撤退戦
三基の焔砲から吐き出された炎が広間を埋め尽くし、壁と床を舐めるように押し寄せる。
「エリシア!」
階段の下からリナが伸ばしていた手をさらに差し出してくる。エリシアはギリギリのところでその手をつかみ最後の一段へ飛び込んだ。
背中へ熱が叩きつけられる。
「っ!」
髪の先が焦げる。リナが腕を掴み、二人で第四階層へ転がり込んだ。
「ノア、閉じて!」
『罠の一部を使い、擬似的に階段を閉鎖します!』
そう言われていると階段上部へ石扉が落ちるが閉まりきる直前に赤い炎が隙間から噴き出し、石扉の表面が一瞬で赤熱する。
「離れて!」
全員が階段から距離を取ると数秒後、轟音が止んだ。第四階層へ逃げ込んだ住民たちの荒い呼吸だけが残る。
「……全員いますか?」
エリシアが息を整えながら尋ねる。
「二十六……二十七。全員います!魔物達も全員無事です!」
エリシアはようやく息を吐いたが安心できる状況ではない。すでに階段上の石扉から、何かを叩きつける音が聞こえているのだ。
「このまま戦ったら駄目です」
エリシアは即答した。
「騎士達は”焔砲”を三基持っています。狭い場所ではこちらも逃げられません」
「でも下へ逃げても、いつか追いつかれますよね?」
ユアンが不安そうに言う。
「分かっています」
エリシアは第四階層の奥を見た。その先には、昨夜外装以外は手を加えられなかった階層が続いている。
しかし・・・
第十階層まで、そこへさえたどり着けば・・・
ただ、そこまでの六階層を全員で走り抜けなければならない。
「みなさんは先に行ってください。私が少しでも時間を稼ぎます! みなさんは十階層まで死に物狂いで逃げて下さい!」
「一人で残る気ですか!?」
「一人ではありませんよ」
そう言われて二体のレッドキャップがエリシアの横へ並び、マグマゴーレムも前へ出た。スライムたちも足下に集まってくる。
「この子たちにも手伝ってもらいます。それに、ノアもいますから!ね、ノア!」
『私は反対です。住民を先行させることには賛成します。エリシアが殿を務める必要はありません』
「私がいないと、階層の扉をすぐ操作できないでしょう?」
『エリシア!魔物だけを残してあなたも逃げて下さい!』
「時間がありませんし、この子たちだけでは時間を稼げません!」
上の扉に亀裂が入った。騎士たちが向こうから何かを打ちつけている。もう本当に時間が無いと判断したバルトがエリシアを見る。
「……本当に、追いつきますか?」
「ええ、もちろん追いつきますよ」
絶対に追いつける保証などない。それでも、今ここで迷わせれば全員が危険になる。
「必ず」
バルトは目を閉じ、短く息を吐いた。
「分かりました。全員、行くぞ!」
「バルトさん!」
「ここで揉めたらエリシアさんが稼がなければならない時間が増えるだろう!黙って行くんだ!」
リナが悔しそうに唇を噛む。
「みなさんは安心して十階層でお待ち下さい。リナさん・・・ニナたちをお願いします」
その名前を出されると、リナも反論はできなかった。
「……絶対に来てください」
その言葉を最後に住民たちが走り出す。トーマが最後尾から一度振り返った。
「ゴーレム!」
マグマゴーレムがトーマへ顔を向ける。
「エリシアさんを頼んだぞ!」
大きな拳が胸へ当てられた。それを見て、トーマはまた走り始めた。
『来ます』
ノアの声と同時に、階段上の扉が砕けた。
◇ ◇ ◇
第四階層で、エリシアたちが稼げた時間は三分にも満たなかった。狭い通路へマグマゴーレムを立たせ、左右からレッドキャップが牽制する。スライムが床を滑りやすくし、エリシアが僅かな土属性魔素で壁を作る。
普通の兵士なら、それだけでも十分足を止められただろう。
だが相手は屈強な辺境騎士団だった。
「盾を前へ!」
先頭の騎士が滑る床へ盾を突き立て、後ろの者がその背中を支え、列を崩さず進む。
「火を使え!」
焔砲ほど大きくない火炎魔道具が前へ出る。
「下がって!」
エリシアの声で間一髪のところでマグマゴーレムが横へ飛ぶと炎が通路を焼いた。壁へ張り付いていたスライムたちも慌てて退く。
『個体、重度損傷を確認』
「スライムは戻って下さい!」
傷ついたスライムが身体を震わせながらエリシアの足元へ来る。
「もう十分です。先へ」
抱え上げようとしたが、腕に力が入らない。それに気付いたレッドキャップの一体が代わりにスライムを拾った。
「ありがとう」
「ギャ!」
奥で剣が石壁を叩く。
「第五階層へ行きましょう!」
階段を下りるだけでも脚が重い。昨日からまともに眠っていない故に魔力も戻らない。今は少しずつしか魔力を使っていないはずなのに、身体の中から何かが削られていく。
『罠を駆使すれば少しは時間を稼げるはずです。休息を提案します。五分でも・・・』
「その五分で誰かが逃げられなくなったら、死んでも死にきれませんから・・・その提案は却下です」
第五階層へ着く。エリシアは階段脇の壁へ手を置いた。
「ノア。左側だけ閉じてください」
道が人一人ずつしか通れない程度まで通路を狭める。
「レッドキャップ、上から狙撃をお願いします!」
二体が壁を蹴り、狭い足場へ上がり、追ってきた騎士が穴から顔を出した瞬間、石と矢を飛ばす。
「くそっ!」
「上にいるぞ!」
「構うな! 前へ出ろ!」
今度の騎士たちは止まらない。頭を守りながら一人ずつ通路を抜けてくる。
「早すぎます……!」
『撤退してください』
「分かりました!」
◇ ◇ ◇
第六階層ではマグマゴーレムが殿を務めた。大きな石扉を閉じるまでのわずかな時間、たった一体で通路を塞ぐ。
「押せ!」
三人の騎士が盾を重ねて突進を敢行するとゴーレムの脚が床を削りながら後ろへ滑った。
ーギ……ッ!ー
「もういいです!ゴーレムは下がって下さい!」
エリシアが叫ぶがマグマゴーレムは動かない。
『命令より防衛を優先しています』
「この子……!」
地上でキングウルフを止めたときと同じだった。自分が壊れることより、後ろにいる者を守る。
「もう石扉を閉じれます!戻ってください!」
ようやくゴーレムが下がったが、その時その肩を一本の槍が抉る。
「っ!」
エリシアは風を放った。本来なら人一人ぐらいを吹き飛ばすほどの力があるはずだが、今は人間一人を数歩よろめかせる程度の風しかでなかった。
それでもゴーレムが逃げる時間はできた。
石扉が大きな音を立てながら閉まる。
「ノア。ゴーレムは?」
『右肩損傷。ですが戦闘継続は可能』
「私が言えたことではありませんが・・・もう無理はしないでくださいね」
◇ ◇ ◇
第七階層へ下りた頃には、エリシアの呼吸ははっきり乱れていた。
「はぁ……っ、はぁ……」
見かねたサンクチュアリフェアリーが肩へ触れると柔らかな光が身体へ流れた。疲労が少しだけ軽くなる。
「ありがとう。でも、あなたの魔力も残してください」
小さな妖精が首を横へ振る。
「……本当に、みんな頑固ですね」
『エリシアが言いますか?』
遠くから石扉が壊れる音がした。
もう来る。
第七階層は全ての階層のなかで広い。ここでは騎士たちの人数が生きてしまう。
『ここで、彼らを止めるのは無理です』
「しかし、できることはあります」
エリシアは水を床へ流した。量は少ないがその水を見た騎士たちが一瞬足を止める。第三階層の泥濘を思い出したのだろう。
「罠だ!」
「止まれ!」
実際には、何もないがエリシアはその隙に逃げた。
「……騙したな!」
後ろから怒声が飛ぶが、鬼ごっこはまだ終わらない。
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