迷宮のある暮らし
夕方になる頃には、朝から作っていた最初の畝が形になった。猟師たちは午後にも一度迷宮へ入り、必要な分だけ追加の一角兎を持ち帰っている。トーマたちは壊れた柵を直しながら、明日から使う倉庫の場所まで決めた。
誰かが命令をしているわけではないが、必要なことを見つけた者が、近くの者へ声をかけて一生懸命に日々の暮らしに取り組んでいる。
夕食の時間になると、人々は外庭に置いた長机の周囲へ集まった。まだ全員分の椅子などないので、木箱へ座る者もいれば、敷物を広げる者もいる。
鍋の蓋が開くと、一角兎とかぼちゃの煮込みから湯気が上がった。
「いい匂い!」
ニナが一番に反応する。
「まだ触ったら熱いですよ。昨日も同じことを言って鍋を触ったでしょう」
「今日はしないもん」
母親に止められ、不満そうに手を引っ込める。バルトが人数を確認してから、食事が配られ始めた。
「エリシアさんも」
「私は最後で構いませんよ」
「管理人でも食べる順番は皆と同じです」
「……いただきます」
兎肉は思っていたより癖が少なく、よく煮込まれて柔らかい。お化けかぼちゃは普通のかぼちゃより甘みが強かった。
「美味しい……」
思わず声が漏れた。
「良かった」
料理を担当した女性がほっと息を吐く。
「魔物だから変な味だったらどうしようかと思ってたよ」
「朝、蔓で殴ってきたとは思えませんね」
リナがかぼちゃを見ながら言う。
「食事中にそれ言うなよ」
猟師仲間が嫌そうな顔をする。
「事実でしょう。朝までうねうね動いていたではありませんか」
「おい!今から食うんだぞ。食う気が失せちまうじゃネエか!」
その向こうでは、ニナが透明なスライムへ自分の器を見せている。二体のレッドキャップにも小さな皿が用意されており、一角兎の肉を気に入ったのか、二人とも勢いよく食べていた。
マグマゴーレムだけは何も食べていないが、それでもトーマのすぐ後ろに座り、皆が食べている様子をじっと見ている。
「・・・お前も食えりゃいいのにな」
トーマが振り返って声をかけるがマグマゴーレムは答えない。
「まあ、食費が一人分浮くと思えばありがたいか」
「道具扱いしなくなったと思ったら、今度はどうしたんですか?」
エリシアが言うと、トーマは笑った。
「一緒に働いてりゃ、そのくらいの情はわくもんですよ」
マグマゴーレムの大きな手が、トーマの横に置いてあった空の木箱を持ち上げて作業に戻ろうとする。
「おい、まだもうちょっと休もうや」
別の場所へ運ぼうとした手が止まり、腰を下ろした。その姿はどこか嬉しそうだった。
食後には、焼いたお化けかぼちゃの種も配られた。ニナが一粒食べて、すぐ二つ目へ手を伸ばす。
「美味しいですか?」
「うん!とっても美味しい!」
「ユアンさん。全部食べられる前に、畑用を残してくださいね」
ユアンは布で包んだ種を大事そうに抱えていた。
「明日、今日植えたものを見てみます。変化があったらすぐ言いますね」
「一晩で何か起こるでしょうか?」
「でも、あのダンジョン産の土に魔物の種ですよ?何が起こるかわかりませんよ!」
村を失ってここへ来たときのユアンは、人に話しかけられるたび声を小さくしていたが今は畑の話だけで、ずっと喋っていられそうだ。
『エリシア』
ノアから声をかけられ、エリシアは食事をしながら小さく返した。
「何でしょう?」
『本日のDP収支を報告します』
「今ですか?」
『・・・良い数字ですよ』
少しだけ声が弾んで聞こえる。
『住民の迷宮滞在、狩猟活動、生活魔法、調理設備の使用などから継続的なDP流入を確認しました。現在の10階層のダンジョンを維持するためのDPを賄うこともできています。』
表示された数字は、魔狼戦のときとは比較にもならないほど小さい。けれど朝に見た1DPから、また少し増えている。
「本当にDPが入ってきていますね。・・・誰も死んでいないのに」
周りを見渡すとリナたちは明日の狩りの順番を相談している。ユアンは農民たちと畑の広さについて話している。マルタは余った煮込みを明日の朝へ残すため、鍋の中身を確認していた。
ニナはスライムと遊んでいる。
全員が普通に暮らしているだけだ。
「ノア。やはり私はこちらの方がいいですね。性に合っているというのでしょうか?」
『効率だけを考えれば、一度に得られるDP量は、侵入者を殺害した場合より大幅に少ないです――しかし、』
「おや、どうしたんですか?ノア?」
少し笑いながら名前を呼ぶ。
『……長期的な収益性はこちらが優れていると認めざるを得ません。』
「でしょう?」
『住民数と活動量が増えれば、安定性も上昇します』
「それなら、もっと暮らしやすくしないといけませんね」
『DP支出が増える提案へ繋げようとしていますか?』
「お風呂とかどうでしょう?」
『却下します』
そんなやり取りを近くで聞いていたバルトが振り返り声をかけてくる。
「またノアさんと話しているんですか?」
「はい。皆さんが暮らしやすい設備を増やそうと相談しています。例えばお風呂とか」
『相談ではなく要求です』
何人かが一斉にこちらを向いた。
「風呂?あのお貴族様が入るっていう?」
「湯に入れるやつですか?」
「それは欲しい!」
トーマまで身を乗り出す。
『水と火の魔素と設備生成にDPを使用します。大量に・・・』
「その代わり、皆さんが利用すれば魔力も少し戻るのでしょう?」
『……収支計算を行います』
「お願いします」
勝った、とは言わないでおいた。朝には狩りへ出て、昼には畑を作り、夕方には皆で同じ鍋を囲む。それだけで迷宮へ少しずつ力が戻ってくる。
人が暮らすことと、ダンジョンが育つことは、どちらかを犠牲にしなくても繋げられるのかもしれない。
エリシアは空になった器を置き、まだ賑やかな外庭を眺めた。
昨日までは、ここで二十七人を食べさせていけるのか心配していたし、今日だけですべてが解決したわけではない。畑にはまだ種を植え始めたばかりで、迷宮の食料だって管理しなければ枯渇する。
けれど、一角兎を狩る者がいて、畑を耕す者がいて、それを料理する者がいる。
明日の仕事について希望のこもった声で話す声も聞こえる。
避難してきた人々の生活は、ようやく「逃げたあとの時間」から、その先へ進み始めていた。
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