修道院防衛戦
ー群れの本隊は、夜のうちに到達しますー
ノアの言葉を聞いたエリシアは、少しして森の奥から視線を外した。
落とし穴の中では、先行してきた黒牙魔狼がまだ暴れている。何度も土壁へ爪を立てているが、這い上がれるほどの足場は残していなかった。
「リナさん。この一頭はどうしますか?」
「仕留めます。放せば群れへ戻るかもしれません」
リナは弓へ矢をつがえ、穴の縁から魔狼の動きをしばらく見た。
狙いが定まると、一度だけ弦が鳴る。
矢は首元へ深く刺さり、魔狼は何度か身体を痙攣させたあと動かなくなった。
『生命反応消失。DP獲得を確認しました』
「……今は数字を確認している余裕はありませんね」
エリシアは修道院へ戻ろうとしたが、リナはその場に残って森を見ていた。
「リナさん?」
「先に戻ってください。もう少し森の音を聞きます。ここなら修道院が見えていますので安心でしょう?」
「では、私もここへ残ります。やっぱり一人は危険ですから。」
二人が門へ戻った頃には、太陽の下端が森の向こうへ沈み始めていた。
準備できる時間が短いと分かったため、外庭では誰も休んでいない。
トーマはゴーレムと一緒に誘導路の石壁を確認し、村の男たちは柵へ木材を追加している。二体のゴブリンは矢や投石用の石を運び、動けない者たちは一階の比較的傷みの少ない部屋へ移されていた。
怪我人や子どもたちの側にはマルタがいる。
「エリシアさん」
バルトが小走りで近づいてきた。
「中へ移せる者は移しました。外に残るのは、戦える者と作業を手伝える者だけです」
「ありがとうございます。途中で危なくなったら、戦える方も中へ下がってください。私は外にいますので、何かあれば声をかけてください」
バルトは困ったように眉を下げた。
「あなたは、お貴族様なんですよね?普通は一番後ろの安全な場所にいるべきなのでは?」
「・・・私には、守りたい物達がいるので、後ろで座っているだけなのは嫌なのです。」
バルトが周囲を見回し、思わず笑い声をあげる。
「どうやら、お貴族様にも俺たちと似ているやつもいるみたいですね!」
笑える程度の余裕が残っていることに、エリシアも少し安心し改めて気を引き締めるように皆に声をかけた。
「配置をもう一度確認します」
バルト、リナ、トーマを呼び、門の横に広げた簡単な見取り図を囲む。
「ノアが作った誘導路はここです。左右へ石壁を置いて、正面から来た魔狼が自然に中央へ集まるようにしています」
指先で線をなぞる。
「途中に落とし穴が三ヶ所。」
「猟師はこの辺りでいいですか?」
リナが柵の内側を指した。
「はい。高い位置から狙ってください。ただ、魔狼が柵まで来たら無理に撃たず離れてくださいね」
「ゴーレムは正面に立ちます」
エリシアが見取り図から顔を上げると、少し離れた場所に立つゴーレムがこちらを向いた。
「柵を越えようとした魔狼だけ止めてもらいます。」
「そいつ一体で持ちますか?」
トーマが尋ねる。
「力はありますが、そこは少々心配ですね・・・」
「だったら、柵の後ろに石を積んでおきます。崩された場所があれば、すぐ埋められる」
「ゴブリンは二人とも、あちらの足場へ」
外壁修繕用に組んでいた低い足場を指す。
「上から石を落としてもらいます。弓も使えるようなので、近づかれなければそちらも」
リナの表情が僅かに動いた。
「ゴブリンに弓を持たせるんですか?」
「彼らなら大丈夫ですよ。リナも二人の真剣に働く姿を見ていたでしょう?」
短いやり取りの間にも日が落ちていく。
最後の明るさが消える前に、配置を終えなければならない。
「スライムたちはどう使うんです?」
トーマに聞かれ、エリシアは誘導路の入口を示した。
「地面を滑りやすくしてもらいます」
「滑りやすく?」
「見た方が早いと思います」
透明なスライムが呼ばれ、指定された場所へ移動し身体を薄く広げると、土の上へ透明な粘液を残しながら誘導路を往復する。
トーマが靴の先で軽く触れ、すぐに足を戻した。
「こいつは……走って踏んだら転びますね」
『これが本来の想定用途です』
「なるほど、こいつら掃除が得意なだけじゃないのか」
スライムがぷるりと揺れる。
「本人の前で『だけ』と言わないでくださいね」
「……こいつも本”人”扱いなんですか?」
「もちろんです」
「・・・生き残って、この修道院で暮らすことになったら覚える決まりは多そうだな」
「少しずつで構いませんよ」
トーマはまだ納得しきってはいないようだったが、スライムを追い払うことはしなかった。
準備が終わった頃、森から最初の遠吠えが聞こえてきた。先ほどよりも明確に近くなっているその遠吠えに驚き外庭で動いていた者たちが一斉に手を止める。
「奴らが来ます!」
森沿いに出ていた猟師が走って戻ってきた。
「黒牙魔狼! 十……いや、もっといます!」
「全員、位置へ!」
リナの声が飛ぶと先ほどまで同じ場所で作業をしていた者たちが散り、それぞれ決めていた位置へ移動する。
エリシアは門の内側まで下がり、誘導路の正面を見た。
「ノア。反応は?」
『第一陣、十二個体。後方にも複数の生命反応があります』
「まだ後ろにいるのですね」
怖くないわけではなかった。昼間に戦った刺客とは違い、今度は相手が何を考えているのかすら分からない。
それでも、自分の後ろに誰がいるのかは分かっている。
「来た!」
リナの声とほぼ同時に、木々の間から黒い影が飛び出した。黒牙魔狼たちは間隔をほとんど空けず、地面を蹴りながら一直線に修道院へ向かってくる。
「まだ撃たないで!」
リナが弓を引いたまま仲間を止める。
先頭の魔狼が誘導路へ入る。
二頭目
三頭目
石壁によって横へ広がれず、群れが縦へ伸びた。
「今!」
先頭の一頭へ二本が刺さったが、魔狼は止まらなかった。そのまま透明なスライムが液を残した場所へ足を踏み込む。
前脚が滑り、巨体が横へ倒れた。
すぐ後ろを走っていた個体が避けきれずにぶつかり、さらにその後ろから来た魔狼まで速度を落とす。
「ゴブリンたち、お願いします!」
「ギャッ!」
勇ましいかけ声とともに足場の上から人の拳より少し大きい程度の石を、二体が次々と群れへ投げ落としていく。
倒すほどの威力はなくても、密集した魔狼の動きを乱すには十分だった。
その時、一頭が石を避けて横へ跳ぶと草で隠した落とし穴へ後脚から落ち、身体を捻りながら吠えた。
「一つ目、入りました!」
『第二落とし穴へ二個体接近』
ノアの声に合わせ、エリシアは視線を移す。
「リナさん、右ですー!」
その声が響き渡るより速くリナの矢が走ると一頭の肩へ刺さり、進路が僅かにずれた。その先へ別の猟師が矢を重ねる。
避けようとした魔狼は足を踏み外し、二つ目の穴へ落ちた。
「いける……!」
誰かの声が聞こえた。エリシア自身も同じように確かな手応えを感じていた。
それでも抜けてきた魔狼は柵へ届くが、ゴーレムが待っている。一頭が飛びかかると、ゴーレムは両腕で受け止め、そのまま地面へ叩き落とした。
そこへトーマたちが石を足し、崩れかけた場所をすぐ補強した。
「嬢ちゃん!」
「何でしょう?」
「こいつ、思ったより使えるな!」
褒め方として正しいのかは分からないけれど・・・ゴーレムは気にした様子もなく、また次の魔狼を迎え撃った。
第一陣は、思っていたより順調に数を減らしていた。何頭かは矢を受けて森へ退き、残った個体は罠とゴーレムによって足止めされる。
『第一陣、戦闘継続個体四』
「こちらの負傷者は?」
『軽傷一名。魔物個体の重大損傷なし』
エリシアはほんの少し息を吐いた。
「まだ来ます!」
リナが叫ぶと森から新しい影が現れる。今度は数頭が左右へ分かれ、石壁の外側を回ろうとしている。
「罠を学習している?ノア、右側の石壁を少し延ばせますか?」
『DP消費に加え、土属性魔素を要求します』
エリシアは地面へ手を向けると地面が低く震え、右側の石壁が数歩分だけ伸びた。回り込もうとした一頭が急に現れた障害へ足を止める。
そこへ矢が飛び、魔狼の胸元へ刺さった。
「・・・さすがですね!」
「褒めるのは終わってからにしてください!」
返事をしながら、エリシアは反対側を見る。左側へ回った個体はゴブリンたちが先に気づいていた。二体で声を上げ、投げた石によって近くの猟師へ場所を知らせる。
人間と魔物が互いの細かな動きを理解しているわけではない。
それでも、同じ相手を止めようとして動けば、必要な部分は少しずつ噛み合っていった。
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