追放命令書の使い方
『多数の魔物が、こちらへ接近しています』
ノアの言葉を聞いた途端、外庭にいた人々の空気が変わった。
座り込んでいた者まで森へ顔を向け、母親の隣にいたニナも透明なスライムから手を離す。まだ何も見えてはいないのに、村を襲われた者たちには、その一言だけで十分だったらしい。
『正確な距離は測定できません。外縁領域へ近づく個体を順次確認していますが、現在も反応数は増加中です』
「・・・今からここを離れた場合、追いつかれますか?」
『避難民全員の移動速度を考慮すれば、その可能性は高いです』
エリシアは外庭を見回した。
先ほど治療した者の中には、支えがなければ歩けない人もいる。ニナの母親はようやく眠れたばかりで、老人や小さな子どもも少なくない。
日も落ち始めている中でこの人数を連れて暗い森へ入れば、魔狼に追いつかれなくても別の危険が増えるだけだろう。
「バルトさん・・・皆さんがここへ来る途中で、他に避難できそうな場所はありましたか?」
バルトは少し考えたあと、首を横へ振った。
「この人数が入れる場所は・・・。小さな猟師小屋ならありましたが、あれでは十人も無理でしょう」
「城塞都市へ戻るのはいかがでしょうか?」
「戻っても門が開くことはないでしょう」
短い返事だったが、迷いはなかった。
「それに、来た道を戻れば魔狼に近づくことになります。今から動くくらいなら、ここで迎えた方がまだましです」
バルトが少し咎めるように名を呼んだ。
「リナ!まだ、こちらの方にそこまで頼むわけにはいかないだろう!」
リナはエリシアを見る。
「だから、無理なら言ってください。動ける者だけでも囮になれば、子どもたちが逃げる時間くらいは――」
「それは駄目です」
エリシアがすぐ返すと、リナの言葉が止まった。
「ですが、このまま全員を置いてくださいとお願いするのも――」
エリシアは少しだけ考えてから続けた。
「誰かを囮にして残りを逃がす、という作戦は、最後の最後まで選びたくありません」
「では、二十七人全員をここで守ると?」
即座に「できます」とは言えなかった。なにせつい先ほど八人の刺客と戦ったばかりなのだ。今度は相手の数さえ分からない。
安心させるためだけに根拠のない約束をするつもりはなかった。
「ノア。今の防衛設備だけで、どこまで対応できます?」
『敵個体数、種類ともに不確定。回答不能です。・・・追加設備の生成を推奨します』
設備を増やすことそのものに異論はないが、一つ問題がある。防衛設備を作ったとしても、二十七人をここへ置き続けることが法的に問題ないかどうかは別だった。
今夜だけなら、追放時に渡された書面にある「旅人や被災者を一時的に保護する裁量」で十分だろう。
問題はその先だ。
魔狼の群れが近くにいる以上、明朝になったから出ていってもらえばいいとは言えない。村を失い、城塞都市にも拒まれた彼らには、そもそも帰る場所がない。
「……書面」
エリシアは小さく呟いた。
「何かありましたか?」
バルトに尋ねられ、エリシアは修道院を振り返った。
「・・・少し待っていただけますか?」
「もちろんです」
「リナさん、その間だけ森を見ていてください。危険だと思ったらすぐ呼んでくださいね。・・・あと、一人で確認しに行くのは禁止ですので森には入らないようにして下さい」
「……分かりました」
最後の一言を先回りされたのが不満なのかリナは僅かに眉を寄せたが、それを気にすることなくエリシアは修道院へ入り、自分の部屋へ急いだ。
荷物の多くはDPへ変換したが、この書面だけは最初から吸収対象から外している。
机の引き出しを開けると、折り畳んだ紙がそのまま残っていた。
王家、アルセイン公爵家、教会の三つの公印が押された、エリシア自身を王都から遠ざけるための命令書だった。
「まさか、こんなに早く読み返すことになるとは思いませんでした」
『廃棄しなくて正解でしたね』
「ノア、これを捨てようとしたことは一度もありませんよ?」
『資源還元時にも対象外でした』
「当然です。私がここを管理している証明なのですから」
机の上へ広げ、改めて最初から目を通す。無期限で辺境修道院の管理を命じること、修道院と付属地の維持、修繕、耕作を一任すること、旅人や被災者を一時的に保護してよいこと、ここまでは覚えている。
指で文章を追っていくうち、以前はほとんど気にも留めなかった一文で手が止まった。
「……これですね」
『何でしょう?』
「管理に必要な人員を雇い、その家族を付属地へ居住させることを許可する、とあります」
『二十七名を雇用するのですか?』
「ええ、働ける方を修道院の管理人員として雇えば、その家族はここに住めます」
『なるほど、それなら一時避難ではなくなりますね』
「ええ。少なくとも、明日になったから出ていってくださいと言う必要はなくなります」
父の声が頭に浮かんだ。
『使用人でも農民でも、必要なら好きに置けばいい。あの荒れ地に住みたがる者などいないだろうがな』
「……お父様も、まさか魔物から逃げてきた難民の方を雇い入れるなんて思いもしなかったでしょうね」
『確認します。これは規則違反ではありませんか?』
エリシアは書面を折り直した。
「修道院は実際に人手が足りません。庭も建物も荒れたままですし、畑を作るなら人も必要です。皆さんに仕事をしていただくのであれば、形式だけの雇用でもありません」
『食料および生活設備が不足しています。現在の居住設備では――』
「追い出した方が安いと言うつもりですか?」
少し間があった。
『現時点では、防衛と生活維持の両方にDPが必要です。ですが、労働力として利用できるのであれば、長期的な利益が発生する可能性があります』
予想していた答えと少し違い、エリシアは瞬きをした。
「……受け入れること自体には反対しないのですか?」
『条件付きで賛成すると言うだけです。迷宮および管理者へ敵対しないこと。領域の情報を”無断”で外部へ流出させないこと。食料を一方的に消費するだけの状態を長期間継続しないこと。これは絶対条件ですね。』
「最後だけ少し言い方が厳しいですね」
『DPは有限なのです』
エリシアは書面を持って外庭へ戻った。
バルトたちはまだ同じ場所にいたが、先ほどより落ち着きがなくなっている。森の方角を何度も見る者もいた。
「お待たせしました」
そう言いながらエリシアはバルトの前で書面を開いた。
「今夜だけでしたら、被災者としてここで保護できます。ただ、魔狼の危険が明日には消える保証がありません。ですから、それよりもう少し強い形で皆さんをここへ置ける方法を使います」
「・・・強い形?」
「皆さんを、修道院の管理に必要な方としてこの地に雇い入れます」
バルトはすぐには意味が分からなかったらしい。
「俺たちを……雇う?」
「ですが、俺たちは今、着の身着のまま逃げてきただけです。礼拝の世話もできませんし、修道院の仕事なんて――」
「実は、私も修道女ではありませんよ。ここに来てから一度も神に祈ったこともありませんし」
「……え?」
エリシアは書面の該当箇所を示した。
「皆さんを勝手に住まわせることはできません。ですが、修道院の管理に必要な方を雇い、その家族を付属地へ住まわせることは許可されています」
バルトは差し出された書面へ目を落とし文字を追ったあと、下部に並ぶ公印で視線が止まる。
「これは……王家の印ですか?」
「公爵家と教会のものもあります」
「あなたは、いや、あなた様は一体……」
ーこれ以上隠しておく理由もない、かー
「私の名前はエリシア・アルセインです。ただ、今はしがないこの修道院の管理人ですが・・・」
その名を聞いた瞬間にバルトの顔色が変わった。
「アルセインって……あのアルセイン公爵家?」
周囲にいた者たちまでざわめき始める。
「まさか、あの……」
「ど偉い貴族様だったのか?」
何人かが慌てて立とうとしたため、エリシアは手で制した。
「今はそれどころではありません。立たなくて大丈夫です」
「ですが……!」
「怪我をしている方まで立ったら、マルタさんに私が叱られますわ」
困ったように笑うと、張りつめていた空気が僅かに緩んだ。しかし、バルトだけは書面を見たまま、まだ迷っている。
「本当に……よろしいのですか?俺たちは、あなたに何も返せません。持ってきたものだって、ほとんど残っていない。それなのに住ませてもらって、守ってもらって、その上で仕事まで――」
「ふふっ、仕事はしていただきますよ?修道院を見たでしょう?人手はいくらあっても足りませんし」
エリシアは崩れた外壁を指した。
「ただ、今はまず魔狼への備えが必要です。終わったあとも、建物の修繕、畑、食料の確保、掃除……やることはいくらでもありますよ」
バルトが少しだけ目を丸くする。
「だから、助けてもらうだけだと思わないでください。こちらも皆さんに助けていただきます」
「・・・俺たちでも、役に立てると?」
バルトは暫くエリシアを見ていたが、やがて深く息を吐き頭を下げる。
「ぜひ、ここで働かせていただきたい。」
周囲にいた者たちからも、少しずつ声が上がる。
「俺も働きます」
「畑ならできます」
「料理なら……」
エリシアは全員の声を一度に受けようとはせず、バルトへ尋ねた。
「皆さんの仕事や得意なことは把握されていますか?」
「大体なら・・・。元々村でもそれぞれ役割を持っていましたし。」
「助かります。今から聞いて回っていたら、魔狼の方が先に着きそうですから」
バルトの顔が、初めて村の代表らしいものへ変わる。
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