絶望の狼
焔砲の砲口へ赤い光が集まっていくのを見ながら、一人の騎士は妙な違和感を覚えていた。
彼は騎士団の中でも魔力感知を得意としている。だからこそ、修道院へ入ったときにも地下から漏れ出す魔力へ真っ先に気づき、第三階層へ降りたあとも周囲の魔力の流れを探り続けていた。
そして、この第十階層へ足を踏み入れた瞬間には思わずその魔力の濃さに息を呑んだ。
これまでの階層とは比較にならない。まるで空気そのものが魔力を含んでいるようで、呼吸するたび肺の奥まで重くなるような感覚がある。
だから誰もが、ここを最深層だと思った。
コアが近いから魔力が濃い。
そう考えれば不自然ではなかった。だが今、騎士は倒れたエリシアではなく、そのさらに奥を見ていた。
「……団長」
声が小さく漏れる。そのか細い声は誰にも届かなかったが、大広間の最奥に佇む巨大な扉が動いている。
石とも金属ともつかない重厚な扉が、音もなく少しずつ開いていた。
「……何だ?」
隣にいた騎士も気づいたのか疑問の声を上げる。
扉と扉の間に、黒い隙間が生まれる。ほんの指一本ほどのそれがゆっくり広がっていく。
そして同時に、広間の魔力濃度が上がった。
「待て……」
騎士の背筋が粟立つ。
”違う”
今まで感じていた魔力と、違う。
確かにこの迷宮そのものからは濃い魔力が流れていて地下へ降りるほど、その量は増えていた。けれど第十階層へ入ったときから感じていた異様な圧力は、”違う”のだ。
扉の奥に一種の自然災害とも言える迷宮の魔力を覆い隠すほどの別のナニかがいる。
「団長!」
今度は大きく呼んだ。
「見れば分かる。コアが近いんだろう。どうやら扉を開いて迎え入れてくれているじゃないか?」
「違います!」
騎士は思わず否定するとディートリヒが苛立ったように振り返る。
「何が違うというのだ?」
「今までこの大広間を満たしていた魔力……これは、ダンジョンのものだけではありません!」
「何を言っている?」
「別の魔力が混ざっているんです。いや、混ざるどころじゃない!完全に覆い隠すほどの――」
扉がさらに開き、言葉が詰まってしまう。漏れ出してくる魔力の圧力に、騎士の喉が勝手に鳴った。これまで相手にした魔物とは比べものにならない。
ワイバーン、オーガ、果てはキングウルフ。辺境騎士団として何度も強力な魔物と戦ってきたがそのどれとも違う。
火、水、風、土、闇、聖、雷、氷、全ての魔力がため息が出るほどに美しく歪に調和した魔力。そのどれか一つを拾おうとすると、別の属性が重なって感覚を塗り替えてくる。
そんな魔力を一つの生命が持っているなど、普通ならあり得ない。
「……嘘だろ」
騎士の口から、誰に聞かせるでもない言葉が漏れた。
ダンジョンとは、それ自体が巨大な魔力循環を持つ一種の自然現象だ。長い年月をかけて魔素を集め、魔物を生み、地形すら作り変える。
そのダンジョンと同じ規模の魔力を、一個体が持っている?
そんなものを・・・魔物と呼んでいいのか。
「団長、焔砲を止めてください!」
「何?」
「何かいます!」
「さっきから何を言っているんだ?もういい・・・撃て!」
ディートリヒがそう命じると焔砲が発射される。
砲口から生まれた巨大な焔玉が、床へ倒れているエリシアへ向かって飛ぶ。
赤、橙、白と騎士の視界を猛烈な光が埋め尽くした。
何も見えなくなる、その瞬間だった。
「アオオオオオオオオオオオオオン――!」
腹の底まで震わせる咆哮が響き、騎士は反射的に耳を塞いだ。
音だけではなく、魔力そのものが衝撃になって広間を駆け抜ける。
白一色だった視界に、黒が差し込む。
「……え?」
焔玉を覆うように、闇が広がっていた。まるで火を消しているのではなく飲み込んでいる。
灼熱の光が、巨大な黒い魔力へ包まれながら縮んでいくと一瞬前まで広間を照らしていた焔玉が、跡形もなく闇へ塗り潰された。
そして黒の中心で二つの瞳が開いた。
◇ ◇ ◇
ー熱が来ないー
エリシアはそれだけを、朦朧とした意識の中で不思議に思った。
焔砲は撃たれたはずでもう避けられないと思った。
なのに、身体は焼けていない。
「……?」
重い瞼を持ち上げると最初に見えたのは、黒だった。漆黒の大きな背中が自分と騎士たちの間へ割って入るように、立っている。
全身を覆う毛並みは夜より深い黒を基調としているのに、その中を銀白色や赤、青、緑、紫の光が脈打つように走っていた。
肩から首へ伸びた長い毛が揺れ、足元では風が渦巻く。
太い爪の間には雷が弾け、吐き出された息には白い冷気が混ざっていた。
二本の角に巨大な尾・・・見間違えようがない。
「……ヴァル……ハザード……?」
巨大な狼の耳が動き、ゆっくり振り返る。あれほど恐ろしい姿なのに、エリシアを見る瞳から敵意は感じなかった。
『……今回は、間に合いました』
「ノア……?」
『以後こういった危険なことは絶対にしないで下さい』
頭の中へ響いた声は、いつもの淡々としたものだった。だが、明らかに怒っている。
「すみま……せん……」
『謝れば許される段階を越えています』
「でも……みんなは……」
『全員無事です。私のヴァルハザードウルフがみんな治療してくれています。』
その一言で、身体から少し力が抜けた。
「良かった……」
『良くありません!』
「ノア……怒ってますよね……」
『当然です!この戦いが終わればさらなるご褒美をくださいね!』
ヴァルハザード・ウルフが、エリシアの前へさらに一歩出た。その巨体に隠されて、騎士たちの姿がほとんど見えなくなる。
『本来なら今すぐ説教したいところですが、先に片づけます』
「片づける……?」
ノアの声が、急に明るくなる。
『さあ! 私のヴァルハザード・ウルフ! 愚かな侵入者を完膚なきまでに叩き潰して下さい!』
「ノア、言い方……」
止める間もなく、ヴァルハザード・ウルフが大きく息を吸う。
「アオオオオオオオオオオオオオン!」
再び咆哮が上がり、今度は第十階層そのものがその咆哮に応えた。床を走る魔法紋が一斉に輝き、ボス領域の魔力がヴァルハザード・ウルフへ流れ込む。
「な、何だこいつは!」
「魔物……なのか!?」
「いいから構えろ!」
騎士たちが盾を上げる。
その判断の早さは辺境で何度も魔物と戦ってきただけはあった。
だが、
『ボス領域補正、最大出力!さあ、フルパワーでやってしまいなさい!』
ノアの声と同時に、ヴァルハザード・ウルフの姿が消えた。少なくとも、この場にその姿を捕らえられた者はいなかった、それだけは確かだった。
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