筋分ける邂逅
そこにいたのは、バルトの孫であるニナだった。
ニナは手に小さな木の枝を持っており、どうやら花壇の周りで遊んでいたらしい。突然現れた黒狼を見つけ、驚いたように目を丸くしている。
「エリシアお姉ちゃん! この子、どこから来たの?」
「こんにちは、ニナ。その子は、地下にいるヴァルハザード・ウルフなんですよ」
「ヴァル……?」
ニナは難しそうな顔をした。
「……長い名前ね」
「ふふっ。そうですね」
エリシアが笑うと、ニナは小さな狼の前にしゃがみ込んだ。
「ねえ、触ってもいい?」
小さな狼は少しだけ首を傾げゆっくりとニナへ近づいていく。その姿を見てニナは嬉しそうに笑い、そっと頭を撫でた。
「わあ、ふわふわ!」
小さな狼の尻尾が揺れる。
「ねえ、この子もここに住んでるの?」
「ええ。地下の一番奥に、大きな身体があるんですよ。でも、その身体では外へ出られないので、今日はこうして小さな姿で遊びに来たんです」
「そっかあ……」
ニナはしばらく黒狼を見つめていた。
「じゃあ、お外に出るのは初めて?」
小さな狼が頷く。
「そうなんだ!」
ニナはぱっと顔を輝かせた。
「じゃあね、あっちにお花があるよ! それから、向こうにはおっきな木があるの。あとね、ユアンお兄ちゃんが作ってる畑には、変な形のかぼちゃもあるんだよ!たまに動いてお花をプレゼントしてくれるんだよ!!」
小さな狼は、次々と外庭のことを話し始めたニナの言葉を聞きながらじっと彼女を見上げている。
エリシアは二人の様子を微笑ましく眺めていた。
ニナは魔物を怖がっていない。それどころか、初めて外へ出てきた黒狼に、少しでも多くの景色を見せてあげたいと思っているようだった。
「ねえ、お姉ちゃん。この子と一緒に遊んでもいい?」
「もちろんです。ただし、あまり遠くへ連れていかないでくださいね」
「うん!」
ニナは元気よく返事をすると、小さな狼へ向き直った。
「じゃあ、こっち!」
そう言って、花壇の横にある小道を歩き始める。黒狼は一度だけエリシアを振り返ったが、彼女が頷くと、すぐにニナの後を追いかけていった。
『……エリシア』
「どうしました、ノア?」
『あの子、とても楽しそうですね』
「ええ。本当に」
エリシアは花壇の向こうで遊ぶ二人へ視線を向けた。
ニナは木の枝を持って、地面に何かを描いている。小さな狼はその隣に座り、不思議そうに首を傾げながら眺めていた。
やがて、ニナが枝を置いて立ち上がる。
「できた!」
地面には、少し不格好な狼の絵が描かれていた。
「これ、あなた!」
小さな狼は絵を覗き込むと、嬉しそうに一声鳴いた。
「わんっ!」
「えへへ、似てるでしょ!」
ニナが笑うと、黒狼は何度も尻尾を振った。
これまでヴァルハザード・ウルフは、迷宮を守るための存在だった。そして、これからも第十階層の最終守護者であることに変わりはない。
しかし、こうして外へ出られるようになったことで、守護者としての役割とは別の時間を過ごせるようになったのだ。
『それにしても、まさか私のヴァルハザードウルフが、あんなに小さな子と遊ぶとは思いませんでした!』
「ふふっ。ノアも嬉しそうですね」
『もちろんです! あの子が楽しんでくれるなら、スキルを付与した甲斐がありました!』
エリシアはもう一度、ニナと黒狼へ目を向けた。
二人はすっかり夢中になって遊んでいる。その様子を見ていると、しばらくはそっとしておいてあげたくなった。
◇
夕方になり、ニナが祖父のバルトに呼ばれて戻ってきた。
「エリシアお姉ちゃん!」
花壇の近くで住民たちの作業を見守っていたエリシアのもとへ、ニナが小さな黒狼を連れて駆け寄ってくる。
「この子、明日も遊びに来る?」
「どうでしょう。本狼に聞いてみましょうか」
エリシアが黒狼へ視線を向けると、小さな狼は嬉しそうに尻尾を振った。
「わんっ!」
「来るって!」
ニナは満面の笑みを浮かべた。
「じゃあね、明日はもっといろんなところを教えてあげる! お池もあるし、森の近くにはきれいなお花も咲いてるんだよ!」
黒狼が何度も頷くのをみてニナは満足そうに笑うと、最後にもう一度その頭を撫でた。
「それじゃあ、また明日ね!」
小さな狼が一声鳴き、ニナを見送る。その姿が建物の向こうへ消えるまで、黒狼はじっと同じ場所に座っていた。
「……ずいぶん仲良くなりましたね」
『はい。あの子、ニナのことが気に入ったみたいです』
エリシアは小さな狼の隣にしゃがみ込んだ。
「ふふっ。では、明日も少し時間を作りましょうね」
エリシアが頭を撫でると、黒狼は嬉しそうに彼女の手へ頬を寄せた。その後、小さな身体が淡い光に包まれ、ゆっくりと姿を消していく。
使い魔の活動を終え、本体へ意識を戻したのだろう。
エリシアは黒狼が消えた場所をしばらく見つめた後、修道院へ戻ろうと立ち上がった。
すると、ノアが思い出したように声を上げる。
『あっ、エリシア! そういえば騎士たちの訓練ですが、非常に順調ですよ!』
「そうですか。それはよかったです」
『はい! すでに数名の再教育が完了しました! 皆さん、エリシアへの忠誠を誓い、非常に熱心に訓練へ励んでいます!』
「……忠誠、ですか」
『ええ!中には、エリシアのためなら毎日限界まで魔力を使い続けると”自ら”宣言した騎士もいます!』
「ノア、ちゃんと休ませていますよね?」
『もちろんです!休憩中もエリシアの素晴らしさについて語り合っているようですが、そこは本人たちの自由ですから!』
「……本当に、やりすぎないでくださいね?」
『大丈夫です! 私は優秀なダンジョンコアですから!』
その返答を聞いたエリシアは、明日の朝にでも訓練施設をもう一度確認しようと心に決めた。
ノアに任せた仕事は、確かに効率よく進んでいるらしい。しかし、その効率のよさが少々心配になってきたのも事実だった。
エリシアが修道院の扉へ向かうと、ちょうどバルトが建物から出てきた。
「エリシア様。お時間のあるときに、少しご相談したいことがございます」
「バルトさん、どうしました?」
「実は、冬支度に必要な物資についてなのですが……」
バルトは手に持っていた帳簿へ視線を落とした。
「先日注文した塩と鉄、それから布地が、まだ届いておりません。予定では、もう到着しているはずなのですが……」
「そうなのですか?」
「ええ。街道の事情もあるでしょうから、もう少し様子を見ようとは思っております。ただ、冬までに必要な量を揃えられるか、少し気になりまして」
エリシアは頷いた。
「分かりました。明日、詳しくお話を聞かせてください。必要なら、こちらでも何か方法を考えましょう」
「ありがとうございます。では、明日の朝に改めて」
バルトは頭を下げ、帳簿を抱えて修道院の中へ戻っていった。
エリシアもその後に続きながら、少し考え込んだ。
迷宮の狩場のおかげで、食料については以前より余裕が生まれている。しかし、冬を越すために必要なものは食料だけではない。
塩や鉄、衣服に使う布地など、外から調達しなければならない物資もまだ多かった。
『エリシア、何かお困りですか?』
「いえ、まだ大丈夫です。ただ、冬支度について少し考えなければならないことがありそうですね」
『なるほど! でしたら、私もお手伝いしますよ!』
「ありがとうございます、ノア」
『はい! 騎士たちの訓練でDPも増えますし、これからはもっと色々な設備を作れるようになるはずです!』
ノアの嬉しそうな声を聞きながら、エリシアは管理室へと続く階段を下り始めた。騎士たちの再教育に、ヴァルハザード・ウルフの使い魔。そして、これから本格的に始まる冬支度。
迷宮も居住区も、少しずつ変わり始めている。
ただ、今日だけはもう一度ノアに釘を刺しておいた方がよさそうだった。
「ところでノア。騎士たちの訓練は、もう終わっていますよね?」
『はい! 本日の通常訓練は終了しました!』
「通常訓練?」
『現在は、希望者による自主訓練の時間です!』
「……希望者、ですか?」
『ええ! 皆さん、自分からもっと訓練したいと申し出てくださるのです! 再教育の効果は素晴らしいですね!』
エリシアは階段の途中で足を止めた。
「……ノア。今から一緒に第三階層へ行きましょう」
『えっ? どうしてですか!?』
「訓練の様子を確認します。それから、休憩時間についてもう一度お話ししましょうね」
『そ、そんな! せっかくDPが増えているのに!』
「ノア?」
『……はい。ご案内いたします』
少ししょんぼりしたノアの声を聞きながら、エリシアは思わず笑ってしまった。
どうやら、今日もまだ仕事は終わりそうにない。




