百年分の雨②
蔵がレバーから手を離すと、地下施設に再び静けさが戻った。
「くそっ」
蔵は悔しそうに唇をかんだ。
「すまない、蔵」
シルフィが静かに謝った、そのときだった。
めいが手にしていた祖父の調律音叉から、澄んだ音が響いた。
音の波紋が広がると、呼応するように古代端末が緑色に光り始めた。光は一定のリズムで明滅している。
「あれ? 調律音叉の音が、端末の奥から返ってくる」
めいは端末に駆け寄り、画面を覆っていた水滴と埃を指で拭った。シルフィと蔵も、彼女の横から画面をのぞき込む。
「シルフィさん、一番下に隠された領域があります。開けられませんか?」
「何? 帝国軍の暗号の下に、独立した回路が隠されているのか」
めいが操作すると、隠されていた領域が開いた。
画面の中央に浮かび上がったのは、見慣れたアマギ屋の紋章だった。雲と三つ葉。めいの家に代々受け継がれてきた印だ。
□□□
【職人識別:初代アマギ屋・天城弦一郎】
【極秘安全弁プロトコル『大地の呼吸』】
□□□
「アマギ屋の紋章じゃないか!」
「初代アマギ屋の店主だと? 百年前の技師が、こんな仕掛けを残していたのか」
驚く二人の前に、初代店主が残した直筆のメッセージが光とともに浮かび上がった。
□□□
天気を奪う者に未来なし。
万が一の時は、音叉で大地の水脈へ還すべし。
□□□
「おじいちゃん」
めいは、画面に浮かぶ言葉を見つめた。
「初代アマギ屋の店主は、最初からこの雨を爆発させるつもりなんてなかったのね。大地の水脈へ還すための鍵を、ちゃんと残してくれていたんだわ」
メッセージの下に、新たな画面が現れた。
そこには、世界中に広がる地下水路の地図が映し出されていた。
「これが『大地の呼吸』の仕組みか。大気と水の流れを、地下水路を使って調整するための図面だな」
シルフィが画面を操作すると、大陸全土の地下水系が立体映像となって空間いっぱいに広がった。
古代の水脈や石造りの地下水路、低い場所を流れる空気の通り道。それらが複雑につながり、星図のような模様を描いて輝いていた。
「蔵、この模様を見て!」
めいに呼ばれ、蔵は立体映像を見上げた。すると、ある光景が脳裏によみがえった。
「これ、あの噴水広場の水面に浮かんだ模様と同じじゃないか! 子どもたちのために虹を架けたあと、水底で光っていた星図だ!」
「やっぱりそうだったんだわ」
めいは、目の前の地図を見つめながら話し始めた。
「おじいちゃんは、ただ雨を閉じ込める手伝いをしていたんじゃない。万が一のとき、一か所に大量の雨を流せば大災害になる。だから、古代水路を使って圧力を分散させ、世界中の乾いた大地へ恵みの雨を届ける仕組みを作っていたのよ!」
めいは、祖父の調律音叉を強く握りしめた。
「あの噴水の水底も、初代が作った古代水脈の出口の一つだったんだわ。この音叉の周波数で共鳴させれば、閉じ込められた雨を濁流にすることなく、世界中の地下水脈へ流し込める!」
シルフィは、画面に表示された計算データを読み解いた。驚きと安堵が入り交じった表情が、少しずつ明るくなっていく。
「信じられない。計算が合うぞ!」
彼は地図を拡大し、地下水脈の分岐点を次々と確認した。
「全土二十四か所の水脈ゲートに圧力を分散させ、流量を調整すれば、雨塊の内圧を安全な水準まで下げられる。帝都を破壊することも、周縁の村々を水没させることもない。乾いた大地を潤す恵みの雨として、空を取り戻せるんだ!」
隣では、蔵も迷いを振り払った顔で地図を見つめていた。
「なら、やることは決まったな。今度こそ、雨をあるべき場所へ返してやろうぜ」
---
「その通りだ。天気を独占する時代は終わりにしよう」
シルフィは決意を固め、端末に向き直った。
「統括府の通信回線を利用し、各地の観測所へ水脈ゲートの開放コードを一斉送信する」
彼は剣を抜き、端末の専用スロットに差し込んだ。
刀身に刻まれた青白いルーン回路が起動し、画面に通信制御の表示が浮かび上がる。
蔵は風のブーツのベルトを締め直し、拳を手のひらに打ちつけた。足元では、柔らかな風が渦巻いている。
「俺の脚は、世界を沈めるためじゃない。本物の空を届けるために使う」
めいは使い込まれた革の調合鞄を開き、祖父の業務帳簿と特製アンカー液の小瓶を確かめた。それから、調律音叉を手に取る。
「ありがとう、蔵。百年前におじいちゃんが残してくれた願いも、私たちが街で培ってきた知恵も、今こそ全部注ぎ込むわ!」
「通信回線の確保と開放コードの送信は私が担当する。めい、蔵、現場での操作は任せたぞ!」
三人は準備を整え、古代水脈ゲートへと向かった。
その頃、紫色の稲妻をまとった黒い雨塊は、轟音を響かせながら膨張を続けていた。
「まずいな。雨塊の内圧が限界に近づいている。水脈ゲートへ急ぐぞ!」
「ついてきな、めい。遅れるなよ!」
「うん!」
三人は、急いでその場を後にした。
---
三人は古代水脈ゲートの扉を抜け、その奥にある螺旋階段を駆け上がった。
たどり着いたのは、巨大な円形のステージだった。
中央には、巨大なパイプオルガンを思わせる装置がそびえ立っている。
「ここが、初代アマギ屋の店主、天城弦一郎が百年前に造った中枢施設か。全土の水脈と共鳴させるための装置なのだな」
シルフィが周囲を見回した。
地下の岩盤には、無数の巨大な共鳴管が組み込まれていた。複雑な圧力バルブが並び、四方の高い場所には、通路と手動バイパス弁が設けられている。
そして、ステージの中央には、雲と三つ葉の紋章が刻まれた石造りの台座があった。
「これ全部、音と大気を共鳴させるための装置なの? おじいちゃん、こんなに大きな調律装置を作ったなんて」
めいは、台座を見つめながら息をのんだ。
シルフィは周囲を確認し、四隅の高所にある手動バイパス弁を指さした。
「蔵、四つのバイパス弁を見てくれ。水脈ゲートを開くには、あの弁を四つ同時に全開にする必要がある。普通の人間には難しい高さだが、風歩きの君ならできるはずだ」
「高いところなら俺の庭だぜ。四つまとめて、一分で開けてやるよ!」
蔵は自信たっぷりに笑った。
「めい、調律のタイミングは合わせてくれよ!」
「分かったわ!」
めいはステージの中央に膝をつき、調合鞄から青く光る薬液のボトルを取り出した。それを音叉共鳴台座にセットし、祖父の調律音叉を台座のソケットにかざす。
頭上には、巨大な雨塊を閉じ込めたタンクのガラス隔壁が広がっていた。
ピキッ。
メキメキッ。
不気味な音が響き、ガラスに亀裂が走った。
内圧計の針は、すでに赤い限界域に達している。
「任せて! 調律音叉を差し込んで触媒を流し込めば、水脈全体が共鳴を始めるはずよ。百年分の雨を、みんなを潤す恵みの雨に変えてみせる!」
シルフィは、頭上の内圧計を見上げた。
「時間がない。雨塊の内圧が限界に達する前に、全員配置につけ!」
蔵は風のブーツを起動させ、四つのバイパス弁がある高所を見上げた。
めいは調律音叉を握り直し、台座の前で深く息を吸った。
百年分の雨を救えるかどうかは、これからの一瞬にかかっていた。
お読みいただきありがとうございました。毎日投稿しています。
ブックマークや★評価で応援いただけると嬉しいです。
これってどういう意味?と思ったらコメント欄などで聞いていただけると助かります。




