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天気屋のお仕事~天気を売買する世界の物語~  作者: 相場 巴
第1部 第3章:空に残された傷
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雨を引き受けた街②

 店のドアの前には、武装した統括府の警備兵たちと、長身の青年官吏が立っていた。

 青年はプラチナブロンドの髪を端正に整え、冷ややかな眼差しで店内を見渡している。


「中央気象統括府・監察局、特務気象監視官。シルフィ・アウラだ」


 シルフィは白手袋をはめた手で、鮮やかな朱色の封蝋が押された羊皮紙を差し出した。

 そこには、太い文字で命令が記されていた。


 □□□


 第七管区・アマギ屋 業務停止命令書


 □□□


「アマギ屋店主、天城めい。貴店に対し、未認可気象核の不正所持、および国家気象秩序撹乱の容疑により、即時営業停止を命ずる」


 シルフィは淡々と告げた。


「統括府の気象統御網こそが、帝都百年の繁栄と晴天を保証してきた唯一の秩序だ。民間の小店が勝手な調合でその均衡を乱すことは、国家への反逆とみなす」


「営業停止ですって? それに、統括府の監視官が直接来るなんて」


 めいが驚いていると、店の外から通行人たちの声が聞こえてきた。


「統括府の監視官様だ。逆らったら、この地区の晴天配給コードまで止められちまうぞ」


 警備兵たちは店の扉に、真紅の「封鎖赤札」を容赦なく叩きつけた。


 物音に気づいた通行人たちが足を止め、店の前には次々と人が集まり始める。何事かと見守る人々の間に、不安げなざわめきが広がっていった。


 扉には、さらに一枚の札が貼られた。


 □□□


 差押・立入禁止 中央気象統括府


 □□□


 蔵はめいをかばうように前へ出て、シルフィを鋭く睨みつけた。


 しかし、シルフィは眉ひとつ動かさない。まるで目の前の二人を人間ではなく、処理すべき書類のように見ている。


「ふざけんな。百年前の記録を調べるために申請を出した途端、営業停止だと? 未認可気象核なんて口実を使って、証拠を隠す気じゃねぇか」


「未認可気象核の押収が終わり次第、店主と関係者を監察局へ連行する」


 シルフィは蔵の言葉を取り合わず、背後の警備兵たちに指示を出した。


「未認可気象核、および関連帳簿をすべて押収しろ」

「了解しました」


 重装備の警備兵たちが工房へ踏み込んだ。


 棚に置かれていた高圧密閉シリンダーが乱暴に引きずり下ろされ、赤く輝く封印帯が巻きつけられていく。


 めいは作業台から身を乗り出し、必死に手を伸ばした。


「待ってください。それは百年前の公式記録につながる大切な証拠です。どうして押収するんですか」


「大衆の安寧と天候の統御は、厳格な法と計算によってのみ成り立つ。民間店の主張で国家の気象秩序を乱すことは許されない」


「秩序だと? 俺たちの村をゴミ捨て場にして得た晴れが、お前らの正義なのか」


 蔵の怒声が工房に響いた。


 シルフィは冷たい視線を向けたまま、静かに答えた。


「感情論だな。統制によって生じる歪みは、計算上の許容範囲だ」


 その言葉を聞いた瞬間、めいの表情が強張った。


(許容範囲。あの百年前の記録装置と、まったく同じ言葉だわ)


 故郷を失った人々の苦しみも、奪われた暮らしも、統括府にとっては計算の中に収まる損失にすぎない。


 めいは唇を噛みしめた。

 シルフィは押収品を確認し、警備兵に指示を出す。


「封印等級は三級。速やかに第零倉庫へ移送しろ」

「はっ」


 シルフィが警備兵たちに目を向けた、その一瞬だった。


 蔵はめいの手首をつかみ、工房の奥にある勝手口へ向かって走り出した。


「おい、めい。早くしろ。あの冷血漢、本気で俺たちを地下牢送りにする気だぞ」


 蔵は木製の裏戸を開け放ち、めいを薄暗い路地へと引っ張り出した。


 冷たい空気が頬をなで、足元で砂埃が舞い上がる。蔵は息を切らしながら、路地の前後を素早く見回した。


「全部捨てて逃げるんだ。捕まったら、二度と自由には戻れないぞ」


 しかし、めいは路地へ出たところで足を止めた。

 革ブーツの踵が石畳を擦り、小石が跳ねる。前を走っていた蔵の腕に、強い抵抗が伝わった。


「めい。何やってるんだ。早く来い」


 蔵が振り返ると、めいはその場に立ち尽くしていた。

 丸眼鏡の奥で静かに目を伏せ、腕の中の業務帳簿を胸に強く抱きしめている。


「おい……」


 蔵が呼びかけても、めいはすぐには答えなかった。

 やがて、つかまれた手首にそっと指を添え、蔵の手を優しくほどいた。


「ありがとう、蔵。でもね」

「何を言ってるんだ。逃げなきゃ命が危ないんだぞ。相手は国家なんだ」


「わかってる。でも、逃げたら、開拓村に降るはずだった雨も、百年前から奪われてきた空の真実も、全部なかったことにされちゃう」


 めいは腕の中の業務帳簿を、両手で強く抱きしめた。


「この帳簿まで奪われたら、私たちが見つけた真実を証明するものが、また一つ失われてしまう」

 蔵は言い返そうとしたが、めいの決意を前に言葉を詰まらせた。


 その直後だった。


 大地の奥底から重低音の地鳴りが響き、アマギ屋の建物全体が激しくきしんだ。


「な、なんだ?」


 蔵が振り返る。


 めいも裏戸のそばから空を見上げた。


 街の上空には、巨大な送電魔導管が何本も張り巡らされている。その表面を青白い火花が走り、管全体が不規則に明滅していた。


「人工高気圧が崩れ始めている?」


 めいは目を凝らした。


「自然の気流が流れ込んでいるんだわ。まさか、それが中央統御網に影響しているの?」


 そのとき、魔導管の光が一斉に強く輝いた。

 直後、耳をつんざくような音が街中に響き渡る。


「魔導管から火花が出てるぞ!」


 警備兵の叫び声が聞こえた。

 次の瞬間、魔導管の光が一斉に消えた。

 街灯も、結晶タワーも、店舗を彩っていたイルミネーションも、次々と光を失っていく。


 繁栄を極めていた都市は、瞬く間に闇に包まれた。


 あちこちから悲鳴が上がり、街の人々が困惑した声を上げる。


「何が起きたんだ?」

「電灯が消えたぞ!」

「市場の結晶まで、全部真っ暗だ!」


 ---


 アマギ屋の工房も、突然の停電で薄暗くなった。


 統括府の警備兵たちは動きを止め、互いに顔を見合わせている。押収作業を続けようにも、照明も魔導器具も動かなくなっていた。


「監視官殿。街中の給電魔導路が停止しました!」


 別の警備兵が、慌てて報告する。


「中央統御環からのマナ供給が途絶しただと?」


 シルフィの声に、初めて動揺が混じった。


 そのとき、警備兵たちが押収した気象瓶にも異変が起きた。


 瓶の内部で輝いていた魔導光が、次々と消えていく。工房の棚に残された気象瓶も同じだった。真鍮バンドに刻まれた公的管理番号も光を失い、瓶の中に封じられていた天気が、少しずつ力を失っていく。


「まさか、中央統御環からの供給が途絶えて、気象瓶の維持機構まで停止したのか?」

「瓶の中の天気が、ただの石に戻っていく……」


 警備兵たちの声が震えた。


 シルフィは押収品の気象瓶を見つめ、険しい表情を浮かべた。


「全管区の結晶認証コードまで無効化されている。中央統御網が停止したというのか」


 それは、単なる停電ではなかった。

 帝都の晴天を支え、各地の気象を管理してきた巨大な仕組みそのものが、機能を失いつつあった。

 路地に立つ蔵は、暗くなった空を見上げた。


 街を覆う異様な暗雲。その向こうから、これまで人工高気圧に遮られていた自然の風が吹き込んでくる。


 蔵は、先ほどまでの焦りを忘れたように口元をゆがめた。


「天気の神様が、とうとうブチ切れたらしいな」


 めいは業務帳簿を抱え直し、暗い空を見据えた。

 この異変が何を意味するのか、まだわからない。

 だが、百年にわたって維持されてきた帝都の晴天が、今まさに崩れ始めていることだけは確かだった。


「全隊、直ちに統括府本部へ帰還しろ。中央統御環の防護を最優先とする。アマギ屋の差し押さえは後回しだ」


 シルフィはすぐに判断を下した。


「押収品を運び出す準備は中止。各自、速やかに撤収しろ」


「はっ!」


 警備兵たちは命令に従い、慌ただしく工房から出ていった。

 シルフィも最後にめいたちへ視線を向けたが、何も言わずに店を後にした。

 統括府の一団が去ると、めいと蔵は裏戸から路地へ出た。

 二人は近くの物陰に身を隠し、これからどう動くべきかを話し合った。


「この混乱に乗じて、統括府が百年前の記録や帳簿を処分しに来るかもしれない」


 蔵の言葉に、めいはうなずいた。


「だったら、先に帳簿を守らなきゃ」

「俺は街の様子を探ってくる。何かあったら、すぐに逃げろよ」

「わかった。蔵も気をつけてね」


 こうして、二人は一時的に別行動を取ることになった。


 めいはアマギ屋へ戻ると、祖父の業務帳簿と調合器具を地下の隠し保管庫へ移した。統括府が再び押し入ってくる可能性がある以上、証拠だけは何としても守り抜かなければならない。


 作業を終えると、ランプの灯火を頼りに気圧の変化を記録し始めた。


 中央統御網が停止した今、自然の気流がどのように変化するのか。観測を続ければ、この異変の原因を突き止める手がかりが得られるかもしれない。


 一方、蔵は屋根や高台を駆け巡り、街の様子を探っていた。


 統括府本部では戒厳令を敷く準備が進められていること。気象看板や街灯は完全に停止し、市民の多くが不安から家に閉じこもっていること。そして、人工高気圧が消え、自然の南西気流が街へ流れ込み始めていること。


 蔵は夜通し情報を集め、街で何が起きているのかを確かめた。


 ---


 夜が明ける直前。


 偵察を終えた蔵がアマギ屋へ戻ると、めいは無事に調査を続けていた。

 二人は顔を合わせ、互いの無事を確かめる。


「街じゅう大騒ぎだ。お役人どもは本部の火消しで手いっぱいで、アマギ屋どころじゃないらしい」

「よかった。でも、空の様子がいつもと全然違うわ」


 めいは窓辺に立ち、夜明け前の空を見上げた。

 これまで人工高気圧に覆われていた街の上空には、見たこともない厚い雲が広がっていた。

 雲はゆっくりと流れ、その隙間から冷たい風が吹き込んでくる。


 めいは手元の観測記録に目を落とし、再び空を見上げた。


「この気流、どこから流れ込んできたの……?」

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