はじめての・・・
隊長の号令を受けても、先ほどまでのように全員が迷いなく動くことはなかった。
六人いた部下のうち、すでに三人がまともに戦える状態ではない。一人は粘着床に両足を取られ、弓を持っていた男も崩れた石段に片足を挟まれている。もう一人はゴーレムの腕を受けて壁際へ倒れたまま、肩を押さえて起き上がれずにいた。
残る三人も無傷ではなく、エリシアたちが思っていた以上に戦況はこちらへ傾いていた。
「お願いします、ノア」
『……了解しました』
エリシアが土属性の魔素を流すと、左側から迫っていた男の足元で石床が僅かに盛り上がった。
男は咄嗟に飛び越えようとしたものの、その先には透明なスライムが広がっている。着地した靴がぬるりと滑り、体勢を立て直そうと手をついたところへゴブリンが木槌を転がした。
「うおっ……!」
男の手首に木槌がぶつかり、握っていた剣が床を滑っていく。
もう一人が助けようと踏み込んだが、エリシアはその進路へ《聖壁》を広げた。
正面から押し返すのではなく、少し斜めに展開する。男は障壁を避けようとして足を止めたため、その隙にゴーレムが二人の間へ身体を入れた。
「これ以上はやめませんか?」
エリシアは障壁を維持したまま声をかけた。
「皆さんのうち、もう半分以上が戦えません。こちらから追うつもりはありませんから、武器を置いて帰ってください」
「黙れ!」
後ろにいた男が短剣を投げるとエリシアは《聖壁》の角度を変え、飛んできた刃を床へ弾いた。
「俺は降りる!」
振り向くと、剣を落とした男が両手を上げていた。
「もう十分だ。聞いてた話と違いすぎる! こんな化け物だらけの場所だなんて聞いてねえ!」
男はゴーレムを見上げて顔を引きつらせた。
「俺は帰る!金なんてもういらねえ」
男は腰に残っていた短剣も床へ置き、両手を見える位置まで上げ、自分から数歩下がる。
ー敵意はないー
少なくとも今は、本当に戦う意思を失っているように見えた。
「ノア、この方は攻撃対象から外してください」
『・・・了解しました』
「怪我があれば、戦闘が終わったあとで――」
言い終える直前、男の身体が不自然に前へ傾いた。
「……え?」
背後に立っていた隊長が剣を引き抜く。何が起きたのか理解した男は、自分の腹へ手を当てたまま振り返ろうとしたが、そのまま膝をついた。
「隊、長……なんで?」
「勝手に仕事を降りるな」
隊長が男を蹴るように剣から外す。エリシアは倒れた男へ駆け寄ろうとしたが、隊長がその間へ入った。
「どいてください!」
「無理だな。任務を果たせない者に、生きて帰る価値などない」
「……あなた方の仲間でしょう?」
「仕事のために集まっただけだ。仲良しごっこをしに来たわけじゃない」
後方から短い悲鳴が聞こえた。
エリシアが視線を向けると、これまで隊長の近くでほとんど口を開かなかった男が、石段に足を取られて戦意を失い武器を捨て、両手を上げていた弓手の前に立っていた。
恐らく彼が副長なのだろう。
「待て、副長。俺ももう――」
言葉が最後まで続かなかった。副長の短剣が急所へ入り、男はその場に崩れた。
「やめてください!」
エリシアが《聖壁》を伸ばそうとしたところへ、隊長の剣が正面から叩きつけられる。
助けに行けば、自分が斬られる。
ー障壁を解くことはできないー
粘着床に捕まっていた男が声を上げる。その表情には、敵であるエリシアへ向けていたものとは別の恐怖があった。
「隊長! 俺たちは何も喋らねえ! だから――」
「その言葉を信じる理由があるか?」
隊長はエリシアの障壁へ剣を押しつけながら答えた。
「捕まれば喋る可能性が1%でも残る。だから最初から、失敗した奴は戻さないことになっている」
「そんな話、聞いてないぞ!」
悲痛な叫びを無視するように副長が動いた。エリシアが一人目を目の前で見たため、その後は何が起きているのか分かってしまった。
動けない者から先に、迷いなく処理していく。
傷を負って壁際にいた男が逃げようと立ち上がれば、隊長が片手で投げた刃がその背中へ届いた。ゴーレムを止めていた男も、自分の仲間が次々倒れていくのを見て手を離したが、今度は副長が逃がさなかった。
ほんの僅かな時間だった。
助けられると思っていた者たちが、エリシアの目の前で次々に倒れていく。
「ノア、何人残っています?」
『敵性生命反応、二』
「……そうですか」
エリシアは隊長の剣を受け止めたまま、倒れた男たちへ目を向けた。サンクチュアリフェアリーが近づこうとしていたが、エリシアにはもう治療が間に合わないことが分かった。
「フェアリー、戻ってください」
小さな身体が途中で止まる。
「もう、大丈夫です」
・・・本当に大丈夫なわけではない。それでも、あの子まで二人の近くへ行かせたくなかった。その葛藤をくみ取ったのかフェアリーは迷ったあと、エリシアの肩へ戻ってきた。
『これまで確保していた退路を維持しますか?』
「おや?帰る奴は追わないんじゃなかったのか?」
エリシアは障壁を強めながら隊長を見る。
「もうあなた方に、帰る意思があるとは思いません」
隊長が剣を引き、今度はエリシアの首を狙って横へ振る。《聖壁》を傾けて刃を逸らしたものの、すぐ後ろから副長が入ってくる。
二人になったことで人数は減ったが、動きは先ほどまでの部下たちとは比べものにならなかった。
「っ……!」
『負傷を確認』
「この程度なら大丈夫です」
「喋りながらとは余裕だな!」
隊長が距離を詰める。エリシアは水属性の魔素を流し、足元へ薄く水を走らせた。隊長は滑りかけたものの、すぐに壁へ足をかけて体勢を戻す。
「同じ手を何度も食らうかよ。」
エリシアも、それくらいは分かっていた。
「ゴブリン、お願いします!」
壁を蹴り足下の水を避けたことで隊長の身体は僅かに浮いている。そこへ二体のゴブリンが左右から木槌を投げた。一つは避けられたが、もう一つが膝へ当たる。
「ぐっ!」
着地が崩れた。
「ノア、今です!」
石床へ手を向け、必要な魔素だけを流した。隊長の足元から石が盛り上がり、両足首を挟むように固まる。
「っ!こんなもの!」
隊長が剣を振り下ろし、一撃で石に亀裂が入る。
『拘束維持時間は長くはありません!』
「いえ!十分です」
副長はゴーレムと向き合っている。大きな拳を避けながら関節部分だけを狙いすでにゴーレムの右腕の石材が大きく欠けていた。
「ゴーレムから離れてください!」
「魔物の心配か?自分が殺されそうなのに、随分余裕があるな」
エリシアは水を放つ。
副長は横へ避けたが、その先へ透明なスライムが回り込んでいた。
「邪魔だ!」
短剣を振り下ろそうとする副長へ、ゴーレムが欠けた右腕を伸ばした。刃を握り込むように受け止め、そのまま手首ごと止める。
「今です!」
エリシアは床へ土属性の魔素を流した。副長の背後にあった石壁がせり出す。
「くそっ……!」
副長が腰へ手を伸ばした。そこには、まだ一本細い刃が残っている。
考えるより先に、エリシアはさらに魔素を流した。せり出した石壁が大きく動き、副長の身体を壁へと強く押し込む。
鈍い音が響いた。
副長の手から刃が落ちる。
『生命反応、急速に低下』
エリシアの手が僅かに震えている。
「……分かりました」
自分で決めたことだ。目を逸らして、ゴーレムやノアだけの責任にするつもりはなかった。
隊長が足元の石を砕いていた。
「よくもっ!」
ゴブリンたちが木槌を構えたが、エリシアは手で止めた。
「二人とも下がってください」
「ギャ……?」
隊長は先ほどからエリシア以外に目もくれていなかった。その顔にはもう、仕事を遂行するための冷静さも薄れている。
エリシアは《聖壁》を真正面へ張った。隊長は予想していたらしく、途中で身体を沈め、障壁の端を回り込もうとする。
「ノア!一瞬だけ時間を作って下さい!」
『・・・《聖壁》をずらして下さい。それと同時に一秒だけ時間を作ります』
障壁をずらすタイミングに合わせて土属性の魔素を床へ流し、隊長が避けた先の石を僅かに隆起させた。
足が引っかかり、ほんの一瞬だけ身体が前へ流れた。エリシアはそこへ水を叩きつける。剣を持った腕が大きく外へ逸れた。
「ゴーレム!」
隊長が反応して振り向いたときには、背後までゴーレムが来ていた。
巨大な左腕が剣を握る腕を掴む。
「離せ!」
隊長が短剣を抜き、ゴーレムの指へ突き立てた。
石が欠けても、腕は離れない。
エリシアは隊長の正面へ立った。
「もう終わりです」
「・・・俺を捕まえるつもりか?」
男が笑った。エリシアは床へ両手を向けた。
「ノア。お願いします」
『実行内容を確認します』
「・・・もう、逃げられる程度の拘束ではなくて構いません」
『生命を奪う、ということでいいのですね?』
ノアは一度だけ確認したがそれ以上は何も言わなかった。
『土属性魔素を受領します』
エリシアから流れた魔素を受け、隊長の左右にある石床が持ち上がる。
「待て――」
隊長が身体を捻ったが、ゴーレムが腕を離さない。そして、石の塊が左右から強く打ち合わされた。
衝撃が地下へ響き、隊長の身体から力が抜ける。ゴーレムが手を離すと、男はそのまま床へ倒れた。
『敵性生命反応を確認します』
ノアの声を聞き、エリシアは倒れている者たちを順番に見た。
八人・・・誰一人、生きて帰る者はいなかった。エリシアは倒れているゴブリンのもとへ行き、治した腕をもう一度確認した。
「痛みませんか?」
ゴブリンは首を横へ振った。
「スライムも見せてください。核は大丈夫なのですよね?」
『損傷部は時間経過で再結合します。サンクチュアリフェアリーによる補助があればより治癒の効果が高まるでしょう。』
「ではお願いします」
フェアリーが肩から離れ、水色のスライムの上へ降りる。淡い光が傷ついた身体を包み始めた。住人たちの無事を一人ずつ確かめているうちに、エリシアの呼吸も少しずつ落ち着いてきた。
最後に隊長の近くへ戻ると、その外套の内側から小さな金属片が落ちているのが見えた。
「これは……?」
拾い上げると黒く染められた薄い札で、表面には見覚えのない印が刻まれていた。
『解析しますか?』
「お願いします。でも、その前に……まず、皆を休ませましょう」
『死体の処理は?』
「それも必要ですね。でも何があったのか確認したいので、今は何も吸収しないでください」
『DPへ変換可能ですが』
「分かっていますが今は待ってください」
返事までに僅かな間があった。
『・・・了解しました』
エリシアは黒い札を握ったまま、もう一度倒れた刺客たちへ目を向けた。
自分を殺すために、わざわざ王都から人が送られてきた。刺客を送ってきた相手が誰なのか、まだ決めつけるつもりはない。
けれど、確認しなければならないことが増えたのは確かだった。
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