洗脳
しばらくすると紫色の光が消え、光の中から現われた騎士はゆっくりと顔を上げた。
「……俺は……」
男は自分の手を見つめ、それからエリシアへ視線を向けた。先ほどまで浮かべていた敵意は、すっかり消え失せている。
「エリシア様」
「……はい?」
「これまでの数々の無礼、誠に申し訳ございませんでした!」
突然、騎士がその場に膝をついた。
「俺は何という愚かなことをしていたのでしょう! 罪のない人々に剣を向け、あまつさえエリシア様にまで危害を加えようとしていたとは!」
「え、ええと……」
「これからは心を入れ替え、エリシア様とこの居住区のために全力を尽くします!」
エリシアは驚いたまま、騎士を見下ろした。
表情にも声にも、芝居をしている様子はない。それどころか、本人は本気で自分の行いを悔いているように見えた。
『大成功です! 忠誠心の書き換えが完了しました!』
「……思っていたより、ずっと効果が強いですね」
『もちろんです! 私は優秀なダンジョンコアですから!』
ノアは得意げだった。
エリシアは目の前の騎士へ、慎重に問いかけた。
「あなたは、ディートリヒ騎士団長の命令でここへ来たことを覚えていますか?」
「はい。住民の連れ戻しと、地下に存在するとされたダンジョンの確保が目的でした」
「私たちと戦ったことも覚えていますか?」
「もちろん覚えております。あのときの自分を殴ってやりたい気分です!」
騎士は悔しそうに拳を握り締めた。
・・・どうやら、記憶そのものは残っているらしい。
しかし、以前の自分の行動に対する評価が、完全に変わってしまっている。
彼が住民を傷つけようとしなくなったのは喜ばしいことだ。だが、その変化が本人の意思によるものではないことも理解している。
「……ノア。やはり、この方法を使う相手は慎重に選んでくださいね」
『承知しております! まずは危険度の高い騎士から順番に対応します!』
「それから、過剰な忠誠心も必要ありません。普通に働いてくれれば十分ですから」
『分かりました! 次から少し調整します!』
エリシアが頷くと、ノアは早速次の騎士へ向けて魔法陣を起動した。
『それでは皆さん! 楽しい楽しい更生訓練のお時間です!』
「「「ひいいいいっ!」」」
まだ”洗脳”されていない騎士たちの悲鳴が広間に響いた。
その横では、すっかり忠誠心を植え付けられた最初の騎士が、意気揚々と訓練用魔法陣へ魔力を注ぎ込んでいる。
「エリシア様のお役に立つためなら、この程度の訓練など苦にもなりません!」
『素晴らしい心がけです! では、もう少し魔力を流してください!』
「はい!」
『まだまだ余裕がありますね! もっといけますよ!』
「もちろんです!!!!!!!!!!!!!!!」
他の騎士達も渋々”訓練”を始めると魔法陣が勢いよく輝き、エリシアの前にDP獲得の通知が次々と表示された。
どうやら、ノアの計画は本当に効率がよいらしい。
ただし、あまり調子に乗らせるのも危険だ。
「ノア。魔力を使い果たす前に、きちんと休ませてくださいね」
『はい! 倒れてしまっては次の訓練ができませんから!』
「……理由はともかく、お願いしますね」
エリシアは訓練を続ける騎士たちを見守りながら、これからの管理方法について考えた。
少なくとも、彼らを無理に働かせ続けるわけにはいかない。洗脳を受けた者の状態も確認する必要があるし、訓練への参加状況や健康状態を記録する担当者も必要だろう。
ノアに任せればDPの獲得量は増えるだろうが、それだけで問題が解決するわけではなかった。
『エリシア! 見てください! もうこれだけDPが増えましたよ!』
「はいはい。分かりましたから、ちゃんと休憩時間も設けてください」
『もちろんです! 休憩が終わったら第二訓練です!』
嬉しそうなノアの声を聞きながら、エリシアは騎士たちの今後について、もう少し慎重に考える必要があると感じていた。
◇
騎士たちの訓練がひとまず軌道に乗ったところで、エリシアは第十階層へ向かうことにした。
ノアから、ヴァルハザード・ウルフが何やら伝えたいことがあると聞かされたためだ。
『実は、あの子もエリシアにお願いがあるそうなのです!』
「あの子……というのは、ヴァルハザード・ウルフのことですよね?」
『もちろんです! 私の自慢の守護者ですから!』
エリシアは管理用の通路を使い、第十階層へ降りていった。
巨大な扉の前に到着すると、ノアがボス部屋の封印を解除する。重厚な扉がゆっくりと開き、その向こうから濃密な魔力が流れ出してきた。
部屋の中央には、ヴァルハザード・ウルフが静かに座っていた。
漆黒の毛並みを持つ巨大な狼は、エリシアの姿を認めるとゆっくりと立ち上がる。
その身体から漂う魔力は、以前と変わらず圧倒的だった。もし初めてここを訪れる冒険者がいれば、姿を見ただけで逃げ出してしまうかもしれない。
しかし、エリシアにとっては命を救ってくれた大切な仲間だ。
「こんにちは、ヴァルハザード・ウルフ。今日は何かお願いがあると聞いたのですが」
エリシアが声をかけると、巨大な黒狼はゆっくりと頭を下げ、それから扉の向こうへ視線を向ける。
「……もしかして、外を見てみたいのですか?」
黒狼が小さく頷いた。
エリシアは思わずノアへ確認した。
「ノア、ボス部屋の制約は解除できないのでしょうか?」
『残念ながら、それは不可能です。ボス部屋に指定された魔物は、通常個体とは比較にならない強化を受ける代わりに、その区画から出られなくなります。これはダンジョンの基本的な制約なので、私でも変更できません』
「そうですか……」
エリシアは目の前の黒狼を見上げた。
ヴァルハザード・ウルフは、最初からこの部屋の守護者として生み出された魔物だ。そのため、地上の森も、修道院の庭も、そこに暮らす人々の姿も、実際に見たことがない。
もちろん、ノアを通じて外の様子を伝えることはできる。
しかし、それだけでは足りないのだろう。
「ごめんなさい。あなたが外へ出たいと思っていることに、気づいてあげられませんでした」
エリシアがそう言うと、黒狼は静かに首を振った。そして、大きな鼻先をエリシアの手へ近づけてきた。
エリシアがそっと撫でると、黒狼は気持ちよさそうに目を細める。
『エリシア。この子はあなたを責めているわけではありませんよ。ただ、私たちが普段どのような場所で暮らしているのか、自分の目で見てみたいそうです』
「……何か方法はありませんか?」
『あります!』
ノアの返事は驚くほど早かった。
「あるのですか!?」
『はい! ボス部屋から本体を出すことはできませんが、外付けのスキルを与え、外部へ魔力で作った分身を送り出すことなら可能です!』
「分身、ですか?」
『正確には《魔道端末―使い魔―》というスキルを与えればいいんです! 本体から魔力の一部を分離して、小さな使い魔を作り出します。その使い魔を遠隔操作することで、擬似的に外の世界を体感して回ることができるのです!』
ノアの説明に、エリシアは興味を引かれた。
「つまり、本体はここに残ったまま、別の身体を使って地上を歩けるということですか?」
『その通りです! ただし、使い魔の身体能力は本体とは比較にならないほど低くなり、魔法もほとんど使えなくなります。また、現在のダンジョン領域から大きく離れることはできませんし、使い魔が破壊されても本体には影響しない代わりに、再生成には魔力が必要です』
「それなら、安全に外へ出られそうですね」
『はい! 戦闘用としてはほとんど役に立ちませんが、外を見て回るだけなら十分です!』
エリシアはヴァルハザード・ウルフへ視線を戻した。
「どうですか? 本当の身体で出ることはできませんが、小さな使い魔を通してなら外を歩けるそうですよ」
黒狼は大きく尻尾を振った。
あまりの勢いに、周囲の空気が揺れる。
「ふふっ。気に入ってくれたみたいですね」
『それでは、早速スキルを付与しましょう!』
ノアの声と同時に、エリシアの前へ新しい画面が現れた。
《特殊スキル付与》
対象:ヴァルハザード・ウルフ
付与スキル:《魔道端末―使い魔―》
必要DP:たくさん(しかし、養ぶn・・・騎士達がいればいくらでも付与できますよ!)
効果:本体の魔力を利用し、遠隔操作可能な使い魔を生成する。
制約:使い魔の活動範囲はダンジョン領域内に限定される。
エリシアは内容を確認して頷いた。
「お願いします、ノア」
『承知しました!』
画面が輝き、ヴァルハザード・ウルフの身体を淡い光が包み込む。
やがて、その足元に小さな黒い影が生まれた。
影は徐々に形を整え、耳や尻尾を持つ小さな狼へと変化していく。
「……まあ!」
エリシアは思わず声を上げた。そこに現れたのは、子犬ほどの大きさしかない黒狼だった。漆黒の毛並みと青白く輝く瞳は本体とよく似ているものの、身体はずっと小さく、丸みを帯びている。
小さな狼は自分の足を不思議そうに見つめると、恐る恐る一歩踏み出した。
しかし、まだ身体の扱いに慣れていないのか、前足がもつれてころんと転がってしまう。
「だ、大丈夫ですか?」
エリシアが慌てて手を伸ばすと、小さな狼はすぐに立ち上がった。そして、何事もなかったかのように胸を張る。
『……可愛い』
ノアが呟いた。
「ええ、本当に可愛いですね」
『でしょう!? でしょう!? やはり私のヴァルハザードウルフは最高です!』
小さな狼はエリシアの足元へ近づくと、鼻先でそっと彼女の靴をつついた。エリシアがしゃがんで頭を撫でると、ふさふさとした尻尾が左右に揺れる。
「それでは、一緒に地上へ行ってみましょうか」
小さな狼は元気よく鳴いた。
「わんっ!」
その声に、エリシアは思わず笑ってしまった。あの巨大なヴァルハザード・ウルフが、こんな可愛らしい声で鳴くとは思ってもみなかったからだ。
◇
地上へ戻ると、修道院の外庭には柔らかな日差しが降り注いでいた。
住民たちはそれぞれの仕事に取り組んでおり、畑ではユアンが作物の世話をしている。少し離れた場所では、トーマがマグマゴーレムと一緒に建築用の木材を運んでいた。
エリシアの足元を歩く小さな黒狼は、初めて見る景色に興味津々の様子だった。
庭に生えている草へ鼻先を近づけたり、風に揺れる木の葉を追いかけたりしている。
空を見上げたまま立ち止まることもあった。
「ふふっ。そんなに珍しいですか?」
エリシアが問いかけると、小さな狼は嬉しそうに尻尾を振った。それから突然、近くを飛んでいた蝶を追いかけ始めた。
「あっ、あまり遠くへ行っては駄目ですよ!」
慌てて声をかけたものの、小さな狼はすでに花壇の近くまで走っていってしまった。もっとも、ダンジョン領域の外へは出られないため、危険な場所まで行ってしまう心配はない。
エリシアが後を追おうとしたところで、花壇の向こうから小さな声が聞こえた。
「あれ? わんちゃん?」
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