最強のガーディアン
「キングウルフを表示して下さい」
エリシアが虚空に向かって声をかけると黒い影が宙へ浮かぶ。あの日倒した巨大な狼の姿だった。表示だけだと分かっていても、エリシアは僅かに身構えてしまう。
《記録個体》
《キングウルフ》
《召喚可能》
「……本当に残っているのですね」
『完全記録です』
「召喚費用は?」
『通常のキングウルフ生成費に加え、記録再構築費が必要です。ただしボス部屋へ直接登録するため、個別生成より若干軽減されます。まあ、それでも天文学的なDPが必要ですが・・・ただ、エリシアの極上の魔素があれば話は別です!』
「それでも高いですね」
『強いですから』
ノアの答えは一貫している。
「召喚したあと、気が変わったら?」
『ボス登録は解除できます。ただし解除後、その個体は消滅し、再登録には改めて召喚費が必要です』
「部屋から出せる普通のキングウルフにはできない?」
『できません。記録個体をボスとして召喚する場合、存在そのものがボス部屋と結びつきます』
「つまり、本当にここ専用の守護者なのですね」
地上へ連れ出すことはできないずに、ここへ侵入し十階層まで突破してきた敵だけを迎え撃つ。エリシアはあの日の光景を思い出した。
少年へ向かって飛びかかったキングウルフとそれを庇い、身体を砕かれたマグマゴーレム。正直に言えば、同じ姿をもう一度見ることに抵抗がある。
『エリシア、無理に設置する必要はありません』
意外な言葉だった。
「ノアがそれを言うのですか?」
『ご褒美は要求しましたが、管理者判断を無視する権限はありません』
「もし、あの力がこちらを守る側に回ったら……」
今後、誰かが地上の住民を傷つけるために迷宮へ入るかもしれない。コアを奪おうとする者もいるかもしれない。そのとき、第十階層にあのキングウルフ以上の存在が待っている。
「ノア、キングウルフを召喚しましょう」
『ほ、本当ですか!?』
エリシアは石板へ触れ魔素を込めた。
「キングウルフを、ボスとして登録します」
《確認》
《記録個体:キングウルフ》
《第十階層ボスとして召喚しますか?》
承認した瞬間、部屋の中央に黒い魔法陣が広がった。空気が重くなる。大量の魔素が集まり、輪郭を作っていく。
四本の剛脚に巨大な胴体、鋭い牙。最後に黒い毛皮が身体を覆い、あの日倒したものと同じキングウルフが姿を現した。
エリシアは反射的に一歩下がった。
キングウルフがゆっくりと目を開く。
「……襲ってきませんよね?」
『管理者認証済みです。安心して下さい』
巨大な狼はこちらを見たが、牙を剥くことはなかった。少し首を傾けたあと、その場へ伏せる。
「本当に別の個体なのですね」
『はい。過去の敵対記憶は存在しません』
恐る恐る近づいてもキングウルフは動かない。
「触っても・・・いや、やっぱりいいです」
『怖いのですか?』
「二日前に殺されかけていますからね?」
『合理的反応です』
エリシアは少し距離を置いた。
「これで終わりですか?」
『いいえ!ここからですよ!』
待っていましたと言わんばかりだった。
『せっかくエリシアには多数の属性魔素のとんでもない才能があります。全部与えてみましょう!』
「ぜ、全部ですか?」
『はい。火、水、風、土、闇、聖、雷、氷。現在、安定して識別できている属性を可能な限りすべてです』
「そんなことをして大丈夫なのですか?」
『通常個体へ一度に与えるのは推奨しません。しかし、この個体はボスです。ボス部屋が魔素の定着を補助します。それにキングウルフは元々、複数の上位種を統率できるだけの高い魔力容量を持っていました。進化条件としては非常に優秀です。もちろん危険値に達した場合は停止します』
「本当に停止してくださいね」
『任せてください!』
今日のノアはとにかく楽しそうだ。
「……では、少しずつですよ」
エリシアはキングウルフの前へ立った。
まず土属性、身体を支えるようにゆっくりと魔素を流す。次に水、風、火ここまでは最近何度も扱った。続いて闇属性を意識する。魔法として使った経験はないが、魔素を素材として渡すだけなら何度もノアに教えられている。
さらに雷、氷、最後に、最も慣れた聖属性。
「……これ、本当に全部混ざるのですか?」
『ええ、安心して下さい!個体側が必要な形へ取り込んでいます』
キングウルフの周囲へ光が集まっていく。最初は淡い光だったがエリシアが魔素を送り続けるほど、部屋全体が震え始める。
『し、進化反応です!まさかこんなことになるなんて!完全に予測以上です!』
「進化?と、止めますか?」
『まだ安全範囲です!』
「本当に!?大丈夫なんですか??」
『たぶん!』
「今、たぶんと言いました!?」
キングウルフが立ち上がり、黒かった毛並みに変化が現れる。背中から尾へ走るように銀白色の筋が浮かび、その間へ赤、青、翠、紫の淡い光が脈打つ。
前脚が一回り太くなり、爪は黒い結晶のように伸び、肩から首を覆う毛は長くなり、その奥では炎のような赤い光と、氷のような青白い光が交互に揺れている。
『進化中です!』
額へ二本の短い角が生える。
片方は黒もう片方は透き通る白。尻尾は一本のままだが、その周囲へ風が渦を巻き、時折小さな雷が走った。
聖属性の光まで混ざっているためか、恐ろしい姿なのに禍々しいだけではない。神聖さと異質さが同居している。
《特殊進化条件達成》
《複数属性同時定着》
《ボス領域補正》
《上位個体進化を確認》
《キングウルフ》
↓
《ヴァルハザード・ウルフ》
「ヴァルハザード……?」
『ヴァルハザード・ウルフです!』
進化した狼がゆっくり頭を上げた。先ほどまでのキングウルフより、さらに一回り大きい。普通の人間なら、その脚の付け根ほどまでしか届かないだろう。
金色だった瞳も変化し、中心は銀白色、その外側を複数の色が薄く囲んでいる。
「ノア。解析できます?」
『実行中です・・・火、水、風、土、闇、聖、雷、氷属性への適性を確認。全属性耐性が大幅に上昇しています』
「……はい?」
『さらにボス領域内では身体能力強化、魔法耐性強化、自動回復、地形適応補正が付与されます』
「ちょっと待ってください」
『加えて――』
エリシアは両手を上げた。
「それ以上聞くのが怖くなってきました」
『まだ半分ほどしか力の説明をできていないのですが・・・』
「何を作ったのです、私たち……」
ヴァルハザード・ウルフがこちらへ顔を向け、大きな口が僅かに開く。牙一本だけでも、エリシアの身体ほどの長さがある。
思わず身構えた。
「グルゥ……」
低い声が部屋へ響くと次いで、巨大な頭がゆっくり下がってきた。
「え?」
エリシアの目の前で巨大な頭が止まる。
『接触を求めています』
「……触ってなでてほしい?この見た目で?」
『見た目は関係ありません』
ー確かにその通りだー
エリシアは恐る恐る手を伸ばし、額へ触れる。
ー毛は思ったより柔らかかったー
「……暖かいですね」
『火属性も持っていますからね。』
少し撫でると、ヴァルハザード・ウルフは目を細めた。
「随分、大人しいですね」
『管理者を最上位友好対象として認識しています』
「それなら良かったです」
エリシアは少し安心した。だが、一歩離れて改めて全身を見ると、その安心はすぐ別の感情へ変わった。
巨大な体躯に全身を巡る多属性の光。爪の周囲には小さな雷が走り、吐息には白い冷気が混ざっている。背中の毛の一部は火のように揺らめき、足元の石には薄く魔力の紋様まで広がっていた。
「……ノア・・・これ、本当に必要な強さでした?」
『もちろんです!これで、枕を高くして寝ることができます』
「そういう問題ではない気がします」
キングウルフ一頭でも、二十七人と迷宮の魔物たち総出でようやく倒した。今、目の前にいるものは、それより明らかに強い。
しかもボス部屋の中にいる限り、さらに強さの補正がかかる。
「……この子は絶対に外へ出られないのですよね?」
『何度も言っていますが出られませんから安心して下さい』
そこまで確認して、エリシアはようやく胸を撫で下ろした。ヴァルハザード・ウルフはそんな彼女の心配など知らない様子で、大きな身体を床へ伏せた。
どうやら居心地は悪くないらしい。
『どうですか?』
ノアの声が弾む。
『すごいでしょう?』
「すごいという言葉では足りない気がします」
『ご褒美、大成功です!』
「ノアへのご褒美だったはずなのに、私の仕事が随分増えた気がします」
とはいえ、今夜わざわざ地上へ戻って「地下十階にとんでもなく強い狼を作りました」と報告する必要もないだろう。明日、落ち着いてからでいい。
エリシアはもう一度、伏せているヴァルハザード・ウルフを見た。巨大な尾が、床を一度だけゆっくり叩く。
「……私、ノアに乗せられて、みんなの知らぬ間にとんでもない魔物を作ってしまいました……」




