王太子が愛した聖女は?
ミレイユが部屋を出ていくと、レオンハルトは執務机へ向かった。
机の上には、結界管理棟から届けられた報告書が置かれていた。
今回の事故で消費した予備魔石の数量、応急修復に参加した術者の人数、そして北東区画の一部に生じた軽微な建物被害等など
幸い死者は出ていないものの、結界の異常を目撃した住民は少なくない。
王宮としては、早急に公式声明を発表する必要があるのだ。
レオンハルトは報告書を読み進めながら、今回の事故をどのように説明すればよいか考えた。
ー結界の老朽化という説明は通用するはずだー
実際、古い結界には不具合が起こり得る。数百年も維持されてきた設備なのだから、原因不明の異常が起きても不思議ではない。ある程度の補償も用意しておけば民衆も納得するだろう。
問題は、リーデル伯爵が要求してきた独立した調査だった。
今回の修復記録を詳細に調べられれば、ミレイユが流し込んだ魔力の不安定さを指摘される可能性がある。
だからといって、調査そのものを禁止するわけにはいかない。
王太子が事故原因の究明を妨げたとなれば、それこそ不信を招いてしまう。
「……ガレウスと、もう一度相談する必要があるな」
レオンハルトは独り言を漏らし、書類をめくるとそこには、過去五年間の修復履歴が添付されていた。
担当者の欄には、見慣れた名前が並んでいる。
エリシア・アルセイン
エリシア・アルセイン
エリシア・アルセイン
毎年同じ名前が記され、その隣には修復完了の印が押されていた。
所要時間には多少の違いがあるものの、失敗の記録は一つもなく、必要となった補助術者も、追加魔石も、すべて零だった。
レオンハルトは、最後の記録に目を留めた。
昨年の修復に立ち会った際のことを思い出したのだ。
魔法陣の中央に立ったエリシアは、ガレウスの説明を聞き終えると、落ち着いた様子で両手をかざしていた。
魔導柱へ流れ込んだ光はすぐに結界と結びつき、ほんのわずかな時間で修復が完了した。修復が終わった後も、エリシアは特に誇らしげな様子を見せなかった。
レオンハルト自身は魔法の専門家ではないため、当時はそれほど気に留めていなかったが・・・
ーエリシアなら、どう対応していただろうかー
ふと、そんな疑問が浮かぶ。
彼女なら、最初から結界の異常を察知していたかもしれない。少なくとも、無理に魔力を注ぎ込み、結界を損傷させるようなことはしなかっただろう。
レオンハルトは書類を机へ戻した。
「……いや、今さら考えても仕方がない」
エリシアはもう王都にいない。
彼女を追放したのは自分たちであり、今さら結界修復のためだけに呼び戻すことなどできない。
それに、今回はミレイユが初めて担当した作業だったのだ。経験を積めば、いずれエリシアと同じように修復できるようになるはずだ。
そう考えながら、レオンハルトは報告書へ手を伸ばしたが、その指先が途中で止まる。
先ほど思い出したエリシアの声が、なぜか頭から離れなかったのだ。
どこかで、似たようなことを聞いた覚えがある。
もっと昔、まだ自分が幼かった頃に・・・
姉妹なのだから、声や言葉遣いが似ていても不思議ではない。それに、あの日、自分が目を覚ましたときにそばにいたのはミレイユだった。
恩人を取り違えるはずがない。
彼はそう考え、再び報告書へ視線を落とした。
しかし、エリシアの名前が並んだ修復履歴を閉じるまでには、思っていたよりも長い時間がかかった。
◇
翌朝、王宮から今回の結界事故についての公式声明が発表された。
原因は長年使用されてきた結界術式の経年劣化による一時的な魔力循環の異常であり、すでに応急処置は完了している。
聖女ミレイユ・アルセインに責任はなく、王国は今後も結界の安全な運用に努める。
声明には、そのように記されていた。
レオンハルトの迅速な対応によって王都の混乱は収まり、結界の異常もひとまず解消された。王宮へ寄せられていた住民からの問い合わせも徐々に減り始めている。
その一方で、貴族たちの間では別の動きが始まっていた。
「殿下。こちらをご確認ください」
執務室を訪れた従者フェリクスが、一通の書面を差し出した。
「これは?」
「王都結界管理院より、正式な調査開始の通知が届いております。リーデル伯爵を中心に、過去の修復記録と今回の事故を比較するそうです」
「昨日の会議で決まった件か」
「はい。それから……」
フェリクスは少し言いにくそうに言葉を続けた。
「調査の一環として、前任者であるエリシア様の修復手順についても確認する方針とのことです」
レオンハルトは書面を受け取った。
記載されている調査項目は、どれも正当なものだった。
結界の経年劣化の程度、修復時に流入した魔力量、魔力波長の変動、補助術式の作動状況。そして、過去の修復作業との比較。
それらを調べれば、今回の事故について何らかの結論が出るだろう。
「……分かった。必要な資料は提出させろ」
「承知いたしました」
フェリクスが頭を下げ退出しようとする。しかし、部屋を出ようとしたところで、レオンハルトは彼を呼び止めた。
「フェリクス。昨日の事故について、貴族たちは何か話しているか?」
従者である彼は一瞬だけ表情を曇らせ気まずそうに口を開いた。
「いくつか、ミレイユ様の魔法の力量について噂が広がっております。百年に一人の聖女であれば、なぜ通常の結界修復に失敗されたのかと……」
レオンハルトは黙って続きを促した。
「また、エリシア様が担当されていた頃には、このような事故が一度も起きていなかったため、修復担当者を変更した判断そのものを問題視する声もございます」
「……そうか」
レオンハルトは書面を机に置いた。
今回の事故について、公式にはすでに決着がついている。
王都の結界は修復され、ミレイユの責任も問われていない。少なくとも、表向きはそうなっている。だが、やはり王都の安全を守る貴族たちは納得していなかったようだ。
彼らは王太子の説明を正面から否定こそしなかったものの、調査という形で疑念を残し続けている。
今後、ミレイユが何らかの魔法を使うたびに、その実力が以前のエリシアと比較される可能性もある。
「殿下。もう一つ、よろしいでしょうか。リーデル伯爵から、今後の定期修復について提案が出されております」
フェリクスが別の書類を差し出すとレオンハルトは目を通し、眉をひそめた。
そこには、次回以降の結界修復について、宮廷神官団が推薦した術者であっても事前に実技審査を受けるべきだと記されていた。
さらに、修復担当者の選定は聖属性適性の数値だけではなく、過去の実績と魔力制御能力を重視すること。
王家から推薦された人物についても例外を設けないこと。
そう明記されている。
「……随分と慎重になったものだな」
「王都の安全に関わる問題ですので、無理もないかと」
レオンハルトは書類を机へ置き、椅子の背もたれへ身体を預けた。
ミレイユのSSランクという肩書きは、これまで多くの人間を納得させてきた。百年に一人の聖女という評判があれば、多少の疑問も大きな問題にはならなかった。
しかし、今回の事故を目撃した貴族たちは、もはやその肩書きだけでは納得しないだろう。
実際に魔法を使わせ、その結果を確認しようとしている。
外を何気なく眺めると王都の街並みは、いつもと変わらず穏やかだった。昨日の騒動などなかったかのように、人々は店を開き、馬車が大通りを行き交っている。
結界も正常に機能している。
王都の日常は守られたのだ。
だが、ミレイユに向けられる貴族たちの視線だけは、昨日までと同じではなくなっていた。
机の上に残された修復記録へ目を落とすとそこには、今回の失敗を記した新しい一行と、その前に積み重なったエリシアの成功記録が並んでいる。
彼はしばらくその書類を眺めた後、フェリクスへ告げた。
「ガレウスを呼んでくれ。ミレイユの訓練計画を見直したい」
「かしこまりました」
従者が部屋を出ていくのを見送り、レオンハルトはもう一度、王都の街並みへ視線を向けた。
今回の失敗は、まだ取り返しがつく。
そう信じていた。
ただ、次の修復で同じことが起きたとき、貴族たちが再び自分の説明を受け入れてくれるかどうかについては、確信が持てなかった。そして、聖属性SSランクという肩書きを守るために、これから何度同じ説明を繰り返さなければならないのか。
その答えも、今のレオンハルトには分からなかった。
もし少しでも
「続きが気になる!」
「面白かった!」
と思っていただけたら、
【★★★★★】や【ブックマーク】を押していただけるとめちゃくちゃ励みになります!
それではまた次回!




