絶望の女神はいずこに微笑む
第八階層へ着く直前、焔砲が再び使われた。
「伏せて!」
熱風が階段を抜け、エリシアは床へ身を投げた。
背後の壁が赤く染まる。レッドキャップの一体が逃げ遅れ、炎の端へ巻き込まれた。
「ギャアッ!」
「っ!」
エリシアは反射的に戻り聖壁を展開する。
既に一秒も火炎を止めるほどの強度はない。それでも一瞬だけ熱を遮り、その間にレッドキャップを抱き上げた。
「逃げますよ!」
身体が熱い、足が震え、視界の端が暗くなる。それでも第八階層へ降りる。サンクチュアリフェアリーが火傷したレッドキャップへ治癒をかけ始める。
『軽度から中度。生命反応は安定しています』
「良かった……」
『・・・エリシアの方が危険な状態です』
第八階層の奥に、住民たちの姿はなかった。
住民達は先行できている。
それだけで、まだ走れる気がした。
◇ ◇ ◇
第九階層へ入ったとき、エリシアは一度膝をついた。
「……っ」
マグマゴーレムの手が伸びる。
「大丈夫……です!」
笑おうとしたが、声が上手く出なかった。その姿を見てサンクチュアリフェアリーが何度も治癒をかけようとする。
「あなたの魔力は、怪我をした人のために残してください。私のこれは……休めば治ります」
もう既に第十階層へ続く階段が見えている。
「ノア。みなさんは?」
『全住民、第十階層へ到達。負傷者なし』
エリシアは目を閉じた。
「……良かった」
その一言だけは、自然に出た。
『エリシアも早く来てください』
後ろから足音が響き、騎士たちが来る。
「最後に一度だけ止めます」
『必要ありません!エリシア!』
エリシアは振り返り、土属性へ意識を集中する。
「壁を……!」
床が持ち上がる。壁は低く、薄い。自分でも笑いたくなるほど頼りない。騎士の盾が一度ぶつかっただけで亀裂が入った。
「……本当に、もうこれで最後です!」
エリシアは踵を返し第十階層へ向かって走る。階段を一段下りるたび、脚が震える。後ろで土壁が砕ける音が響いた。
「いたぞ!」
「逃がすな!」
声が近くなる。息が苦しい。
「エリシア殿!」
ディートリヒの声まで聞こえる。
「随分頑張るじゃないか!ただ、無駄なあがきはもうやめろ!」
最後の一段を下りきり、エリシアは第十階層へ入った。
◇ ◇ ◇
第十階層の大広間には、これまでの階層とは比較にならないほど濃密な魔力が満ちていた。天井は高く、巨大な石柱が左右へ並んでいる。
奥には、重厚な巨大扉が異様な雰囲気を醸し出している。
住民たちの姿は見えない。
すでにノアの案内で避難用の通路へ移動しているのだろう。
エリシアは大広間の中央まで歩いた。
「……ノア」
『あと少しです!奥の扉へ来てください』
「・・・はい」
一歩、二歩と進むと脚から力が抜けた。
「あ……」
床へ手をつく。立とうとしたが腕まで震えている。
「もう少し……もう少しだけ……」
そう言いながらそのまま身体が横へ倒れる。冷たい石床へ頬が触れ、視界がぼやける。
『エリシア!?』
「聞こえています……よ」
『返事をしてください!』
ノアの声が遠く感じる。サンクチュアリフェアリーが必死にエリシアの頬を叩き、二体のレッドキャップが彼女を起こそうとする。
マグマゴーレムも膝をついた。
「みんな……奥へ」
声が掠れた。
「ここまでで、いいですから……」
誰も動かなかった。
「お願い……」
階段から足音が聞こえる。騎士たちが第十階層へ到達したのだ。
「……何だ、この魔力は」
「今までと全然違う」
「団長……ここは」
ディートリヒが広間へ入ってくる。
彼の目がゆっくり周囲を見回した。高い天井、巨大な石柱、これまでとは比較にならない魔力濃度。そして奥にある巨大扉。
口元がゆっくりと歪んでいく。
「着いたな、最深層……に。」
ディートリヒは満足そうに頷き魔封じの杭を取り出した。
「ここまで魔力が集中しているなら間違いない。コアは近い」
その視線が、床へ倒れているエリシアへ移る。
「……ほう」
ディートリヒは少し驚いた顔をした。
「まだ意識があるのか」
エリシアは動けないし返事をする力もほとんど残っていなかったが、それでもまだ奥の扉に向かって這いずろうとしていた。
「感服に値するぞ、エリシア殿」
声音には嘲笑だけではなく、僅かに本気の感心が混じっていた。
「まさか本当に最深層まで住民達の撤退を完了させるとは……」
後ろから到着した騎士たちも、彼女を見ていた。第三区画から第十階層まで住民を一人も置き去りにせずに魔物まで連れてほとんど一人で殿を務めながら、ここまで逃げ切ったその姿に少なからず畏敬の念を抱いていた。
しかし、
「まあ、犬死にだったようだがな」
ディートリヒだけは笑っていた。
「お前は王都にいるボンボンどもとは違うということは分かった。あいつらなら最初の焔砲を見た時点で、領民を差し出して自分だけ助かろうとしただろう」
エリシアは僅かに顔を上げた。
「……一緒に……しないで……ください……」
「まだ喋れるか」
「みなさんは……私の……」
言葉が続かない。息をするだけで苦しい。
ディートリヒはその様子を見下ろし、少しだけ目を細め手をあげた。
「焔砲の用意を」
「・・・団長?この方はもう抵抗できません。捕縛すれば――」
「必要ない」
ディートリヒは即答した。
「今までの状況的にこいつが管理者だ。こいつの存在はコアを奪う際に邪魔になる」
「ですが、公爵家の――」
「辺境で戦闘中に死亡した。それで終わりだ。むしろ皇太子殿下からお褒めの言葉を戴けるだろう」
「……」
「・・・持ってこい!」
焔砲が運ばれ砲口が下がり、倒れているエリシアへ向けられた。
『エリシア!聞こえていますね・・・もうー』
「聞こえて……います、よ」
焔砲の中へ赤い光が集まっていく。
「敬意を表して、一瞬の痛みもなく火炎で灼いてやる」
エリシアは動かなかった。いや、もう動けなかった。ただ、ぼやける視界の向こうで、巨大な砲口が赤く染まっていくのを見ていた。
「やれ」
焔砲が咆哮をあげ灼熱の奔流が、倒れたエリシアへ向かって放たれた。
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