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逃げてきた人々

「……人が、いる……この子だけでも、」


 森から聞こえた声に応えるより先に、子どもを抱いていた女性の身体が大きく傾いた。


 隣を歩いていた男が慌てて腕を伸ばしたものの、女性自身にも立っている力が残っていなかったらしい。子どもを庇うように身体を丸め、その場へ膝をついた。


「お母さん……?」


 抱かれていた少女の弱々しい声が聞こえる。その様子をみていたエリシアはたまらずに門を開け、その二人へ駆け寄った。


『エリシア。集団の安全確認が完了していません』


「分かっています。でも、この方の姿を見ているだけなんてできません!」


 ノアへ答えながら女性の側へ膝をつき、まず首筋へ指を当てる。


 ー脈はあるー


 呼吸もしているが、かなり浅い。


「聞こえますか?」


「……娘、を……」


「大丈夫です。お嬢さんも一緒に診ますから、今は喋らなくて結構です」


 女性の腕から少女を受け取ろうとすると、母親は意識が朦朧としているにもかかわらず、一度だけ腕へ力を込めた。


「分かりました。この子のことは離しません。」


 エリシアがそう伝えると、ようやく腕の力が抜ける。そして少女を地面へ座らせてから女性の状態を調べると、衣服の脇腹に乾いた血が広がっていた。


 傷そのものより、長時間ろくに休まず歩き続けたことの方が問題かもしれない。


「《治癒》」


 掌から淡い光を流し、傷を塞いでいく。少し離れた場所で見守っていた人々から、ざわめきが起きた。


「まさか聖魔法……噂は本当だったんだ」


「治癒術師なのか?」


 エリシアはそちらを見ず、女性の呼吸が落ち着くまで魔力を維持した。傷が塞がったところで額に手を当てる。


「熱もありますね。水分もかなり足りていません。すぐに飲ませないと・・・」


「水なら……俺たちの残りを――」


 近くにいた老人が革袋を取り出そうとしたが、中身はほとんど残っていないらしい。


「大丈夫です。こちらに水があります」


『泉の利用を許可しますか?現在の備蓄量を考慮すると、二十名以上への継続供給は――』


「ノア。その相談はあとでしましょう」


『……了解しました』


 エリシアは少女の顔を確認した。八歳くらいだろうか?頬は汚れ、唇も乾いている。


「あなたもどこか痛いところはありますか?」


「おなか……すいた」


「そうですよね」


 怪我を聞いたつもりだったが、返ってきた言葉に思わず表情が緩む。


「少しだけ待ってください。まずお水を飲みましょう」


「お母さんも?」


「もちろんです」


 少女は安心したのか、小さく頷いた。その間に、後ろから年配の男が近づいてきた。


「・・・お嬢さん」


 五十を過ぎているだろう。日に焼けた顔には疲労が濃く出ていたが、他の者よりはまだ足取りがしっかりしている。


「助けていただいて、ありがとうございます。ただ、皆もう限界で……」


 男が後ろを振り返るとエリシアもそこで初めて、集団全体をゆっくり見た。


 二十人を越えている。


 老人が何人もおり、歩くことさえ難しい者は肩を借りている。子どもも複数いて、大人の中にも腕や脚を布で縛った負傷者が目立った。


 剣や弓を持っている者もいるが、ごく僅かだ。


 ー先ほどの刺客たちとは違うー


 武器を手にしている者も、戦うために前へ出ているのではなく、疲れた人々を囲むように歩いている。


「全部で何人いらっしゃいますか?怪我をしている方は?」


「二十七人です・・・歩ける者まで数えるなら……十人以上は負傷者がいます」


 男はそこで少し迷い、頭を下げた。


「私はバルト・ローデンと申します。元は村のまとめ役をしておりました。せめて一晩だけでも、ここで休ませていただけないでしょうか」


「お話の前にまず皆さんを中へ入れましょう。」


 バルトが驚いたように顔を上げる。


「よろしいのですか?」


「このまま外で話を続ける方が危険です。詳しい事情は、水を飲んで落ち着いてから聞かせてください」


「……ありがとうございます」


 深く頭を下げるバルトへ、エリシアは少し困ったように手を振った。


「今は頭を下げるより、立てない方を運ぶ手伝いをお願いします。私は怪我の重い方から診ます」


「分かりました。おい、動ける者は手を貸してくれ!」


 バルトが振り返ると、避難民たちもようやく動き始めた。エリシアは母親を抱き起こそうとしたが、後ろから大柄な男が進み出る。


「俺が運びます」


「お願いできますか?」


「もちろんです。トーマ、そっちの子も――」


「私は歩ける」


 少女が小さな声で抗議した。凜々しいその姿にエリシアは思わず笑ってしまった。


「では、一緒に歩きましょうか。お名前は?」


「・・・ニナ」


「私はエリシアです。よろしくお願いします、ニナ」


「……うん」


 ニナが差し出された手を握る。


 冷たい、けれど自分の足で歩くと言った通り、門まではきちんとついてきた。避難民を外庭へ案内していると、修道院の玄関から二体のゴブリンが顔を出した。


 エリシアが戻ってこないため、様子を見に来たらしい。


「ギャ?」


 一体がこちらを見て首を傾げる。その瞬間、集団の後方から弦を引く音がした。


「っ!魔物だ!」


 エリシアが振り返ると短い弓を構えた女性が、ゴブリンへ矢を向けていた。


 疲労していても姿勢に無駄がない。


 狙われたゴブリンは驚き、玄関脇へ身体を引いた。


「待ってください!」


 エリシアはニナの手を離すと、二者の間へ入った。


「弓を下ろしてください。この子たちは敵ではありません」


 女性は矢をつがえたまま、エリシアを見る。


「ゴブリンですよ!そこを退いてください。群れがいるかもしれない」


「彼らはこの修道院で一緒に暮らしている子たちです」


 女性は明らかに理解できないという顔をした。それでもエリシアが退く様子を見せないため、矢先を僅かに下げる。


「魔物と一緒に?ゴブリンが人を襲わないと?」


「少なくとも、自発的に今まで誰かを襲ったことはありません」


『人間八名との戦闘履歴があります』


「ノア、それは襲ったのではなく、襲われたのでしょう?」


 女性にはノアの声が聞こえているのか分からないが、エリシアが一人で何かへ言い返したため、ますます訝しげな顔をしている。


「……あなたは何者なんです」


「この修道院の管理人です」


 後ろでバルトが何か言おうとしたが、その前にニナがエリシアの服を引いた。


「お姉ちゃん」


「どうしました?」


 ニナは玄関から半分だけ顔を出しているゴブリンではなく、その足元を見ていた。


 透明なスライムがいつの間にか出てきていたらしい。避難民が大勢いるため警戒しているのか、普段より身体を小さく縮めている。


「あの子も魔物?」


「ええ。スライムです」


「この子達も、ここに逃げてきたの?」


 思いがけない質問だった。


「逃げてきた……というわけではありませんけれど」


 どう説明すればいいか迷っていると、ニナはスライムの近くへしゃがみ込んだ。


「怖くないのですか?」


「だって、あの子も隠れてるし怖がってるよ」


 確かに、透明なスライムはゴブリンの後ろへ半分隠れている。そして彼らにニナが手を伸ばすと、周囲の大人たちが息を呑んだ。


「ニナ!」


 バルトが止めようとしたが、その前にスライムが少しだけ身体を伸ばした。少女の指先へ、ぷるりと触れる。


「つめたい」


 避難民たちの間から、困惑したような声が漏れる。弓を構えていた女性も、すぐには武器を下ろさなかったが、少なくとも矢をつがえた状態は解いた。


「リナ」


 バルトが女性へ声をかける。


「・・・今は下ろしてくれ」


「バルトさん!いいんですか?魔物ですよ?」


「俺たちは助けを求めに来たんだ。ここで先に武器を向けるのは違うんじゃないか?」


 リナと呼ばれた女性はゴブリンたちを暫く見ていたものの、やがて弓を背へ戻した。


「……分かりました。ただ、何かあれば私は撃ちますからね」


「こちらの子たちが先に皆さんを襲った場合なら、構いません。そうならないよう私からも伝えます」


 リナは何か言いかけ、結局黙った。エリシアはゴブリンたちへ向き直る。


「急に大勢来たので驚きましたよね。この方々は、今夜ここで休んでいただく予定です。怖がらせないようにしてくださいね」


 二体が頷く。


「それから、皆さんの荷物を運ぶのを手伝っていただけますか?」


「ギャ!」


 返事をすると、一体はすぐ門へ向かって走っていった。


 リナがその背中を目で追う。


「……言葉が分かるんですか」


「ええ、簡単なものなら」


 まだ納得したわけではなさそうだが、それでいいとエリシアは思った。先ほど初めて会ったばかりなのだから、何も知らない魔物をすぐ信用しろと言う方が無理がある。


 しかし、まずは目の前の怪我人をどうにかする方が先だった。


 外庭へ全員を入れると、エリシアは比較的状態の悪い者から順番に診ていった。


 切り傷や咬み傷は《治癒》で塞ぐことができる。折れている骨は位置を確かめてから固定し、深い傷については聖魔法で出血を止める。


 六人目を診たところで、後ろから女の声がした。


「その人は魔法で傷を閉じる前に、もう少し洗った方がいいですよ」


 振り返ると、四十代くらいの女性が布と水を持って立っていた。


「傷の奥に泥が残っています。治癒術でそのまま塞いだら、後で面倒になるでしょう?」


「……その通りですね」


 エリシアは傷口を確認し、自分が急ぎすぎていたことに気づいた。


「ありがとうございます。治療の経験がおありなのですか?」


「薬師をしていました。子どもを取り上げることもありますけど、魔法は使えませんよ・・・私はマルタ・セイルです。働きすぎて手元が雑になってきていますから、治癒が必要なところだけお願いします。包帯を巻いたり、傷口を洗ったりすることはお任せ下さい。」


「手元が雑……」


 言われてみれば、先ほどから何人も続けて治療している。魔力にはまだ余裕があるのに、細かな確認へ意識が回らなくなっていた。


 反論する隙もなく、水の入った器を渡された。飲めと言うことだろうか?


『適切な判断です。先ほどから休息不足を指摘しています』


「ノア、あなたまで・・・」


「誰と話してるんです?」


 マルタが眉を寄せる。


「少々説明の難しい相手です」


「まあ、元気なら何でも構いません。早く飲んでください」


 この人には逆らわない方が良さそうだ。エリシアが水を飲んでいる間、マルタは他の者へ手際よく指示を出し始めた。


「歩ける人は、濡れた服を着替えさせて。子どもには先に水、食べ物は一度に食べさせないで。吐くからね」


 先ほどまで疲労で動きの鈍かった人々も、具体的に指示されると少しずつ役割を持ち始める。バルトも人数を確認しながら、誰がどこにいるのかを把握していた。


 この人たちはただ逃げてきただけの集団ではない。


 互いを支えながら、ここまで歩いてきたのだろう。


 治療が一段落する頃には、日はかなり西へ傾いていた。エリシアは外庭の石壁沿いへ毛布を敷き、座れる者にはそこで休んでもらった。


 修道院の建物内へ全員を入れるには、まだ修繕できていない部屋が多すぎる。


「申し訳ありません。今夜はひとまず、この庭を使ってください。雨が降るようなら中へ移れる場所を作ります」


「これだけでも十分すぎます・・・」


 バルトはそう言ったが、その顔にはまだ緊張が残っていた。


「あの、改めて事情を伺っても?どうしてこれほどの人数の村人が村を捨てて来たのですか?」

もし少しでも

「続きが気になる!」

「面白かった!」

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それではまた次回!

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