結婚、その日に
山藍摺からおっそいクリスマスです。もしくははやいお年玉。
世間では雪解け水が川へ流れ、小さな命が芽吹き始め、緑がちらほらと大地を潤し始めた、春の訪れの時期。
ブルーフェンドルス領のとある女神神殿にて、一人の花嫁が父の手を離れようとしていた。
「うぅー……」
神殿の新婦の控えの間にて、涙を含んだ鳴き声がさめざめと響いていた。悲しみに満ち、時折鼻をすする音も盛大に混じっている。
「ねぇ」
室内は色彩溢れる陽の明るさに満ちていた。天井の大きなステンドグラスの採光窓より、きらきらと陽光がさしているのだ。
赤、青、桃色、黄色、緑。女神降臨の場面を描いたステンドグラスの色を纏った陽光が室内を照らし出し、真っ白な花嫁姿を色彩豊かに彩っていた。
そんな花嫁が、さめざめと泣けば――鼻をすする音はさておき――絵にもなる、が。
「うるさくってよ」
「げはぁっ!」
ステンドグラスの陽のさす場所に、花嫁はいた。しかし、泣いていたのは花嫁ではない。そもそも花嫁の声は、泣き声のように野太くはない。
「さあ、あなた。お隣の部屋でお顔を拭きましょうねぇ。あなたは一応花嫁の父、そして領主なの。体面は保ちすぎてもお釣りがでるくらいには保ちましょうねぇ」
泣き声の主、花嫁の父、そして領主は、愛する妻より扇の一撃をくらった。見事に後頭部にヒットした一撃により、彼は気絶。彼の愛する妻は、おほほと武器の扇で口元を隠し上品に笑いながら退場した――片手で夫の襟首をつかみ、夫を引き摺りながら。
パタン、と隣室へ続く扉が閉められ、控えの間に残されたのは――
「…………………」
疲れきって項垂れる、本日の主役である花嫁と、
「うふふ、リーレイの強さはお母様譲りなのねぇ」
花嫁の隣で微笑む花嫁の友人であった。
「ヴィヴァーネ……」
顔をあげた花嫁であるリーレイは、泣きたいような、笑いだしたいような、叫びだしたいような何とも形容しがたい顔をしていた。
「最後に感動して泣きたいのは自分なのに、代わりに実父が“行き遅れの娘に春が、春が”とか“やはり娘はやれぬ、しかしまた行き遅れ”とかいいながら泣いて雰囲気台無しになったのよねぇ」
「………」
すらすらと解説するヴィヴァーネに、リーレイはさらに脱力感を覚えた。
「まあまあ〜、それ以上泣いたら顔がはげるわ、ね?」
ぽんぽんと肩を叩くヴィヴァーネに、さらにリーレイは泣きたくなった。
先日、永い永い呪いから解放されたヴィヴァーネ。なのに今は本来の姿ではなく、あの馴染んだオカマの姿である。
「……何で、また?」
黒のタキシードに身を包み、巨躯をくねらせるその姿は、まさしくあのオカマ剣士J・ヴィヴァーネだ。
「でも、“かつての仲間の晴れの日”にでるヴィヴァーネはこっちでしょう。勇者の仲間のヴィヴァーネは、先代勇者のツィスカだとまだ世間は知らないわ」
かつて先代魔王を倒した先代勇者ツィスカ・ヴィヴァーネ・エンヒェン。それがヴィヴァーネの本来の姿である。
先代魔王を倒した際に、瀕死の先代魔王から呪われた先代勇者ツィスカ。その悲劇は今もなお“現実にあった話”として伝えられている。世間では先代勇者ツィスカは、永劫の眠りの呪いにつき、呪いの眠り姫として王子を待っている――そう、伝えられている。
「いつ、公表するの?」
「あなたたち二人が結婚してしばらくたったら、ねぇ。女神が降臨して、女神直々に伝えるそうよ〜。だから、今日がJとしての最後よ。女神の奇跡で、もう一度この仮初めの体が動いてるんだから」
うふふと微笑みながら、ヴィヴァーネはぐっと力瘤をつくってみせた。
「だから賢者が泣いてたのね……美女ではなくオカマの姿だから」
仲間の賢者がしくしく泣いていたのを、リーレイは思い出した。
(えっと……、そうだといいんだけどぉ……別なのよねぇ)
心中で苦笑を浮かべつつ、ヴィヴァーネは曖昧に笑った。そんなヴィヴァーネを見て首をかしげるリーレイの背を、ヴィヴァーネはやんわりと押した。
「さあ、そろそろお父様が復活されてるんじゃないかしら? さあ、花嫁の出番よ」
ヴァージングロードを歩く時間はもうすぐそこだ。頭に疑問符を浮かべるリーレイを、ヴィヴァーネはさあさあと廊下へ誘う。
小柄で華奢な花嫁の背中を見ながら、ヴィヴァーネは思う。いつか、賢者の恋話をしようと。いまはそのときではないから、いつか、きっと。いつかくるその日を思い描いて、ヴィヴァーネは胸が暖かくなった。
リーレイはどんな反応をするのだろう。勇者はどんな反応をするのだろう。若い二人の反応が今から楽しみだった。
そして、ヴィヴァーネは“今から先のこと”に思いを馳せる。
呪いから解放され、女神に祝福され実は長命のヴィヴァーネには、“これから”がたくさん、たくさんある。呪いに追われずに、ゆっくりと時間を過ごせるのだ。
「必ず、振り向かせるからね」
意外にうぶで照れ屋な賢者を落とす時間もたっぷりあるのだから。
監視役と勇者の人生の門出のその日、かつての仲間が祝いに駆け付けた。
そして、剣士ヴィヴァーネがブーケトス時に、「わたしのよぉおお」と猪突猛進したのは、また別のお話。賢者含め、リーレイ以外がドン引きしていたのも、別のお話。
式の最後に、女神が結婚を祝福しに降臨して、ヴィヴァーネの話をするのも――別のお話、多分。




