シルフィ、臨時店番!?①
朝の光が差し込むアマギ屋。
めいは、届いたばかりの電報羊皮紙を真剣な表情で読み込んでいた。
「北の開拓農家さんから緊急の特注電報よ。予期せぬ乾燥風で、植えたばかりの苗が干からびそうなんですって」
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至急! 苗の保水調合求む
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「北の丘か。あそこまで行くとなると、片道だけでも半日。風の抜け道を使っても、往復で午前中いっぱいはかかる」
カチャリ。
ギュッ。
蔵は椅子に腰掛け、トレードマークの風のブーツの革ベルトを締め直した。
「うん。現地の大気湿度に合わせて調合を微調整しないといけないから、私も一緒に行って、その場で調合したいの。でも、私の足じゃ……」
「ああ、北の開拓農家までは足場がかなり悪いよな。めいが風のブーツを履いても、到着まで時間がかかるだろうな」
めいは申し訳なさそうに、蔵をちらっと見た。
蔵は、めいが何を言いたいのか察した。
「めいののろまな足じゃ日が暮れるよな。現地までは俺がおぶって走るよ」
「もう、足が遅くて悪かったわね! でも、ありがとう」
めいは少しむくれながらも、素直に礼を言った。
開いたドアから朝日が差し込む店先で、めいは小さな木製看板を置いた。
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午前中 臨時休業(出張配達中)
午後より営業いたします
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「相談処の看板を掲げてから、店を留守にするのは初めてね。午前中だけだし、看板を出しておけば大丈夫かしら?」
「たった半日だ。アマギ屋は泥棒が入るような高級店でもないんだから、気楽に行こうぜ」
そう言って、蔵は店内へ戻り、出発の準備を整えた。
めいも忘れ物がないか確認しながら、今日の予定を頭の中で整理していた。
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その時。
カランコロン。
ドアベルが鳴ると同時に、ドアが勢いよく開いた。
「おはよう、アマギ屋! 公務の朝巡回中だが、朝のスコーンの焼き加減を検分してやろうと思ってな!」
ゴチン!
「あ痛っ! な、なんだこの梁の低さは!」
低い鴨居に思いきり額をぶつけ、星を飛ばしながら涙目でおでこを押さえる男がいた。
シルフィだった。
「ギャハハハ! 偉そうに入ってきて、いきなり頭ぶつけるやつがいるかよ! 仕事以外じゃ本当にドジだな、局長さんよ!」
腹を抱えて笑う蔵を横目に、めいは慌ててシルフィに駆け寄り、ハンカチを差し出した。
「シルフィさん、大丈夫ですか? おでこが真っ赤ですよ」
「き、貴様、笑うな! 帝都の建築基準法にミリ単位の狂いがあるだけだ! め、めい殿、私は平気だ!」
シルフィは耳まで真っ赤にして強がった。
「ところで、めい殿。向かいの旧商館の改修工事だが、近隣住民から騒音や振動についての陳情は出ていないか?」
「いえ、今のところ昼間は静かですけれど」
「我が気象保安測候局に提出された建築届出書によれば、あそこには『商業用の大型大気調和機』が設置される予定なのだ。だが、提出された図面の規模があまりにも大きくてな。認可審査の差し止めも検討しているところなのだ」
「お役所仕事が遅いから、向かいの建物はもうすぐ完成ってところに見えるぜ?」
「ぐ……! 建築審査課と気象保安課の管轄争いで手間取っているのだ!」
シルフィは悔しそうに顔をしかめた。
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「それより、朝からせわしないようだが、どうかしたのか?」
ひとしきり笑った蔵が尋ねた。
「実は、北の農家さんから緊急の出張依頼が入って、午前中だけ店を閉めて配達に行くところだったんです」
「何だと。市民生活に直結する天候相談拠点を数時間も無人にするなど、保安上看過できん! よろしい、測候局長であるこの私が、特別に店番を引き受けてやろう!」
「はあ? 局長さんが店番だ?」
蔵はニヤリと笑うと、店の鍵をシルフィの手にチャリンと放り投げた。
「言ったな? 後で泣きついても知らんぞ。めい、さっさと行くぞ!」
「ええっ、でもシルフィさん、お仕事は? ご迷惑じゃ……」
めいが申し訳なさそうに心配する横で、シルフィは腰に手を当て、自信満々に胸を張った。
「民間の店番など、数理気象学を修めた私にとっては赤子の手をひねるより容易い! 安心して行ってこい、めい殿!」
「あ、あの……では、よろしくお願いします」
蔵は配達用の背負子を背負い、めいを背中に乗せる準備を進めた。
「カウンターのハーブティーとお菓子は自由に食べてくださいね!」
めいはシルフィに振り返って手を振った。
「鍵穴を壊すなよ、局長さん!」
「帝国の名誉にかけて、留守を守ってみせよう!」
若干の不安は残るものの、めいと蔵は北の開拓農家へと出発した。
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ドサッ。
一方、店内に一人残されたシルフィは、机の上に分厚い『気象法全書』を置き、得意げに微笑んだ。
「数理気象学と官僚の知性をもってすれば、民間の天候相談など片手間で最適化できる」
シルフィは自信満々だった。
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カランコロン。
ほどなくして、洗濯籠を抱えた近所のおばあさんがアマギ屋へ入ってきた。
「ごめんくださいね。めいちゃんはいるかい? 午後の洗濯物のことで相談があってね」
シルフィは胸に手を当て、すっと立ち上がった。
「気象保安測候局局長、シルフィ・アウラだ。店主らは緊急出張中につき、本日はこの私が全権をもって相談を承る! どのような気象学的問題か、述べよ!」
おばあさんはきょとんとした。
十秒ほど固まった後、ようやく口を開いた。
「あらまあ、立派なお役人さん。昼過ぎにシーツを干しても、雨に降られないかい?」
「本日の等圧線配置および断熱膨張率から算出すると、気圧傾度力と相対湿度の偏微分方程式に基づき……」
「お役人さん、なんの呪文かい? わたしにはさっぱりわからん。干していいのかい、悪いのかい?」
話がまったく通じていない。
シルフィは冷や汗を流しながら、めいが残していった黒板のメモと晴雨計を確認した。
「つまり、午後二時前までは雨の心配はない。シーツを干すなら、それまでに取り込めばよい!」
「おやまあ、二時前なら夕飯の支度を始める前に取り込めるね。賢いお役人さん、ありがとう」
おばあさんは笑顔で、アツアツの焼き芋を手渡した。
「えっ、芋? 相談料は規約に基づき……」
シルフィが何かを言おうとする前に、おばあさんはアマギ屋を出ていった。
手元に残された焼き芋を見つめながら、シルフィはハンカチで汗を拭った。
「庶民への説明責任とは、これほど難しいものなのか……」
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バアーン!
一息つく間もなく、ドアが勢いよく開いた。
膝小僧に擦り傷を作った近所の男の子が、涙目で飛び込んできた。
「めい姉ちゃーん! 縁の下に子猫が挟まって震えてて、出てこないんだ! めい姉ちゃんの優しい温風で助けてやってよ!って誰だ?いいや、兄ちゃん助けてよ!」
「な、何!? 子猫の救出だと!? 帝国の気象法に、そのような緊急対応要綱は存在せん!」
「でも、子猫が……!」
男の子に必死に頼み込まれ、シルフィはとうとう腰を上げた。
「わ、わかった! 現場を確認するぞ!」
男の子に案内され、シルフィは子猫が挟まっているという縁の下までやってきた。
男の子と一緒に隙間を覗き込むと、暗がりで子猫がブルブルと震えていた。
「ミャウ……」
「軍服が泥まみれになりそうだが、背に腹は代えられん! 見ろ、隙間風のせいで体温が下がっているぞ!」
「兄ちゃん、めい姉ちゃんなら、いつも優しい温風でふわっと助けてくれるんだけどな」
「よし、私に任せろ!」
シルフィは剣をかざし、魔力を込めて「微温風」を起こそうとした。
ボワッ!
しかし、軍用の気象術を得意とするシルフィには、微風の細かな調整が難しかった。
放たれた風は予想以上に強く、縁の下へ突風のように吹き込んだ。
フシャーッ!
パニックになった子猫は縁の下から飛び出し、シルフィの鼻と頬を爪で引っかいた。
「ぎゃあああ! ひ、被救助対象が激しい武力行使に及んだぞ!」
子猫はそのまま、再び縁の下へと逃げ込んでしまった。
「兄ちゃん、アホなの? 風が強すぎるんだよ! めい姉ちゃんはもっと優しく、ふわーってやるの!」
男の子にまで呆れられ、シルフィは頬をハンカチで押さえながら悔し涙を呑んだ。
「くっ……! こうなれば、めい殿の調合品を使うしかない!」
シルフィは店に置いてあった予備の調合品の中から、「ぽかぽか温風小瓶」を取り出した。
「よろしい。めい殿の調合品で風の強さを補おう」
シルフィは小瓶の栓を、わずかに緩めた。
すると、ラベンダーの心地よい香りを含んだ温かい蒸気が、ふわりと漂い始めた。
ゴロゴロ。
ゴロゴロ。
温かい香りに惹かれた子猫が、喉を鳴らしながらそろそろと隙間から顔を出した。
やがてシルフィの手の甲にすり寄ると、そのまま男の子の腕へと飛び込んだ。
「やった! 出てきた! ありがとう、お役人のお兄ちゃん!」
男の子は子猫を抱きしめ、満面の笑みを浮かべた。
傷だらけのシルフィは、その場に腰を下ろした。
「ふ、ふん……! 帝国の官吏に救えぬ命などないのだ!」
そう言い放つシルフィの顔には、鼻と頬にくっきりと引っかき傷が残っていた。
シルフィの臨時店番は、まだまだ始まったばかりだ。
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