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天気屋のお仕事~天気を売買する世界の物語~  作者: 相場 巴
第1部 第4章:空を返す日
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百年分の雨①

 足元には濃い蒸気が立ち込め、静電気のせいで髪がかすかに逆立っていた。

 蔵は胸に手を当て、苦しそうに顔を歪めた。


「空気が重すぎて、胸が押し潰されそうだぜ」

「無理もない。外の四倍以上の気圧が、この地下空間に閉じ込められている。魔力障壁がなければ、まともに呼吸することも難しいだろう」


 めいが胸元に掲げた祖父の調律音叉は、大気圧と魔力に反応し、かすかな共鳴音を奏でながら震えていた。


「調律音叉が震えているわ。この地下施設全体が、巨大な気象ボトルのように作られているのね」


 周囲には、百年前に造られた巨大な真鍮製の円柱や無数の配管、歯車式の圧力計が並んでいた。

 その中央に浮かんでいたのは、直径数百メートルにも及ぶ透明な魔導隔壁の球体だった。


 内部では漆黒の雨雲が猛烈な速さで渦巻き、激しい雨が降り続いている。紫白色の稲妻が、球体の内壁を何度も走り抜けていた。


「これが、帝都の『毎日晴天』の裏で、百年間も閉じ込められてきた雨か」


 シルフィは、球体を見上げたまま答えた。


「そうだ。統括府が『完全な平和』を演出するために、世界中から奪った空の一部だ。ここは、その雨を閉じ込めておくための貯蔵庫なのだ」


 三人はさらに奥へ進み、鉄製の通路の突き当たりにある「古代大気中央端末」にたどり着いた。

 端末にはレバーやメーター、古い紙テープがびっしりと並んでいる。機械の表面には霜が降り、水滴がいくつも浮かんでいた。


 シルフィは手袋をはめた手を端末へ伸ばした。めいと蔵は、その背後から様子を見守る。


「中枢端末はまだ動いている。ここを調べれば、雨がなぜ蓄積されたのか、そして過去に何が起きたのか、その記録が見つかるはずだ」

「私たちの故郷が、どうして消されたのかも分かるのね」

「必ず暴いてやろうぜ。百年もの間、隠されてきた嘘をな!」

 ---


 シルフィは監査マスターキーを差し込み、大きなレバーを引いた。


 ガチリ。

 ジジジジッ。


 真空管や魔導計器が青白く光り、百年前から眠っていたシステムが動き始めた。

「監査コードを承認。記録アーカイブを展開する。見ろ、帝国暦三四二年からの大気循環記録だ」

 端末から青白い光が放たれ、魔導グラフや気圧を示す地図が空中に浮かび上がった。


 □□□


【年間強制吸引雨量:三億八千万トン】

【帝都晴天維持率:99.2%】

【周縁地域気圧欠損:マイナス45%】


 □□□


「年間三億トン以上の雨を吸い上げていたのか。世界中に降るはずだった恵みの雨を、丸ごとここに閉じ込めていたってことか!」


 蔵は表示された数字を見て、声を荒らげた。


 帝都を毎日晴天に保つため、各地から途方もない量の雨が強制的に吸い上げられていた。そして、その雨は地下に閉じ込められたまま、百年もの間、放置されていたのだ。


 記録を見つめるシルフィの額に、冷や汗が浮かんだ。かつて忠誠を誓っていた組織が、何をしてきたのか。その事実を突きつけられ、彼は深い嫌悪感を覚えた。


「そうだ。統括府は天候を管理していたのではない。帝都や一部の都市を繁栄させるために、各地から雨を奪い、ここに押し込めていただけだ」


 シルフィは、浮かび上がる記録を見つめながら続けた。


「この数字の一つひとつが、帝国全土の農民や子どもたちから奪われた雨の記録なのだ」

「こんな量の雨を閉じ込めていたら、大地の呼吸が乱れて、世界中の天気がおかしくなっても当然だわ」


 めいは、激しく渦巻く雨雲を見上げた。


 蔵はさらに記録をたどっていった。やがて、ある日付が表示されると、震える手で画面を指さした。


 □□□


【帝国暦三四四年七月十二日・緊急減圧投棄記録】


 □□□


「記録によると、帝国歴344年、統括府は東西の二区画を『大気バイパス投棄区』に指定し、公的台帳から住民記録を抹消。以後の気象投棄による被害を『存在しない区域の自然現象』として隠蔽し続けていたのだ」


「百年間地図から消して雨を捨て続けた挙げ句の果てに、十数年前の俺たちが子どもの頃、溜まりすぎた嵐を一気にぶちまけて村ごと皆殺しにしたのかよ!!」



「おじいちゃんが残してくれたこの店も、百年前からずっと、奪われた故郷の空を取り戻すために戦っていたのね……」


 シルフィの顔からも、血の気が引いていった。


 ---

 シルフィは古代端末のキーを素早く操作し、暗号解読カードをスロットに差し込んだ。


 カチカチカチッ。

 ギィィン。


「詳細な事後監査記録を呼び出す。監査識別コード、セフィラ・ゼロ。開け!」


 新たな地図が三人の前に広がった。帝国全土の地図の上で、東西の周縁部に二重の赤い円が浮かび上がる。


 □□□


【標的区域A:水撫の里(東部水系)】

【投棄雨量:四千二百万トン】

【標的区域B:風哭の谷(西部山岳)】

【投棄風圧:最大風速78m/s】

【帝都防衛率:100%】

【損失:統括管理上の許容範囲】


 □□□


「水撫の里。私の生まれた村が、標的にされていたのね」

 めいは、画面から目を離せなかった。


「風哭の谷もだ。やっぱり、あの日、俺たちの村に何かが起きたんだ!」

 蔵の声が震えた。


 記録が示していたのは、雨の貯蔵庫の圧力が限界に達した際、帝都を守るために二つの村を圧力の逃げ道にしたという事実だった。

 何千万トンもの豪雨と、猛烈な暴風。それらは自然に発生したものではなく、統括府によって意図的に放出されていたのだ。


 蔵の脳裏に、幼い頃の記憶がよみがえった。

 空を覆い尽くした黒い雨雲。紫色の雷光に引き裂かれる空。そして、嵐に呑み込まれ、壊滅していく風哭の谷の集落。

「あの日の黒い豪雨も、谷を丸ごと呑み込んだ嵐も、自然災害なんかじゃなかったんだ」


 蔵は拳を握りしめた。


「こいつらが帝都を守るために、俺たちの村へ押しつけたゴミだったんだ!」


 怒りで、蔵の体が震えていた。


 その隣では、シルフィが血の気を失った顔で自分の手を見つめていた。彼自身も、かつては統括府の一員として「許容範囲」という言葉を何度も口にしてきたのだ。


 めいは、あふれそうになる涙を拭った。


「許容範囲? 何百人、何千人もの命と故郷を奪っておいて、紙切れ一枚の『許容範囲』で済ませていたっていうの?」


 彼女の声には、抑えきれない怒りがこもっていた。


「これが、統括府が誇りにしてきた『秩序』の正体だというのか」


 シルフィは答えを見つけられず、ただ記録を見つめていた。

 ---


 蔵は、怒りに任せて古代コンソールへ向かった。


 そこには、赤い文字で「緊急全圧排気弁」と刻まれたレバーがあった。蔵は腕の血管が浮き上がるほど強く、そのレバーを握りしめた。


「許容範囲だと? だったら、こいつらが溜め込んだ百年分のヘドロを、帝都のど真ん中に全部吐き出させてやる!」


 蔵が力任せにレバーを引き下げようとした、その瞬間。

 シルフィが背後から蔵の体を羽交い締めにし、必死に引き戻した。


「馬鹿者! 今、排気弁を開けば、被害は帝都だけでは済まない! 大陸全土が濁流に呑み込まれ、数百万もの罪のない人々が命を落とすぞ!」

「離せ、シルフィ!」


 蔵は抵抗しながら叫んだ。


「じゃあ、俺たちの村で死んだ何千人もの人たちはどうなるんだよ! 誰にも知られず、地図から消されて、あいつらだけがきれいな空の下で笑っていていいわけねえだろ!」


 怒りと悲しみが、蔵の声を震わせていた。


「同じ痛みを味わわせて、何が悪いんだよ!」


 シルフィは歯を食いしばり、蔵をまっすぐに見つめた。その目には、悔しさと悲しみがにじんでいた。


「殴るなら私を殴れ! 統括府が背負うべき罪だ。だが、世界中の人々を巻き添えにして復讐することが、君の一族の望んだことなのか!」


 そのとき、もみ合う二人の間に、めいが両手を広げて割って入った。

 めいは祖父の調律音叉を握りしめ、涙をこぼしながら蔵の胸元に手を当てた。


「蔵、やめて!」


 蔵の動きが、一瞬止まった。


「痛いのも、悔しいのも分かる。私だって、叫び出したいくらい悔しいよ。でも、憎しみのままに空を壊したら、今まで関わってきた人たちの街も、風枯れの村も沈んでしまう!」


 めいの声は震えていた。それでも、彼女は蔵から目をそらさなかった。


「そんなことをしたら、私たちまで統括府と同じになってしまうよ」


 蔵の瞳が揺れた。


 めいの言葉が胸に突き刺さり、蔵は息をのんだ。レバーを握りしめていた手から、少しずつ力が抜けていく。


 やがて蔵は、引き下げかけたレバーから手を離した。

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