね」
エリシアは周囲を見渡しながら、魔石の生成されている場所と、魔物が出現した場所を記録した。その後、比較的安全な場所から小さな魔石をいくつか採取する。
「……これが魔石か」
トーマが手に取った結晶を眺めた。
「魔道具に使えるようになるなら、かなり便利だな」
「ええ。ただ、どの程度の魔力を蓄えられるかは、実際に調べてみないと分かりません」
「そうだな。まずは地上へ持ち帰って確認するか」
エリシアは頷き、第九階層へ向かった。第九階層では、特殊な粘土や耐熱石が生成されていた。トーマは特に耐熱石へ興味を示し、いくつか採取していく。
「……これ、炉の材料に使えるかもしれねえな」
「本当ですか?」
「ああ。もし十分な耐熱性があるなら、鉄を精錬するための炉を作るときに役立つはずだ」
その言葉に、エリシアは嬉しくなった。必要な資源が、それぞれ別の仕事へつながっていく。岩塩は保存食へ、鉄鉱石は道具へ、糸草は衣服へ、木材は建築へ。
そして、耐熱石は鉄を精錬するための設備に利用できるかもしれない。迷宮が、少しずつ一つの生活圏として機能し始めているように感じられた。
「……これは、本当にすごいことですね」
エリシアが呟くと、トーマが笑った。
「ああ。材料だけなら、小さな町に負けないくらい揃ってきたんじゃねえか?」
その言葉に、エリシアも笑みを浮かべたが、その横でリナは少し考え込んでいた。
「……でも、これ全部を使いこなすのって、結構大変じゃない?」
「え?」
「いや、材料があるのはありがたいんだけどさ。採掘したり、収穫したり、運んだり、加工したり……。それだけの仕事を、今の人数でできるのかなって」
エリシアはその言葉に、すぐには答えられなかった。
確かに、今日一日だけでも相当な人数が迷宮へ集まっている。しかも、今日はあくまで試運転だ。採集した物資を本格的に加工し、冬までに必要な量を揃えるとなれば、さらに多くの人手が必要になるだろう。
「……ひとまず、地上へ戻ってから考えましょう」
エリシアはそう答えるしかなかったがその言葉にリナも頷き、三人は採取した資源を持って地上へ戻ることにした。
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