魔狼
「はい。まずは、どこから話せばいいか……」
エリシアは彼の向かいへ座った。
リナも少し離れた場所に立ち、周囲を警戒している。
「まず、皆さんがなぜここまで来たのかを教えてください」
「実は俺たちの村が、魔狼に襲われたんです・・・」
バルトは膝の上で手を組んだ。
「初めは森の奥で見かける程度だったんです。そしていつしか家畜が何頭かやられて、猟師が足跡を見つけた。それで領主様に討伐隊を組んで貰おうとしたんですが……何か月待っても来なかった」
「討伐隊が、来なかった?」
王都にいた頃、辺境の魔物被害について資料で読んだことはある。被害報告を受ければ、領主配下の兵や討伐隊が派遣することが領主には義務づけられているはずだった。
「以前は来てくれていたんです。少なくとも、巣が大きくなる前には・・・ところが今年に入ってから巡回そのものが減りまして」
「理由は聞いていますか?」
「予算と人員の見直しがあったのだ、とだけ」
バルトは苦い顔をした。
「何度も危険だと訴えました。書面も出しました。リナたち猟師が、明らかに数が増えていると報告してくれたんです。それでも大げさに騒ぐなと返されて……」
少し離れていたリナが口を挟む。
「それでついに、三日前に何頭もの魔狼が村へ来ました」
「魔狼が?」
「はい。最初に十頭くらい。そのあと森から次々増えました。あれは普通の群れじゃありません」
淡々と話しているが、弓を持つ手に力が入っている。
「追い払えなかったのですか?」
「私たちだけでは無理です。老人や子どもを先に逃がして、残った者で時間を稼ぎました」
リナはそこで一度だけ視線を伏せた。
「全員は連れて来られませんでした」
バルトも何も言わない。エリシアは安易に慰める言葉を挟まなかった。今ここに二十七人いるということは、村にそれ以上の人がいたのだろう。
「この近くにある城塞都市へは向かったんですか?」
「街道を彷徨い歩くよりはずっと安全ですし、兵もいます。入れてもらえれば何とかなると思っていました」
「・・・入れなかったのですか?」
リナの顔が険しくなった。
「ええ、門を閉められました」
エリシアは聞き返しそうになったが、彼女の表情を見て言葉を止めた。
「リナ、エリシアさんは何も悪くないのだからそう睨むんじゃない」
「……すみません」
エリシアは少し考えてから続ける。
「門を閉じた理由は何と?」
「魔狼の群れを都市にまで呼び込むわけにはいかない、と」
「それは……」
都市全体を守るという理屈そのものは理解できなくもない。だからといって、負傷した領民を門の外へ放置していいという話にはならない。
「食料や護衛は?」
バルトが首を振る。
「街からすぐ離れろ、とだけ言われて剣を突きつけられました。」
今度はエリシアも返す言葉が見つからなかった。
リナが低い声で続ける。
「せめて怪我人と子どもだけでも入れてほしいと言いました。でも騎士団長は、ここは物乞いのための救護院じゃない、と」
エリシアの眉が寄る。
「……それで、ここへ?」
「古い修道院があることは知っていました」
バルトが周囲を見る。
「使われていないと思っていたんです。ただ、街道へ戻っても行く場所がありませんし、屋根が残っているだけでも違うと思って……まさか管理人の方がいるとは」
「私も来たばかりなのです。ですから見ての通り、まだ直している途中ですが」
崩れた石壁と積み上げられた資材を見ると、バルトは少し困ったように笑った。
「俺たちより先に、大変そうな方が住んでいましたか・・・」
「水と寝る場所くらいはありますから、今は私の方が恵まれていますよ」
話している間に、ニナが母親の側から離れてこちらへ歩いてきた。
「お母さん、寝た。マルタおばちゃんがもう大丈夫って」
「なら、ニナも少し休んだ方がいいですよ」
「・・・うん」
返事はしたものの、ニナはエリシアの横へ座った。少しすると透明なスライムが近づいてきて、彼女の靴の先へ身体を寄せる。
ニナはもう驚かず、指先でそっと触った。
その様子を見ていたバルトが複雑そうな顔になる。
「本当に……襲わないんですね」
「ええ。この子は掃除が得意なんです」
「掃除?」
「とても几帳面ですよ。私よりずっと」
『比較対象として適切です』
「ノア、それはどういう意味です?」
思わず言い返したエリシアを見て、バルトがわずかに目を丸くする。ニナは意味が分からないまま笑っていた。
その空気が少しだけ緩んだところで、リナが突然立ち上がった。
「・・・おかしい」
声の調子が変わるのを聞いてバルトもすぐに表情を戻した。
「どうしたんですか?」
エリシアが尋ねてもリナは森へ顔を向け、耳を澄ませている。やがて地面へ片膝をつき、森の方角を見たまま答えた。
「さっきから鳥が戻ってこないんです」
「鳥?」
「ここへ来る途中、後ろの森から野鳥が一斉に飛び立ちました。もう夕方なのに、彼らの鳴き声がほとんどしない」
エリシアも耳を澄ませた。言われて初めて気づいたが森は確かに静かだった。
「・・・魔狼でしょうか」
「おそらく、奴らはもう近くに来ているのでしょう。」
リナが弓を握り直す。
「群れは村を襲ったあと、私たちを途中まで追ってきていました。城塞都市へ向かった辺りで姿が見えなくなったので、振り切ったと思いたかったんですが……」
「追ってくる可能性があるのですか?」
「魔狼は獲物を諦めないと言います。流石にしつこすぎますが・・・」
バルトの顔から血の気が引いた。
「だが、ここまで何日も歩いてきたんだぞ」
リナは森へ向いたまま、少し鼻を動かした。
「怪我人を連れて歩いてきた私たちは、追う側からすれば分かりやすい。血のにおいを追ってきたのかもしれません」
外庭にいた者たちへ緊張が伝わっていく。母親の側で横になっていたニナも不安そうに顔を上げた。
「また来るの……?」
エリシアはすぐに答えなかった。
大丈夫だと言って安心させるのは簡単だ。けれど、本当に大丈夫なのか、今の自分には分からない。
「ノア。外縁領域の周辺を確認できますか?」
『領域外の詳細な探知は不可能です』
「分かる範囲だけで構いません」
『確認します』
短い間が空く。リナは森を見たまま、バルトは疲れ切った人々の顔を順番に確かめている。
エリシアも、返答を待ちながら修道院と外庭を見回した。
二十七人。
今から移動させたとして、どこまで歩けるだろうか?先ほど治療した女性はまだ立てない。老人や子どもも多く、日が落ちれば森を進む方が危険になる。
『エリシア』
ノアの声が戻った。
「分かりましたか?」
『はい。外縁領域へ向かって移動する複数の生命反応を確認しました』
リナがエリシアを見る。
『現時点では正確な総数を算出できません。多数の魔物が、こちらへ接近しています』
「つまり、既に魔狼の群れがこちらに向かって来ていると言うことですね?」
外庭にいた者たちの間から、息を呑む音が広がった。エリシアは門の向こうへ目を向ける。
森は静かなままだった。
今のところ何も見えないけれど、そこに何もいないわけではないらしい。背後には、ようやく座れたばかりの老人と子どもたち、そして負傷者もいる。
エリシアは門から離れず、まずノアへ尋ねた。
「ここへ到着するまで、どれくらいありますか?」
『移動速度を維持した場合、長くはありません』
それなら、考えることは一つだった。
ー逃げられない人たちを、どうやってここで守るのかー
その方法を決める時間は、ほとんど残されていなかった。
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それではまた次回!




